NOTES OF AKASHA

NOTES OF AKASHA

いつも、僕らが僕らであることに
平穏無事に、全てが全てのままに

全ての時空に、内なる静寂は
僕らの全てを、あるべき姿に

 

 

ー序文ー

 

ちょっと、妖しい⁉️タイトルついてますが、そういうのじゃありません(残念??)でも、そういう関係に悩んでいる方にも、響くものがあるかもしれません⁉︎そんなメッセージだったり、全然関係ないって方には、また全く違ったメッセージとして受け取ったり、そんな、変幻自在のメッセージ🌱🌈✨

 

そして、こんなタイトルになった経緯は、最後の余談にて📝

 

(気になる方は、ご一緒にどうぞ☕️)

 

 

 

ーそれでは、本題ー

 



 

-THE STAR TAROT-

 

KNIGHT OF SWORDS REV.

FIVE OF PENTACLES

 

XI JUSTICE REV/

THREE OF PENTACLES REV.

 

SEVEN OF SWORDS REV.

VIII STRENGTH

 

-TOP-

VII THE CHARIOT

 

-BOTTOM-

FIVE OF WANDS REV.

 

 

ーメッセージ本文ー

 

焦りは禁物で、急な動きは

危険を、伴うこともあると

 

無理せずに、為すべきを

見極めて、招福する救済

 

どこから何を育んでいるか

その釣り合いを合わせれば

 

創造の種は、芽吹いていく

貴方の生み出すべきモノを

 

その要素を、よく計って

生むモノを、よく図って

 

細かく観ては、広げて

大きく観ては、狭めて

 

貴方を蝕む思考は幻想か

時に想い違っても幻影か

 

どこまでも、貴方の愛を

貴方の大切なモノを得る

 

寄り添うモノを、観る心

養われるモノを、贈る心

 

争いから、身を引いて

全てを、抱き合わせて

 

全ては、全てと抱いて

全てを、全てに進ませ

 

方向を合わせては進む

全て揃って真っ直ぐに

 

バランスを取って進む

どこまでも、貴方へと

 

 

ー補足、伝心。ー

 

貴方は、全てを抱いて

全てに、貴方は抱かれ

 

共に、生きていることを

知る、それは、革命の炎

 

癒しの水、相容れぬモノを

混ぜ合わせて、溶け合わす

 

それは、全て自然と育まれ

自然と全てに、行き渡ると

 

安心して、平穏に過ごして

自然に身を任せて、愛入る

 

殊更に、何かをしようとせず

自然に、最善の愛を贈っては

 

全ての現象を、全てが愛にして

全てに、愛と贈られて、愛の炎

 

燃え広がる愛に、時と癒す水

流れゆく水は、炎を動かして

 

適切な場所を、探して燃える

水と冷まして、落ち着く場所

 

 

 

 

ー余談、蛇足。(愛染明王と諸仏の四角関係⁉️)ー

 

愛染明王(あいぜんみょうおう)とは、金剛薩埵(こんごうさった)の化身であり、密教において特に重要視される仏教の信仰対象の一つである。金剛薩埵は、大日如来(宇宙そのものを現す仏)から最初に教えを受けた菩薩。金剛薩埵は、金剛(ダイヤモンドのように固く壊れない真理)の心(薩埵)をもつもの。そして、その化身が愛染明王。愛染明王は、煩悩即菩提(愛欲をそのまま悟りの心へと浄化する)の象徴とされ、その一つの真理を自ら体現して、導いてくれる。

 

↑ちょっと堅苦しいのはここまで

 

((煩悩即菩提とは、どんな愛欲もそのまま貫き通せばいいという訳ではありませんが、、愛欲も決して否定されるモノではありません、、うまく使う術を、使い所を、どこに転換するかを、適切に、適度に、導いてくれます。そういう意味で、縁結びや夫婦円満、人間関係円満のご利益があるとも言われます。まぁ、なんでも叶えてくれるわけじゃなく、貴方にとって本当にいいモノや状態を導くためのサポートをして下さいます🙏))

 

さて、明王と言えば、不動明王が最も有名ですが、この不動明王は大日如来の化身であって、あらゆる煩悩(己を苦しめる原因となるさまざまな想い)を打ち砕いてくれる仏様です。愛染明王も不動明王も見た目は怖いですが、その内面は愛に溢れています。真言(マントラ)を唱えながら、意識を合わせると、その内奥に、観じるモノは、見た目とは異なります。

 

 

ーご参考まで(気になる方へ)ー

 

不動明王真言

のうまく、さんまんだ、ばさらなん、せんだまかろしゃな、そわたや、うんたらた、かんまん

 

愛染明王真言

おん、まからぎゃ、ばざろしゅにしゃ

ばざらさとば、じゃくうんばんこく

 

**宗派によって微妙に違いますので、しっくりくるモノ、唱え方を、選んで、探究してみてください。短いバージョンの真言もあったりします。3回、7回、21回と、その時に必要だと感じるだけ、“無心に”、唱えてみてください。心で念じてもOKです。意識が変わって、調整されて、最もいい方向へ、向かいます🧭**

 

**ちなみに、今、表面的に願っていることと、霊的魂的な願い(内容や質、方向性)が異なる場合は、霊的魂的な真実の願いの方に運ばれますので、なんか違うぞって思わずに、これが正しく導かれているんだと信じて、その正しさを観じるようにしてみてください。そうすれば、そこに、正しい気付きも起きてきます。それが、起きる現象を正しく観る仏の(時に、常に、僕らの想像を遥かに超える)智慧です。**

