3択です‼️
(いや、本当は、別々に出すつもりだったんですが、、一つにまとめなさいということでして🙏)
急遽、3択になったので、今回は
デッキの種類でご選択頂ければっ🎶
(複数選んでも、全てのメッセージから必要なモノを受け取っていただいても、日を置いて見ていただいても、全てご自由にどうぞ🗽)
|(天の声?)<
決めるのも、決めないのも
選ぶのも、選ばないのも
それも、時と空間に
委ねて、決まります
必要なモノは、必ず
時と場に、届きます
>(終わり)|
左、真ん中、右のカードデッキから3択
それぞれメッセージを受け取っています
**最後に、今回繋がった神霊意識存在についての余談?解説?もございますので、気になる方は合わせて、必要なタイミングで、必要なモノをご自由に受け取って観てくださいませ🙇♂️**
<
←左のカード←
<
<
豊雲野神(トヨクモノノカミ)の
意識を通じて届いたメッセージ
<
-THE LIGHT SEER’S TAROT-
XVI THE TOWER
SEVEN OF SUPS
NINE OF SWORDS
KING OF SWORDS
FOUR OF PENTACLES
VII THE CHARIOT
-BOTTOM-
NINE OF WANDS
-TOP-
TEN OF WANDS REV.
<
ー-メッセージ本文(カードリーディング)ー
貴方に革命的な変化が起こった
あるいは、まだその途中に、、
数ある無数の選択を、無意識にも
乗り越えては、不要なモノは流れ
必要なモノは、汲み取られて
今、必然と、残っているはず
貴方に、襲ってくるかのような
様々なモノたちは、光に変わる
その空気を観じては、そこに
風を送り込む、光の通路へと
全てから、観じては
全てから、選び取る
最も、確からしいモノ
最も、透き通ったモノ
最も、遠くまで
最も、近くから
最も、近くまで
最も、遠くから
それだけは、手放さずに
それだけは、失わせない
そのルートへと
その根源の道へ
是が非でも
白黒もなく
進んでいく
進ませている
全ての想いが
そこに集まり
どこまでも
守り抜いて
どこまでも
護られては
どこまでも
進ませては
辿り着くは
一つの終着
峠を越えて
さらに続きを
ー-補足・解釈(カードの意味によらず)-ー
その変化は、強烈に人生を変えて
貴方自身を、変えてゆくモノ
悩み多きは、当然にして
心身共に、負担の大きなモノ
それを抱えて、進むは
壮絶な迷いも付きもの
誰しも、迷い苦しみなく
全て、すんなり順調とは
行かぬモノ、それでは
貴方を、活かせぬモノ
全てが、貴方を支える
あなたにとっての深淵
そこに、貴方の最も
大事なモノを見出す
そこから、また始まる
そこに居て、終わらず
新しい貴方は、どこまでも強く
貴方の尊さを、強く観じさせる
|
→真ん中のカード←
|
|
宇比地邇神(ウイジニノカミ)の
意識を通じて、届いたメッセージ
|
-STAR MAIDEN TAROT-
THREE OF PENTACLES REV.
TWO OF SWORDS REV.
NINE OF SWORDS
EIGHT OF SWORDS REV.
SIX OF PENTACLES REV.
II THE HIGH PRIESTESS REV.
-TOP-
TEN OF PENTACLES REV.
-BOTTOM-
0 THE FOOL REV.
|
ー-メッセージ原文(カードリーディング)ー
調和の取れたモノを創造する時に
対立する意見や思考は付きものと
その対立のタネを解いていく心に
全ての苦悩が解かれて自由な心へ
一つ一つの全てが苦悩を解く鍵
全てが一つの苦悩を解く鍵穴へ
差し込まれては
今に全てを解く
適切な場所に
適切なモノを
何と何が、釣り合わず
何と何が、釣り合って
対立を生んでは生まず
調和を生まずと生んで
全てを働かせて
全てを滞りなく
運んで運ばれて
還って還される
全て必要なモノ
取捨する最善を
導いていくのは
自由で満足な心
全て捨てて観る
全て拾って観る
その極端さには
繊細な心を隠す
どこまでも微細
どこまでも全体
隅々まで広々と
豊かさの尽きず
ー-補足・伝心-(カードによらず)ー
時に、試しに、感情を捨てて
熱さも、冷たさも、脱ぎ捨て
底(其処)に、見えるモノも
其処(底)に、見えないモノ
洗い流して、見えるモノも
沈殿して、透き通るモノも
新たな、感情と想いを育み
確かな、意志とモノを育む
奥底に沈んだ、表面の上澄
表面に浮かぶ、奥底の結晶
転換しては、新たな大地と
組み変わっては、新天地へ
>
→右のカード→
>
>
須比智邇神(スイチニノカミ)の
意識を通じて、届いたメッセージ
>
-UKIYO TAROT-
TEN OF PENTACLES
II THE HIGH PRIESTESS REV.
