ちょっと長いですが、読んでみてください
Perfumeの楽曲における中田ヤスタカの作曲法についての考察(超てきとー)
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まずは和声の動きについてから診てみよう(^_^)
Es-dur(変ホ長調)でのテクノ的な楽曲(コンピューターシティ、エレクトロ・ワールド、ポリリズムなど)に代表される初期の作品は、和声的に言えばIVとVIを両側に持った4つの和声の動きをワンフレーズとした、繰り返しとなっていることが多い。
その後も「曲冒頭やフレーズの始まりは主調のIVから」というのは中田ヤスタカの定型となっているように思える
(ざっと聴いただけで、コンピュ、エレワ、ポリ、ドリフぁ、ねえ、スパイス、グリッタ、だいじょば、スプリングなど)。
しかし、スパイスのやグリッターの序奏部からは調性や和声といったものは感じられなくなり、それを皮切りに、次第にミニマル的なベースの繰り返しによる音の重ね方が強く聞かれるようになる。
その後、IV・O・O・VIという動きはIV・V・Viの3つに収束していく動きを見せる。スプリングやだいじょばないでは、主和音が全くと言っていいほど現れないので、主調をつかみにくい。
といっても、ここまでのそれぞれの和声は基本的に三和音のみである。
大きな変化が現れるのは、アルバムLEVEL∃からである。
1mmの曲の展開をみてみると、最初はes-moll主和音が聞かれるが、その上声部にdesが加わり、Iの7となる。
さらに低声にhが加わると属9のような響きが生まれ、曲は専らその響きの中で進むことになり、もはや和声的な力学が存在しなくなっている。
パーティーメーカーもまた同じような手法が用いられており、desを根音とする三和音は次第に上下に音を重ねていき、IVの7、IIの11といった極端な拡大和音にまで至る。enter スフィアでは、Iの9が保続され、和声的な動きが消されている。
ドリームランドでは、IV→I→VIという形を復活させているが、その和音はやはりIVの9、Iの9と拡大されている。
では、このLEVEL∃において突如として拡大和音を多用し、ミニマル的な方向性に加え、和声的に飽和させたのは、なんなのだろうか。
一つ考えられるのは、このアルバムの楽曲全体を包む幻想的、神秘的、象徴的とも言える雰囲気を作るためであろう。
拡大された和声は、和声的力学を曖昧にすると同時に、聴くものを陶酔させ、忘我の境地へと誘う効果がある。LEVEL∃が人間の心理の最下層をしめすとすれば、まさに夢や無意識を呼び覚ます楽曲構成と言えよう。
クラシック音楽における和声の拡大と飽和は、ちょうど19世紀末から20世紀初頭の後期ロマン派の音楽で行われた。
それは、ロマン派という一本の源流が、印象派(ドビュッシー)、表現主義(シェーンベルク)、象徴主義(スクリャービン)といった支流に分岐するちょうどその時期である。
印象派のドビュッシーが自然と人間の境界を(Handy Man SleepingBeauty などエスニックな旋法によって調性・コードをぬけているから異国情緒を感じさせる)、表現主義のシェーンベルクが理性と無意識を、スクリャービンが人間と神の境界を溶かすために拡大和音を用いたのなら、Perfumeは現実と夢、もしくはPerfumeとファンの境界を溶かすのかもしれない。
3者は主和音を避けて、拡大された和声を用い、次第にのちにその限界をむかえて無調音楽を書くようになった。
中田ヤスタカが、クラシック音楽の歴史を踏襲しているとすれば、次に向かうは3者のような無調音楽か。
はたまた拡大和音からとおざかり、プロコフィエフのような新古典主義となって、明瞭でメカニックな、テクノらしさに回帰するか。
見ものである。
(深夜02:24テンションの駄文)
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まったく、なんのこっちゃわからん父親(私)に簡単に説明してもらった
コード進行重視の作曲は初期からJPNまで続く
それを昇華させて完成形に近いのが なんとレーザービーム と 微かなカオリ なのだそうだのだ
そしてスパイス GLITTERで劇的変化を見せ始めた そうだ 同じアルバム内で変化が手に取るようにわかるそうだのだそうだ
(もしかしたら私の理解力が低いのかもしれないが、そんな感じのことを数字で説明してくれた)
ベースラインの動きによるミニマルな重なり テンションコードを巧みに用いているそうなのだそうだ
そして我らがLEVEL∃では和声は気迫になりながらも拡大和声による音の重なりを重視しているようなのだそうだ
これはコード進行重視の復活のように思えるが、明らかに劇的な変化を観せており
進化ではなく深化を感じさせるそうなのだ
さて、理解できたでしょうか? 私は父親の尊厳を保つため、さも解ったような振りで返事をしたが…
とにかく、彼はPerfumeについてはほとんど知識がない
(そうは言っても父親に付き合ってJPN幻の千秋楽真駒内に参加してくれた)
テレビでPerfumeが出た時の、父親のデレデレ顔をツンって感じで見下しながら(当者比)
彼は時折、「ん?面白いアプローチしているね」という言葉を残してくれる程度なのだ
そんな彼に、LEVEL∃を分析してみて? くださいませんか?おねえげえでございますだぁ~と言ったのだ
そうすると、彼はコンプリート・ベストからLEVEL∃までを聴いてこの考察を書いてくださったのだ(^_^)
どうでしょうか?
音楽に造詣の深い方 作曲を勉強しておられる方
彼の勉強のために、間違い あるいは勘違いを指摘してくださらないだろうか?
最後に
彼はこういった
PartyMakerはPerfumeとファンの同化ではなく「自己と他者の融合」を音楽的に表現しているように感じる と
PartyMakerは歌詞とリズムと旋律とコードで、凄い世界(これまでのすべての楽曲の素晴らしい要素が入っていてトランス状態を構成している)を表現させている のだ そうだ