 

ーご参考まで、終わり。ー

 

 

 

貴方の身近にいる、一見恐ろしい??存在も、内心では必死に、何かを伝えてくれているかもしれません。その愛の側面に意識を合わせれば、物凄く安らかで温かで慈悲に満ちたような意識が、洗(現)われるように、湧き上がってきたりします。本気で、そこまで意識を持っていけば、実際に、現象として具現化することもあります。((まぁ、これはかなりハードル高いことを書いていますが、、))まずは、愛染明王さん不動明王さんで、練習してみるのも良いかもしれません♪なんて🥴

 

意識をどこに向けるか、心を、身体をどこに向けるか、ひとつひとつ、ちゃんと丁寧に教えてくれます。貴方が、それを求めるならば、それを観じようとするならば、必ず、ヒントが、様々な現象として、渡されます。ちゃんと、運ばれていきます‼️

 

 

メッセージの意味を、貴方の状況に照らして、合わせて、観じて、そこから、思考と行動と直観が、日常に反映されていくのを、観じてみる

 

 

正しい導きを、選び続けて、観じ続けて

何度でも、問い直して、動いて、留まる

 

 

((自分の中にある?誰かの?恐い?敵対する?意識と向き合っている方がいらっしゃったならば、そんな貴方も是非‼️まぁ、今どうしても無理そうなら、一旦退避するも吉です👍そこから導かれるものもあります🧭とにかく、今ある、全てを、よく観じて、動いて観る、止まって観る。))

 

 

ちゃんと、一つ一つ

解決(解消)していきますから

本当に大丈夫ですよ🌱

 

 

 

P.S.

今回の余談を書く前に、なんか“金(こん)”のつく存在から呼ばれているんだけど、正確な名前がわからなくて、、と思ってたら、一つには、金剛薩埵さんだったみたいです。存在は存じ上げていたのですが、愛染明王とのご関係は、初めて認識しました‼️(これ→“金”への意識がなかったら、今回のような、“四角関係”の余談の内容にはなっていなかったかも←🦆ほんの少しの何かが、何かに、繋がるとっかかりになったりすると云う、これもご縁←愛染明王の力)

 

 

 

うまくまとまったところで🙇‍♂️

今回は、お仕舞い、獅子舞🐲

 

 

 

 

 

|

 

いつも、僕らが、全宇宙が

万物万象が、あるべき姿に

 

真の願意と、真のご縁繋ぎ

平穏無事に、大難を小難に

 

過ごせますよう、微力ながら

日々、お祈りしております🙏

 

|

 

 

 

 

 

本当に必要な時に

本当に必要な体験へ

 

 

 

((それを手繰り寄せるも

あらゆるご縁の力です))

 

 

 

また、出会うべき、時空に👋

いつでも、お越し下さい🙏

 

 

 

ーご挨拶ー

 

初めましての方も、少しご無沙汰の方も

お久しぶりでございます🙇‍♂️

 

((昨今、色々な出来事や変容が、外的にも内的にも様々あり、これは全く僕自身の問題でもあるのですが、、長くお留守になってしまい、お待たせしてしまった方、ご心配をおかけしてしまった方には、大変申し訳ございません🙏))

 

 

((前回の豊雲野の意識に、まさに雲隠れしてしまいました、、ただ、サボってた🌵わけじゃ決してありませんよ、、))

 

 

また、お会いできて、このような機会を与えて頂いて、本当に本当に大変嬉しく想います🙇‍♂️

 

 

 

さて、本題です。((挨拶の、本題です、、))

 

 

 

なぜか、今回フルコースでのお食事(メッセージ)のご提供ということになったのですが、、

 

 

((それを、自分自身で紐解いていく、というようなことも、メッセージを書いていく過程で起こっていきました。その辺りを、まず書いています🙇‍♂️余談・蛇足も含めるとかなり長いので、不要な方は、スキップして🪽どうぞ🙏))

 

 

禅において(最近なぜか触れることになったスーフィーにおいても)、食事は非常に大切で、食事を作るのも修行であり、修行者の食事を任されるのはかなりの重役・重責だとも云われます🍚

 

これは、食事を作る人の意識状態がどれだけ、食事とそれを食べる人に影響するか、と云うことを意味します。もちろん、それは、食事ばかりではないのですが、食事はまさに、我々の肉体を作るモノであります。精神(心・魂・霊)の食事は、あらゆる情報と体験(苦楽ともに)と学びであるといえるでしょうか。そこには、言語的なものも非言語的なものも含まれます。一方で、心や魂にも、肉体的な面と、霊的な面がありますので、食事も情報も互いが互いに影響を及ぼすとも言えます。霊と体を繋ぐのが、心や魂の働きです。どちら側からも作用と反作用があります。いずれも疎かにすることはできません。霊主体従とも云われますが、体からの作用も無視はできません。かといって、霊と体が対等かというと、それも違うように観じています。普通に生きている分には、霊の声とか体の声とかわからないので、自分の内から発せられるものは大なり小なり全て大事にすべきであるというのが、ひとまずの落とし所でしょうか??とはいえ、霊の声に従えば、自ずと体も整うというのが、答えかなとは観じるものの、霊的観点と肉体的観点の、どちらの声も聴く受信装置であり、その釣り合いを取ろうとする行為や思考を生み出す発信装置でもあるものが、魂や心の働きであろうと観じています。また、その受信能力も調整能力も発信能力も鍛えるというのが、僕らのいわゆる修行と学びといってもよいでしょうか。おそらく、一般には大多数の人は、霊的観点というのは無視して生きていると思いますが、そこに目醒めた方は、そっちのバランスも考えねばならないという。その段階においても、((その人の今の状況・段階によってケースバイケースであるとしても、))肉体的観点も無視してはならないという。**さて、この辺りの用語は、全て非物質的な概念であって、なかなか定義も難しく、使う人によって捉え方が違うので、今の貴方に必要な解釈を、この文脈の中からうまく汲み取っていただけますと幸いです🙏**