ACE OF PENTACLES REV.
TWO OF SWORDS REV.
SEVEN OF PENTACLES REV.
VIII STRENGTH REV.
-TOP-
XXI THE WORLD REV.
-BOTTOM-
KING OF CUPS REV.
>
ー-メッセージ原文(カードリーディング)ー
この世のものとは、想えない豊かさは
どこからやってくるか、想像もつかず
ただ、そのあり在るものを以て知覚す
物質的なもののみによって知覚せざる
その在るとも、無きとも、分け隔てず
そこに、希望を繋ぐ、何かを見つける
二つのものを一つにして、分割せずに
ひっくり返しても、それは成立すると
一つのものを二つにして、分別しても
裏と表は、互いの存在を見出すために
選ぶとも、選ばれずに
選ばれずとも、選んで
選ばずとも、選ばれて
選ばれるとも、選ばず
その全てを、収穫して
その全ては、収穫せず
そこに、育まれていくもの
そこから、育んでいくもの
一つ一つを、心に刻んでは
一つ一つを、心と育てては
その世界に完成を観るもの
その心に映し出されて得る
その先に続き、想いを知る
枯れ果てぬ水の、注ぐ場所
何にも代え難き、心の住処
その主導権を握って、離す
ー-補足・伝心-(カードによらず)ー
何を知るとも、一面に広がる風景は
それによって影響を受けても受けず
それは、独自のものとして描かれる
何を組み立てても、何を使おうとも
そこに広がるのは、その世界に
無いものはなく、在るもの観ず
何を受け取るとも、それを観て
在るモノを観ては、無いと観ず
全てを精査して、製作するもの
製作したもの、全て、精査する
全てを観る、世界に映す心へと
繋いでいくのは、遠くも近き今
近くも遠き今を、近くする知覚
そこに全てを観ていく、心へと
旅しては、還行き
還る度に、先幸き
**観(み)ず、観(かん)ず、いずれにも読めて、意味は、真逆ではない。いや、真逆だと観ても、間違いではない。今、観じるモノを観てみて、それを採用して、観ていただければ🌱**
(以下、要らないよって方は
スキップしてくださいっ🎶)
ー余談、解説、徒然なるままに。ー
“いつの頃からか、雑談コーナーができて、何やらやめることもなく、続いていますが、それも、今、やめるべきではない、と観じるから、という以上には、是(コレ)といった理由はなく、その理由を書こうと思えば書けるとはいえ、それが本当の理由であるかは、わからない部分もあったりします。”
なんていう、ダラダラと超長い一文(イチブン)を書いてしまうのは、一般には、避けるべきと言われます。短文で、一文一意とするのが、わかりやすい文章を書くための鉄則です。
とはいえ、どれだけ一文が長くとも、その中身がちゃんと伝わるのであれば、問題はなく、一文一文は明確でも、全体を通して、支離滅裂になるのであれば、それはまた、問題かもしれません。
あるいは、それは、伝える側にも、受け取る側にも、正しく伝わる要因というモノがあったりします。どこかで、何かが通じ合わないと、伝わらないモノです。それも、ある意味、必然であるかもしれません。互いに、その氣がなければ通じない、ということです。もちろん、逆もまた、然りです。
互いに見ている世界、そこに紐づけている言葉、善悪やその他さまざまな概念についての思想や見識、見解などなど、その違いを、どう運んでいくのか??そのようなモノが、テーマになっているようです。
それは、結局、自分自身の中に、全て、あったりするのですが。抽象度を上げないと、その共通性みたいなモノは見えにくいモノです。
実際に、今回の神様たちは、かなり抽象度の高いところに坐(いま)す。“意識的なエネルギー場(トヨクモノ)”と、“物質的なモノ(ウイジニ、スイチニ)”がはじめて交わる場と言っても良いかもしれません。