 

 

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体に入れるもの、心に入れるもの

頭に入れるもの、全て僕らを造る

 

必要なものと、不要なものと

選ぶとしても、選ばされる

 

その時に、必要なモノ、貴方に

選んで、選ばれて、満足する

 

全てのご縁が、僕らを繋ぐ

命の糧に、全ては、食事と

 

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ー余談、蛇足。(禅の話、聖者の話、僕の話、悟りの話🌱)ー

 

 

さらに、もう一段、

今回のメッセージの意味に踏み込んでみます

 

 

👣

 

なぜ、今回、禅の話が出たのか??

 

👣

 

 

食に加えて、もう一つの理由は、仏教宗派の中でも、禅宗において、釈迦牟尼仏が御本尊と

なっているからです。

(↑これは、後に、ふと気付かされました。何気なく、思うこと、すること、全て、隠された意図があったりします🌱)

 

意外にも、その他の仏教宗派において

釈迦如来が御本尊となっていることは

あまりなかったりもします。とは言え

全ての仏様の原型は、お釈迦様です🗒️

 

同様に、全ての仏教宗派は

お釈迦さまの教えであって

そうでないともいえます。

 

((お釈迦様の弟子たちが、文字として書き記す時に、翻訳の過程で、後続の方々の、色んな解釈の中で、宗派によって、さまざまに変わってしまっている面もあると想います。そのどれが正しいとか間違っているとか、優れているとか劣っているとかではなく、それら全ての良い面を全て掬い出してこそ、共通項・最大公約数を掬ってこそ、ある種の真理や悟りと言えるようなモノに、近いものが得られると観じています。その悟りは、一つや二つでは無く、数え切れるものではありません。言葉にした瞬間に、それは、悟りではなく、一つの概念になってしまいます。それは、それだけによっては、悟りとは、言えないものに、なってしまいます。“古(いにしえ)の過去は、口伝ということが重視されました。これは、お釈迦様も、イエス・キリストも、孔子も、古事記編纂以前の伝承も、同じです。(少なくとも、現代に残っている書物は本人が書き残したものではありません。)ここにも、様々な意味や理由があったとしても、一つには、文字そのものではなく、音に込められた、氣や意識といった非言語情報を大切にしていたことも、伺えます。時には、(耳に聴こえる)音さえも、不要です。お釈迦さまが、摩訶迦葉という弟子に、(言語情報を全く使わずに)悟りを伝授した話は、特に、禅の世界では有名です。お釈迦さまは、摩訶迦葉だけに伝えたのではなく、摩訶迦葉だけが、それを受け取って、理解することができたのです。仏というのは、仏の教えというのは、本当に会い難いものであると云います。それは、そもそも、そういった教えに触れることが少ないということに加えて、出会っても、それを本当の意味で理解することがどれだけ難しいかということでもあります。実は、全てが、仏で、仏の教えであるとしても、気付かない時には、気付かないのです。それも、また必要なことでもあるとしても、、本当に大事なことは、カタチあるモノのみによっては、伝わらないものです。ただし、文字になると、見えない情報が、全くなくなるかというとそうではなく、観じる人は観じることができると思います。何を観じるかは、その時の、その人、その意識、によって変わります。時には、それを観ること、聴くことすら、適いません。))

 

 

**(参考までに①)

今回のメッセージは、今の僕という意識が、釈迦如来という意識を通じて、掬い出した言葉であって、それもまた、お釈迦さまの言葉であり、そうではないものです。また、今の僕自身という意識を通して伝えられるべきことでも在り、今のお釈迦さまという意識を通じて伝えられるべきことでも在ります(そこに、宇宙の意思があるのを観じてのことでもあります)。自身はというと、その全ての意を汲もうと、一言一句に、問いかけて、僕の今の理解の範疇で、時に、理解を超えた直観により、一心に、なるべく我を廃して、今ここに表現されるべきものは何かと問い続けながら、書き表しています。また、それは、現在過去未来、全ての釈迦如来という意識を通じたモノであって、ゴータマシッダールタという肉体を持って生きた一人の人格ではありません。また、僕という存在、僕という意識の本体も、そのようなものであると観じています。それは、もちろん僕だけではなく、全ての存在が、そう。((これは、過去・現在・未来の全ての投稿も同様のスタンスで、メッセージを記述しています。))何故、他の存在を、意識を持ち出すのか、それは、それらの意識や存在も僕という存在意識の中に生きているモノに他ならないからであって、僕という意識の一部であって、その時々に、その意識と繋がることが必要とされているのを観じるからです。その全ての意味が、その瞬間には、わからなくても、ただ、それが必要で在ると、渡される瞬間が、来ます。((これも、様々な因果縁起の中で、生じてきたことであり、また今も、生じていることに、他なりません。ここに示したことが、その全てを説明しているか、というとそういうわけでもない部分も、また出てきます。本当に全てを伝えるというのは、意識そのものの繋がりなくしては難しいのです。それは、完全なるテレパシーであって、宇宙の根源に通ずる、濁りなき真我((超意識))なるものにしか見出せないものです🌱言語を超えて、汲み取る力です💪それを智慧に変えていきます📚どこまでもその智慧も超えていきます🚀宇宙の叡智は、決して、留まることはありません🌌))**

 

 

**(参考までに②)

禅は、全ての衆生に、本来、仏の心が宿っているという、お釈迦さまの教えを大切にしています。そのことを、坐禅の中で、公案(悟りを開くために師から与えられる課題)と問答の中で、また、日常生活全てを修行の場として、見出していきます。その公案・問答というのも、理屈を超えたモノであって、全ては、言語を超えて悟るということを徹底しているとも言えます。意味わからんってなるかもしれませんが、そこに、ある意味、真理があります。また、現実世界に起こる、意味わからんと思うような、時に、理不尽であるようなことこそが、宇宙からの現象を通じた“天然素材の公案”でもあります。その段階においては、そこ(理屈を超えたモノ)を外しては、辿り着けません(その時には、そのようには、観じないということもあったとしても)。何によって悟りを得るか、弟子にも師匠にもわからない部分があるというものをも観ます。ある意味、師は(あるいは、宇宙は、翻って、己も)、全てわかった上でやっているとも言えますが、実は、師匠が悟らせるのでも、弟子が自力で悟るのでもないというものをも、観ます。全ては、準備が整って初めて、それが起こります。ここの投稿の全ても、ある意味、僕と師の、僕と弟子の問答でもあるのかもしれません。(ここに書いた内容も、禅の世界に限った話ではないのを観じています。仏を神(特定の個別の人格神ではなく、その全て、あるいは、全てである神)や大いなる存在、宇宙(地球に対する宇宙ではなく、全てを含むものとしての、万物万象、森羅万象、八百万の神々)などと読み替えても構いません。言葉という概念を超えた意識(阿頼耶識((あらやしき)))によって認識される領域、あるいは、その意識そのものです。そして、スーフィーにおけるアッラー((一般には、イスラムの神であり、しかし、アッラーは、神でさえないともいわれる))とは、阿頼耶識のことだと、言われたような気がしてならない体験をしました((これは言葉で表現するのは難しいのですが、、ただ、言葉にならない、慈悲慈愛と感謝感動の相まったようなモノが強烈に溢れてくる←日常的に、大小様々、よく起こります。実は、常に気付かずとも、通奏低音のように常に鳴り響いているものでもあります。そこには善悪正邪といった二極化された意識はありません。それは、悪や邪を良しとする意識というわけでもありません。絶対的な善性、つまり、道に適っているということです。そこに常に気付いていること、その音を、別な何か(理屈や感情、あらゆる観念)で、覆い隠したり、変えてしまったり、しないことが、悟りでもあります←それも一つの表現に過ぎません。道を行く時に、理屈や感情や観念が皆無かというとそうではありません。大いに迷うこともあります。道は、道を行こうとする限り、何事も、否定的には捉えません。その善性を、失わない限り、道であり続けます。己にとっての道は、常に、今の、己にしかわかりません。))。ちなみに、これまた、たまたま、ほぼ同時に、唯識((ゆいしき))に関する本を読み始めていたのです。とはいえ、その内容をそのまま書き写しているわけではありません。その精髄(エッセンス)ともいえるものが、まさか、それが、アッラーぁっと、質的にも、言葉的にも、繋がるなんて思いませんよね🥴✌️、、本当に、本当に、感謝しかありません🙏(”冗談みたいな話ですが、、((そう受け取っていただいても構いませんが、、))“、“ただの言葉遊びと思った方、言葉を舐めてはいけませんよ”、“本質的なものは、いろんな意味で、全て繋がってきます”、“うまく運ばぬことも、うまく運ぶために、日々、鍛えられて、常に、有難きことと、全て受け入れて、常に、護られる“)**

 

 

 

 