**コレら三柱の神様のもっと詳しい解説は、さらに下の、次のコーナー(もっと解説、余談。)に、御座います☕️**
僕は、言葉というモノも、どちらかといえばかなり物質的なモノであると観ています。トヨクモノという“エネルギーの活動の場”や、“活動そのもの”を全て言葉で表すというのは、かなり難しい面もあります。だからこそ、言葉を超えて、観じるということが、実は、この超物質的な現代社会においても、非常に大切になってきます(と、ボクは観じています)。その場から、観じるものを、思考や行動に映し代えて、物質的な場に現す、モノとして現す。言葉から言葉へと変遷させるだけでなく、一旦、言葉を超えたものに還す。あるいは、言葉にすることなく、最適なモノに移り変わっていくのを、そっと眺めて、じっくり観じて、それを、繰り返す。言葉になっていない、部分を観じて、全体に編み込んでいく。言葉になっていないモノを、否定しない。言葉になっていないモノを、ないモノだとしてしまわない。そういう意識が、今、ことさらに大事になってくるのではないかと。ある意味、僕自身も、その部分について、修行させられて(させていただいて)、そのように仕向けられているのを、観じています。
自分がこうしたい、ああなりたい、というのに加えて、今、コレが求められているな?というものを観じていけば、自然とそれがまた、自分がこうしたい、ああなりたいというモノに繋がっていったりします。時に、本当に思いがけない方法で、とはいえ、物質世界的にみても、自然なカタチで、あるいは、超常現象的にも、観えることもあるかもしれませんが、、
今の自分が((どうしても))イヤだと感じるものは、((必ずしも))採用する必要はありません。とはいえ、その時とその場に応じて、必然と、求められるモノもあります。それは、ごくごく小さな単位でも、地球的・宇宙的な大きな単位でも。
そうして、その時に、ピッタリとハマるモノを採用していけば、不思議とうまくいったりします。自他共に調和を生んで、心穏やかに、その時に必要なモノを喜んで受け入れて、全てがうまく、その時空間(甘)に整っていきます。天地の調和した場は、厳しい部分もあれども、ちょっぴり(いや、かなり!?その時空・領域によるかもしれませんが、、)甘いのです🍡でも、決して甘過ぎることはない🍵そこが、勘(甘)処←なんて🥴
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大きくズレると、大きく還すために
準備される、時空もあったりします
それも、必要と最善のために在ると
観じていくことが、正しく還すコツ
大いなる母なる父なる愛です
(母の日は、過ぎちゃいましたけど、、)
どこまでも、追いかけてきてくれますよ‼️
愛は、優しくも、厳しくも🌏🚀🪐
愛の大海に抱かれて、坐(いま)す🪼
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(以下、要らないよって方は
スキップしてくださいっ🎶)
ーもっと解説、余談。(今回の三柱の神について)ー
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“豊雲野神(トヨクモノノカミ)”
(←左の選択肢で繋がりました🎴)
/
豊雲野神(とよくもののかみ)は、広大な荒野であり、まだ何もない。国常立神(クニノトコタチノカミ)の土台に広がる、原野である。そこから、全ての物質的な創造が、本格的に始まってゆく。人間レベルの創造的活動であれば、まだ、意識レベルでの想像から創造へと移り変わり始めた頃であろうか。何を創るにしても、意識レベルで、その性質を決めていかねば、その望むべくモノが造られることはない。大雑把では大雑把なものしかできず、細かく配慮されれば、それに見合ったものが出来上がる。その原野に漂う、想像と創造の源となる雲海が、今、これから、次第に、様々なカタチを成していくところである。