((さらに蛇足。。“どんだけ書くねんっ🫲って自分でもツッコミたくなるのですが、、全て、読んでくださっている方、本当に有難うございます🙏クドクドした説法⁉️だったかもしれませんが、仏典というものも、非常にクドクドしていると感じることもあります(口伝だからということもありますが、当時のインド周辺特有の表現方法ということもあるみたいですが、師も弟子も同じ言葉を執拗に繰り返したりするのですよね、、)。本当に大事なことは、何度も何度も繰り返しても、なかなか伝わらず、理解できず。。それが、互いに互いを、うんざりさせることもあるかもしれませんね。。本当に大事なことはいつも、言葉だけで即座に、シンプルに、理解できるものではないのです。何度も何度も繰り返し聴いて読んで、何度も試して体験して、ようやく、ほんの少しだけ、わかってくることもあります。それでも、わからないこともあります。わかろうとしていない、ということもあります。シンプルな言葉だけで、すぐに論理的に理解できると思っているのは、実は、ただの勘違いであることもあります(これは、あらゆる分野の学問知識も同じで、道と云われるものは、特にそうであると言えます)。これも、敢えて、クドクド書いたというよりも、気付いたら、必要だと渡されるものを書き続けたら、必然的にそうなっていたというだけで、これもお釈迦さまの意識の一つの現れかもしれないと気付いて、この注釈を書いてみました(また、全然違う意味もあるかもしれませんが、、)📝本当に大事な、文脈・行間に隠されたモノを見出すには、大量の文章や体験が必要であるということもあるのだと、ご理解いただければ幸いです🙇‍♂️ 不要な方は捨て置いていただいて構いません。しかしながら、インスタントで、ファストなものばかりでは、本当の意味で、深みのある味は、出し難い、あるいは、感じ難いものです🙏とはいえ、そこにも様々な智慧や工夫や技術が詰まっているからこそ成立するのですが、、一時的には、美味しく感じても、後味悪かったり、後々、健康を害したりすることもあります。全く平気な人もいますけどね。敏感な人は、添加物や農薬やあらゆる化学物質の味(必ずしも味覚とは言えないような感覚)や、質の悪い調味料や劣化した油、質の悪い油の味を、不快に観じると思います。様々なモノの氣という調味料もあります。気にならないなら気にしなくて大丈夫かもしれませんが、気になる場合は、できる範囲で少しずつ変えてみるといいと思います✌️(どうしても避けられない時は、もう気にしないことです👍どうしても気になる場合は、何か、できる範囲で、変えたほうがいいかもしれません🙏あるいは、変えることを意識すれば、次第にそっちを選択して、自然に変わっていきます💡ただし、急な変化、大きな変化は、反動(好転反応とも呼ばれる)も起こりますので、悪化してしまったと思わないように、よく注意してみて下さい。とはいえ、無理は禁物です。好転反応や反動も、起こるべくして起こりますから、それを撥ね付けずに、応ずることも、大事です。そのことに、常に、気付いていることが、大切です👀いわゆる、覚醒体験、能力開花にも、あらゆるモノゴトにも、そうゆう側面があります📝)色んな情報や知識も同じです🗒️全ては、その時の自分に合ったモノを、正しく使わなければ、毒にも薬にも、成り得ます🌱毒見を体験するのも学びですが、、あるいは、毒も薬も、そこに浸りきってしまえば、天国(でもあり地獄)でもあるかもしれません。。でも、、毒も薬も必要ないのが一番ですよね☝️日常摂取するものを、なるべく今の貴方にとって良いものに変えられるといいなと、常に願っております🙏))

 

 

 

 

 

 

大変長らく

お待たせしました🙇‍♂️

 

ようやく、お食事の

準備が整いました🍚

 

 

 

 

 

((ここまで、食前酒でした🍶))

 

 

 

 

 

((もう、お腹いっぱいーって方は、

また後日でも、大丈夫ですよ👌))

 

((本当に、氣(プラーナ)だけで、

お腹一杯になったりもします🌳))

 

 

 

 

((無理しないこと、大事です🙏))

 

 

 

 

((一晩寝ただけで、びっくりするくらい

何かが変わったり、理解できたり!?))

 

((そういうことも、あります))

((無意識の、学習・情報整理))

 

((睡眠も瞑想も、その一つ))

((色んな意味が、あります))

 

((真理の探究に、瞑想は欠かせません🧘))

((祈りの時間としても良いと思います✌️))

 

 

 

 

✌️ピースは平和の象徴です🕊️

心の平和が全てを平和にします

 

 

 

 

 

 

ー前菜ー

 

 

こちらは、以前、どんな意識とつながるでもなく、その時に必要を観じて、ノートに書き留めた言葉です🗒️

 

今回のメッセージに丁度いいかなと想い

ご提供させて頂くこととなりました🙇‍♂️

 

 

 

全ての人々の苦しみを抜く

 

苦しみの果(過)をなくす

苦しみの因(陰)をなくす

 

苦しみを陽(要、用)に転じる

 

苦しみそのものではなく

苦しみを生んでいるものを

 

用に転じて、苦しみを

変容させる、苦を抜く

 

(真なる)不要を受容せず

(真なる)必要を受容する

 

そこに苦もなく楽もなく

ただ、静寂に、平穏に

 

必要と喜びと感謝を

享受する、拝受する

 

我ものとして、我ものとせず

表現せずして、表現せらるる

 

 

 

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その時の、貴方の心を

最も深く、観じるもの

 

己を導いていく、道

静寂と至福の、時空

 

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取り除くことによって

取り入れることによって

 

互いが互いに、促進する

互いが互いに、抑制する

 

 

 

 

|

 

良薬は、時に

口に苦く、甘い

 

今に、合うもの

うまく、取り入れる

 

|

 

 

 

 

 

 

ーメイン料理をお選びくださいー

 

 

必要な方は、幾つでもどうぞ

 

((どうぞ、ゆっくりと、よく噛んで🙏))

 

 

 

 






 

 

 

< 左

 

|  真ん中

 

> 右

 

 

 

 

 

 

 

 

ーメイン料理ー

 

 

複数お選びの方は

お好きな順番で

 

 

 

 

 

 

 

<

 

左のメニュー

 

<

 



 

<

 

31.ANCIENT DO DAYS

 

27 ANGEL OF PROCRASTINATION

26 CONSCIOUS STEPS

 

THANK YOU

37.WIRITE A LETTER

 

<

 

ーメイン料理ー

 

太古から続く、日は

灯であり、秘である

 

((“ひ”は、他に霊、火、陽、緋、悲、etc.))

((今の貴方の観じる漢字を感じて見て観る))

 

星々の、光でも在り

貴方の、光でも在る

 

秘された日の

灯を絶やさず

 

今という日にも

燃えている秘密

 

その全てから紡ぎ出されていく

それは貴方という存在を超えて

 

貴方はそれを、常に感じている

そこから決して、愛を背けない

 

愛は、目であり、芽である

愛は、滅であり、迷である

 

((愛のカタチとは、固定的ではない))

((貴方にとっても、全てにとっても))

 

貴方ではない、愛の芽を摘む

貴方ではない、迷いを摘んで

 

一つ一つ、よく見極めて進む

貴方であるものを、肯定して

 

貴方が、貴方であるということ

貴方を、貴方にしているものに

 

それは、全てと共にあることに

全て、貴方を貴方にしていると

 

どこまでも果てしなく、愛を献ぐ

どこまでも限りなく、光に捧げる

 

どこまでも、全てに、献げる

全ての、日(灯)を、癒すため

 

全ての貴方への、手紙を虹にする

美しく、愛おしく、全て、其処へ

 

 

ー付け合わせー

 

太古から続く日というのは、今の貴方という存在が、太古の昔から永遠と続いているということ。そこには、様々な解釈があるとしても、そこに確かにあった日々は、全ての日(灯)は、今に秘されているとしても、全て受け継がれている。それを、全て解き明かすには、あまりにも、膨大な情報が必要になる。今、貴方が知るには、頭で、言語的に、その全てを処理するには、あまりにも無理がある。それは、貴方だけの問題ではなく、誰しもがそうである。脳という構造の、人間という構造の、言葉というツールの、キャパを超える。ただ、それを超えて、伝わってくるモノが、確かに在る。それを観じていればいい。今、必要なものが、必ず、一つ一つ、渡される。それを、選ぶことも、選ばないことも、必要なこと。その全てが、貴方を貴方という存在にしていることに、感謝を、向けてみる。わからなくても、わかろうとしてみる。貴方という存在のことを、知ろうとすればするほど、全てのことも、わかるようになってくる。貴方の中の、様々な貴方に、((できる限り肯定的に、とはいえ無理矢理に肯定しなくていいから、とにかく、それが、今あることに、その意味に、))感謝と謝罪と愛と許しの意識を向けてみる。それだけでも、全ての、貴方への、愛の手紙になる。貴方が触れる、全てへの、愛の手紙になる。それは、ちゃんと伝わっている。貴方も、確かに、観じている。たとえ、今はまだ自覚がないとしても、貴方は、全て、観じている。それを自覚する時である。あるいは、さらに深く広く、何かを悟る時である。それは、永遠に繋がるモノである。貴方という永遠、宇宙という永遠に、生死を超えて、そこに、今に在る。

 

 

ー見えない、何かー

 

慣れない味に、最初は戸惑うこともあっても

その美味しさに、気付いて、癖になることも

 

どうしても、合わない時は、合わない

それもまた、必然と偶然と、気のせい

 

((気のせいとは、真実ではないということではなく、そこに働く氣が原因であるということ))

 

タイミング、その場

様々な、因果縁起に

 

その気も、偶然と、必然と

共に、有り難く、味わう時

 

全て、乗り越えて、一つに

一つ、乗り越えて、全てと

 

<

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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真ん中のメニュー

 

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26.MAITREYA

 

1 ANGEL OF ADVENTURE

40 ASCENDED MASTERS

 

SELKIE

44 YOU KNOW THE WAY

 

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ーメイン料理ー

 

貴方は、常に、誰かに

何かを、教わっている

 

全ては、そうであって

そこに、例外はないと

 

教わるということを、何を以てするかは

人によって、存在によって、違うとして

 

教わるということを、どんな存在から

享受するかは、それぞれ、違うとして

 

全ては、その導きの道の、上にあって

それを、全てが、それぞれに、選んで

 

何かを誰かから、学ぶとも学ばずとも

全ては、その人生を、歩んでいくもの

 

貴方が知らずとも、偉大な精霊や聖者の

智慧や導きが、現象となって見出されて

 

それによって、全ては、動かされていく

真逆のことをしているように、見えても

 

実際は、そうではないことも、ある

実際に、そうではないことも、ある

 

しかし、それも、宇宙という法の下

その現象が起きるということは、法

 

((法に則っていることしか、起きない))

((ここでいう法とは、善悪の類に非ず))

((全ては法であり、貴方も法であると))

 

貴方という存在が、顔を見せている

その姿を、貴方自身も観る時が来た

 

どこまでも、貴方自身を、信じて

貴方自身の、全てを、信じて

 

直観に、正しく、委ねて

その正しさを、信頼して

 

 

ー付け合わせー

 

直観を、信じるということは、思考を、全て、否定したり、拒絶するのではなく、霊的感性に従うということは、物質的な現象を、全て、無視したり、ないものにすることではなく、全てを繋いで、生きるということ。平等施一切(←この言葉から、今の貴方がもっとも必要だと思う解釈を)。偏りなく、滞りなく。思考や嗜好(論理や理屈や我執)に偏らずに、直観に委ねてみる。あるいは、個人的な嗜好や癖こそが、((それが、正しく使われるならば))、功を奏するモノでもある。とにかく、自分自身に、起きること、起こされることに委ねて、その正しさ((自己への導き))を、見出していく。そこに、直観を働かせて、思考だけで判断せずに、冒険していく。貴方が信じられるモノと場所へ、信じられる時に、直観のまま、冒険してみる。日常のさまざまに、冒険してみる。それに慣れてしまえば、大きな冒険も、((大きな難なく、あるいは、小難に無難に、))うまくいくようになる。うまくいっていないと思えるような時期も、何らかの意味において、別の側面において、何かが順調に進んでいて、何かがうまくいっている。((何らかの修行やトレーニングや教育準備期間であったりするのだと、))それを、貴方は観じることができる。それを、観じれば観じるほど、本当にうまくいくようになっていく。最初は、思い込みや、ただの偶然だと、感じてしまうこともあるかもしれない。でも、それはただの思い込みではなく、本当に、それを、真実身をもって、観じることができる。冒険という言葉も、大小・性質・様々に捉え直して観る((何らかのチャレンジや、日々のさまざまな些細な選択や、選択の方法に、変化を取り入れてみる。変化が変化を生む。習慣が習慣を生む。よくないモノを除き、良いモノを取り入れる。何が良くて何が良くないか、それを今の貴方の正しい直観に委ねる。常に、貴方の(宇宙の)望む貴方をもたらす選択をする))。その時に、最適なモノが差し出されて、それを、掴むことができる。((その時の、貴方にとって正しいモノを、正しい方法で、量的にも質的にも、適度に、))リスクや負荷も、安心や安全も、共に取ることができる。それは、常なる日々の研鑽の成果である。それは、((奢りにならぬ程度に、、))しっかり誇ってよい。どこまでも無常なる全てに、貴方の日々が、安定を生み出す。今この瞬間の答えは常に目の前にある。それを一つ一つ選んで、一つ一つ実践する。その全てに、貴方と寄り添っている🌱