この辺りの神は、古事記を見ても、日本書紀を見ても、ただ神の名が羅列されているだけで、ほとんど説明や情報がない。上の記述は、僕の意識に降ろされた言葉(といっても、言葉がスラスラ出てくると云うよりは、意識との対話によって、最適な言葉を探りながら、紡いでいるという感じのモノ。つまりは、僕自身の意識と霊的な意識の融合意識とでも云うべきか??)である。観得した霊的意識の伝えるがままでもなく、僕自身の我を通すわけでもなく、その間を通すように、その場に意識を創り上げていく。まだ明確な言葉になる前の意識の蓄積と変遷、それこそが、トヨクモノノカミという意識であり、働きであり、霊力であると云われているようであり、氣として、意識として、浮かび上がってくるようである。
ちなみに、豊雲野神(トヨクモノ)は古事記における漢字表記であり、日本書紀では、豊斟渟尊(トヨクムヌ)との記載である。斟は、水や酒を汲み、注ぐこと。転じて、相手の事情や心情を汲み取って配慮し、取捨選択すること(斟酌;しんしゃく)。渟は、水などが流れずに溜まって留まっていること。上記の僕の意識に降ろされた解説には、豊斟渟尊(トヨクムヌ)の漢字に込められた含意も、汲み取ることができているであろうか。
さらに、他の解釈としては、自然の“雲”というところに注目して、五穀豊穣をもたらす“雨”を降らす“雲”の神格化として、解釈されることもあるようである。ただし、まだ、雲として溜まって、漂っていて、雨となって降ってはいない。雲も、物質といえば物質であるが、液体の水よりは、掴みにくいもの、カタチの捉えにくいものである。まだ、その可能性を孕んでいる状態であり、雨となって降るのか、青空へと戻っていくのか、大雨か小雨か嵐か、どんどんと雲がカタチを変えていくのか、それは全くわからない。
それは、人生や社会の大きなスパンの中にも起こる現象であり、日々の一瞬一瞬の全ての行為の中にも、常に、生じている意識の作用であるとも言える。種となる意識、感情・思考・言葉・行為、そのサイクルの中で、僕らはあらゆるモノを想像し、創造している。常に、トヨクモノノカミと、共に活動している。それを、自覚するともせずとも、その意識と働きと霊力を使っている。
さて、メッセージ本文に出てきた
“貴方の革命的な変化”とは、、
❶空気中の見えない水蒸気から、姿を現す雲への変化か
❷雲から雨へ、そして、大地への恩沢(神仏や目上の人から受け取る恵みや利益)へと変わりゆく変化か
❸あるいは、その両方か
風により、通路により
自然と、カタチが決まっていく
そこに、雲や水そのものの
意志はなくても、運ばれる
貴方の芯を、掴みさえすれば
余計なモノを掴まず、流されず
貴方の中心から、必要なモノが
生まれてゆき、カタチになり
貴方にとって、最適な恩沢を
貴方が与えて、貴方も受け取る
雲になり、水になる
自由自在に、変幻自在
それが、貴方の本質の確信と
革新と核心へ、映り変わって
さらに、貴方を、全てを
育んでゆく、貴方の全てで
貴方と、全てを、新生する
吾(われ)は、常に、貴方と共に
貴方の全てを斟酌して創造する
意識的にも、無意識的にも
それは貴方の内にあるモノ
全ては、貴方の希望へと
繋がると知らんと行為す
ー-古事記に記載されている神の系譜-ー
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)
神産巣日神(カミムスヒノカミ)
ー↑ここまで、いわゆる造化三神↑ー
宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)
天之常立神(アメノトコタチノカミ)
ー↑ここに、天界と地界の境目がある↓ー
国之常立神(クニノトコタチノカミ)
→豊雲野神(トヨクモノノカミ)
(以下、省略)
ここまで、いずれも独り神であり
男女(陰陽)の対偶神ではない
**ちょっと、脱線?
ちなみに、日本書紀では、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
“国狭槌尊(くにのさつちのみこと)”
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
の順に登場する。
古事記では、
国之狭土神(クニノサツチノカミ)は、大山津見神の子として記載される。
国土の土台である砂土(さつち)を、山に属するものとするか、大地に属するものとするかの、解釈の違いと言えるだろうか。
ここに、山に対する格別の信仰を観じるのは、ボクだけか、、
脱線、終わり。**
ちなみに、豊雲野神の次には、古事記・日本書紀のいずれも、泥土の神と土砂の神が、一対の対偶神として、登場する。(これが、ウイジニとスイジニである。)
豊雲野神が降らした雨とその水の流れによって、砂土が様々に姿を変えていく様を、想像させる。
あるいは、地球内部のマグマのエネルギーと大地の脈動が大地を動かして、砂土を、様々なカタチに変えていく。
そこには、より上位の神々の意識や働き、霊力が込められて、それら全てを動かしていく渾然一体の作用として、全ての意識の働きが、顕在化して、発揮されていく。
さて、永遠の意識と、無窮の言葉に
この神の降らす、雨が止みそうにないので
今回は、この辺で、名残惜しくも
神の話は、おしまい、惜しむ舞い
全ての意識と、どこまでも
高く舞い上がれ、貴方の根源へ
|
我々にとって、この神の意識と働きと霊力は
如何に重要なモノか推して図るべしと告げる
|
\
“宇比地邇神(ウイジニノカミ)”
(→真ん中←の選択肢でした🎴)
&
“須比智邇神(スイチニノカミ)”
(→右→の選択肢でした🎴)
/
スイチニノカミ(須比智邇神)は、ウイジニノカミ(宇比地邇神)と、対で語られねばならない。が、、古事記にも日本書紀にもほとんど情報がない。。とはいえ、そこから始めるしかない📝
これらの神様は、豊雲野神(トヨクモノノカミ)の次に登場する神である。と言っても、トヨクモノノカミもあまりメジャーではないから、まだ、ピンと来ないかもしれない(、、宜しければ、豊雲野神の解説も併せてどうぞ📝)。もう一つ前に戻れば、国之常立神(クニノトコタチノカミ)である。こちらは、艮(ウシトラ)の金神(コンジン)とも言われる神であって、数ある言い伝えの中には、この神こそが大元根元の神であるとする伝(日本書紀の一説)もある。(稲荷大神秘文にも、登場する。)さらに遡ると、アメノトコタチノカミ、ウマシアシカビヒコジノカミ、カミムスヒノカミ、タカミムスヒノカミ、アメノミナカヌシノカミ。このように書くと、ウイジニ・スイチニノカミは、かなり原初に近い神であるということに気付く。そして、実は、男女一対の神として登場するはじめの神が、ウイジニ(兄、男神)、スイチニ(妹、女神)であるというのが、最も特筆すべきポイントであると言ってもよいかもしれない。
さて、ここからは、古事記や日本書紀には直接的な記載のない部分になります📝
ウイジニもスイチニも全く聞き馴染みのない言葉ですが、、ウイジニは泥土、スイチニは砂土であるらしい。一つ前のトヨクモノは、広大な原野あるいは空間に漂う氣(それが可視化された一例を雲として観ることができると言えるだろうか)。もう一つ前のクニノトコタチは、この物的な宇宙世界の基礎土台、構造基盤として捉えられるだろうか。
(この辺りは、諸説あると想われますが、あくまで、僕の観じる宇宙観・世界観としてお受け取り下さい🎶)
その流れを汲むと、ウイジニ、スイチニは実際的に僕らの触れることのできる物質としての最初の神であるとも言える。そこで初めて、男女一対となる。男女は、陰陽であり、二元的な対立する要素によって、初めて物質が生まれるということの象徴を見ることもできる、と言ってもよいのかもしれない。
では、ウイジニノカミ(泥土)、スイチニノカミ(砂土)の違いとは何であろうか??
ここは、地質学的な違いから見て観ると、泥と砂の違いは、その粒子径(粒の大きさ)の違いということになる。泥の方がより細かく(1/16mm以下)、砂の方がより荒い(1/16mm〜2mm)と言うことらしい。水と混じった時に、これは泥であると観じるのは、まさに、粒が細かいドロドロとしたものであって、砂が水を含んでも、どちらかと言うとザラザラした感じになる。
泥の方がよく水に馴染むが、砂の方が水通りはいい。砂の方が、空気が入りやすく、乾燥しやすい。泥は、その逆に、空気が入りにくく、湿潤である。
川や海で言えば、比較的流れの早いところ(沿岸部)に砂は堆積し、流れの穏やかなところ(深い海や湖の底)に泥が堆積する。
ここで、なぜ、ウイジニノカミ(泥)が男神(兄)で、スイチニノカミ(砂)が女神(妹)なのか??