 

 

ー見えない、何かー

 

全ては、貴方から始まる

それは、貴方の宇宙の中

 

全ては、貴方自身に、教わる

誰かから、貴方の中に、観る

 

貴方が起こすもの、起こされるもの

全てが起こすもの、起こされるもの

 

全ては、全てのためにあると

貴方は、全てのためにあると

 

貴方は、貴方のためにあると

全ては、貴方のためにあると

 

いずれかではなく、いずれでもなく

両方ともであり、両方ともではなく

 

((その時に、必要なもの、偏りなく))

((その時に、必要なもの、偏っても))

 

ただ、今、この一点は、全ての点と

ただ、今、全ての点は、この一点と

 

共に、動いていき

共に、動かされる

 

|

 

 

 

 

 

 

 

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右のメニュー

 

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29.HEALING

 

28 ANGEL OF REMEMBRANCE

32 KINSHIP

 

LADY OF THE LAKE

12.EMOTIONS ARE THE REFLECTION

 

>

 

ーメイン料理ー

 

母なる大地と、母なる宇宙の

癒しの力に、全てが抱かれて

 

調和した姿に、意識を向けて

全てが、癒されるのを観じて

 

癒すものも、癒されるものも

互いに癒されるのを、観じて

 

全ての、モノ・意識・記憶も

想いを寄せては、癒される時

 

親族、血族、あるいは

社会的な関係性の中で

 

貴方から始まる癒しは

その全てを癒している

 

それが明らかに水面に

浮き上がって映される

 

何かが、新しく

始まって、動く

 

貴方の感情や様々な感覚の

その意味を深く再認識する

 

全てを癒しに使っていくと

全ては癒しに変わっていく

 

 

ー付け合わせー

 

何故、母なる大地、母なる海、母なる宇宙なのか、、それは、全体なるモノと、個なるモノの、関係性として、観ることができる。その関係性は、あらゆるレベルにおいて、存在する。様々なものが、何らかの意味において、類似の構造を持っている((それを、フラクタル構造という))。(妊娠中の)母という全体は、子(胎児)を含むが、子は子であり、母ではない。しかし、物理的にダイレクトに繋がっている。父との関係性とは、ある意味で、直接的ではない。とはいえ、実際には、母も父も、その一部によって、子が成り立つ。子は、その両方を((ある意味で、ダイレクトに))孕んでいる。それは、また、逆の関係性をも成り立たせる。((観る地点と視点と切り取る角度を変えれば、))父も母も、翻って、子に抱かれている。大宇宙である全体と、小宇宙である個も同じである。大海の一滴と、大海を分け隔てるものは、実は、どこにもない。全体から部分を取り出した時にだけ、それらは区別される。しかし、部分を取り出した瞬間に、その全体は、((その部分を含めずには、))全体ではなくなる。互いが、互いに、一心不離に、抱き合っている。((いずれによっても、いずれもが成り立ち、いずれともに成り立たせている。))それを、母と子の関係性に観る。父と子の関係性にも観る。全ての関係性にも観る。自己と自己の関係性にも観る。そこに宇宙の構造がある。((変わりゆくモノと、変わらぬモノがある。))一方通行ではなく、相互通行であって、一対多であり、多対一であり、全ての関係性は、その時とその場に、映り変わる。渡すモノと渡されるモノは、巡り巡って、一滴となり、大海となる。どこまでも、共に、離れることなく、そこに在る。そこに響くモノに何かを見出す。読み替えて観る。置き換えて観る。何かが見え始める。何かを感じ始める。そこに深い自覚が生まれ始める。何度でも何かを見出していくことを厭わずにどこまでも続いていくモノを見出す。それは、永遠に限りなく、止むことなく、続いていることに、意識を向けて、常に、今、共にある。((理屈ではなく、そこに在るモノを、愛(めで)て観る、理解せずとも、理解する))それが、全てを癒していく、本当に全てを癒していく。それを、信じて疑わぬこと。ただ、それだけに、今、常に在ること。そこに、感謝を向けて、常に、そこへ向かう。今、そこに常に在る。それは、言葉を超えている。

 

 

ー見えない、何かー

 

どこにでもあって、どこにもないもの

常にはなく、常にあるもの

 

その時にしかなく、その時にあるもの

その場にしかなく、その場にあるもの

 