きめ細やかな泥土の方が男で、より荒い砂土の方が女というのは、一般的なイメージからいくと反対のようにも想えてしまう。
これは、意外と、男女の本質を捉えているかもしれない。男の方が繊細で、女の方が胆力があったりする。世にいう、男らしさ、女らしさとは、必ずしも、本質を捉えたものではないのかもしれない。あるいは、それぞれの本質的な性質のバランスを取るために、そう仕向けられていると観ることもできるかもしれない。
もちろん、一口に男女と言っても、千差万別であって、男はこうあるべき、女はこうあるべきと論じる意図はないのであるが。。古事記や日本書紀の記載によって考察するとそうなる??ということであって、なるほどぉー🎶と思わないでもない🥴
見た目と、一般に言われることと
その本質は、全く違うこともある
それは、男女関係のみならず
あらゆる対として現れるモノ
さて、スイチニ、ウイジニの違いに
特に拘らずとも、彼彼女らの存在なしに
この地球の大地は、存在しないのである
あらゆる植物や農作物も育つことはなく
あらゆる動物たちが、活動する場もなく
この宇宙・地球環境を生み出す
礎(いしずえ)であるとも言える
-さらに、蛇足。-
現代的に捉えるならば、ウイジニやスイチニを、素粒子(泥)や原子(砂)として、捉え直してみるのも面白いかもしれない。そうなると、トヨクモノは、ダークマターかダークエネルギーか??(コレらはいずれも、理論上存在が認められているが、実態は観測されていない。ダークマターは物質であり、ダークエネルギーはその名の通り物質ではないエネルギーそのものであって、真空がもつエネルギーではないかと言われているらしい。つまりは、それが虚空(アカシック)ということかもしれない。。ちなみに、神仏習合の思想において、国之常立神の本地仏が虚空蔵菩薩になっているケースもあるので、、この見方はあながち間違ってもいないかもしれない??(豊雲野神→ダークマター?、国之常立神→ダークエネルギー?、すなわち、虚空?。この場合、天之御中主神から天之常立神がどうなるのか??という話になりますが、、何をどのように観るかによって、どこに何を当てはめるのかは変わっていきますし、天上界の要素はそもそも観ることができないとも言えるかもしれません。あるいは、ダークマターやダークエネルギーを生み出す要素であるのかもしれません。ちょっと、一般的な古事記の見方からはかけ離れていきますので、ここでは、この辺にしておきます🙇♂️)
まぁ、、素粒子にも様々な種類があり、ダークマターやダークエネルギーも、その正体は、未知の命名されていないモノの集合体ですから、、あくまで、例えと比喩であるということは、ご注意を🙇♂️
あるいは、現代科学という枠を超えれば、もっと別の捉え方もできるのかもしれません、、なんて🥴
意外と、古代の人たちのような捉え方をした方が、モノゴトはシンプルになるかも??とも思ったり、思わなかったり。
科学実験でさえも、見たい結果が見えてしまうということも大いにあるようですし、実際にそういうこともありますから、、本当に、この宇宙は、意識が、全て創り出しているんだと、、
どこまでも、真摯に誠実に、自らの心にも、万物万象に対しても、向き合うことが大切だなぁと、観じさせられ続けて、病みません👍
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えーっと、いろいろ書き過ぎて、逆に、迷わせてしまうこともあったり、、あるいは、それこそが、何らかの疑問やエネルギーの滞りを解消していくことに、繋がったり、それは、今この瞬間に、ではなかったとしても、この時空に、貴方が触れたということが、必ず、貴方の運命的な縁起・因果を最適化して、最善の時空に運んでくれるのだと、決めて、観てみてください📝(全てにおいて、実は、そうなっていますから、ぜひ安心して観てみて下さい⭕️そこを、そのように観ない想念・観念によって、安心安全ではない時空に迷い込んでしまうこともありますので、どうぞご注意を⚠️あるいは、それこそが、その時の最善であることもありますので、、どうぞ、どこまでも、その時空の、今の、最善ルートを検索し続けて観てください💡そのナビを貴方は貴方専用のモノとして持っていますから🧭)日々日々、是好日実践です👊👍✌️
いつも、来てくださる方も、初めましての方も、よかったら、また遊びに来てください🎶
気が向いたら、その時だけで、大丈夫です‼️
この場に、繋がってくださって
本当に、ありがとうございます🙏
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GW明け、元気バリバリの方も、ちょっと疲れて体が重い方も、無理せず、よく氣を観て、よく氣を流して、心穏やかに、過ごされますように、日々、陰ながら勝手ながら、天地万物万象の除災平穏無事安楽心願成就商売繁盛恋愛成就夫婦円満病気平癒学業成就家内安全国家安寧世界平和宇宙平和等々、仏経典と祝詞に載せて、祈念させて頂いております🙏