貴方にしかなく、全てにあるもの

貴方ではなく、全て、でないもの

貴方にしかなく、全てにないもの

貴方ではなく、全て、であるもの

 

((そのように見えて、そうではないもの))

((そのように見えず、実はそうであると))

 

全て揃えて、全て揃わず

全て揃わず、全て揃へば

 

((一つの中に、全てがあり))

((一つの中に、全てはなく))

 

全ては、癒しと、感謝に

全ては、抱き合う、一つ

 

>

 

 

 

 

 

 

 

 

ー食後のデザートとドリンクー

 

 

全てを堪能して、五つの味が一つ

全て揃って、満足感が得られます

 

己の中に、味わうもの

他の中に、味わうもの

 

 

 

|

 

不要な、想いを抜く

ただ、今に集中して

 

全てを、行為せず

全てに、行為す

 

急がば回れと

焦ることなく

 

ただ、今に

ただ、一つ

 

全ての因果に報いる

そこに道は現前する

 

ただ、今に

全て、共に

 

|

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー閉店の、ご挨拶。ー

 

 

本日は、ご来店いただき

誠に、有難う御座います♪

 

ぜーんぶ、食べてくださった方は

本当に本当に有難う御座います‼️

 

どうか、消化不良を起こさぬように

じっくり咀嚼してみて下さいませ🙇‍♂️

 

時に、無意識に、任せても大丈夫です👌

必要な時に、必要なものが、降ります✨

 

 

 

 

 

 

今回は、最初のご挨拶で、余談、蛇足。を書いてしまったので、これにて、おしまい。ラストオーダー、閉店ガラガラ😭

 

いや、いつでも、24時間、無料で、何度でも、お楽しみいただけます🥳

 

その時によって、必要なもの、受け取るべきものは、全く同じモノや情報を摂取しても、変わっていきます🙇‍♂️

 

何度も渡されるモノ、何度でも響くモノ、大切にしてみてください。あるいは、その意味を、何度でも、考え続けて、己と宇宙の真なる希望を、今に、捉え続けて、観てください🙇‍♂️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|

 

いつも、僕らが、全宇宙が

万物万象が、あるべき姿に

平穏無事に、大難を小難に

 

過ごせますよう、微力ながら

日々、お祈りしております🙏

 

家内安全、福徳円満

七難即滅、七福即生

所願成就、病気平癒etc.

 

全て、己の仏と繋がって

その瞬間から成就します

 

時に、忍耐も、必要です

時空を超えて、叶います

 

今、必要な意識が思考が

行動が在り方が訪れます♪

 

全ては、全てへの

愛を、表現します🎶

 

|

 

 

 

 

 

 

本当に必要な時に

本当に必要な場所へ

 

 

 

 

また、出会うべき、時空に👋

いつでも、お越し下さい🙏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3択です‼️

 

 

 

(いや、本当は、別々に出すつもりだったんですが、、一つにまとめなさいということでして🙏)

 

 

 

急遽、3択になったので、今回は

デッキの種類でご選択頂ければっ🎶

 

 

 



 


 

(複数選んでも、全てのメッセージから必要なモノを受け取っていただいても、日を置いて見ていただいても、全てご自由にどうぞ🗽)

 

 

 

 

|(天の声?)<

 

決めるのも、決めないのも

選ぶのも、選ばないのも

 

 

それも、時と空間に

委ねて、決まります

 

 

必要なモノは、必ず

時と場に、届きます

 

>(終わり)|

 

 

 

 

 

左、真ん中、右のカードデッキから3択

それぞれメッセージを受け取っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**最後に、今回繋がった神霊意識存在についての余談?解説?もございますので、気になる方は合わせて、必要なタイミングで、必要なモノをご自由に受け取って観てくださいませ🙇‍♂️**

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<

 

←左のカード←

 

<

 



 

<

 

豊雲野神(トヨクモノノカミ)の

意識を通じて届いたメッセージ

 

<

 

-THE LIGHT SEER’S TAROT-

 

XVI THE TOWER

SEVEN OF SUPS

 

NINE OF SWORDS

KING OF SWORDS

 

FOUR OF PENTACLES

VII THE CHARIOT

 

-BOTTOM-

NINE OF WANDS 

 

-TOP-

TEN OF WANDS REV.

 

<

 

ー-メッセージ本文(カードリーディング)ー

 

貴方に革命的な変化が起こった

あるいは、まだその途中に、、

 

数ある無数の選択を、無意識にも

乗り越えては、不要なモノは流れ

 

必要なモノは、汲み取られて

今、必然と、残っているはず

 

貴方に、襲ってくるかのような

様々なモノたちは、光に変わる

 

その空気を観じては、そこに

風を送り込む、光の通路へと

 

全てから、観じては

全てから、選び取る

 

最も、確からしいモノ

最も、透き通ったモノ

 

最も、遠くまで

最も、近くから

 

最も、近くまで

最も、遠くから

 

それだけは、手放さずに

それだけは、失わせない

 

そのルートへと

その根源の道へ

 

是が非でも

白黒もなく

 

進んでいく

進ませている

 

全ての想いが

そこに集まり

 

どこまでも

守り抜いて

 

どこまでも

護られては

 

どこまでも

進ませては

 

辿り着くは

一つの終着

 

峠を越えて

さらに続きを

 

 

 

 

ー-補足・解釈(カードの意味によらず)-ー

 

その変化は、強烈に人生を変えて

貴方自身を、変えてゆくモノ

 

悩み多きは、当然にして

心身共に、負担の大きなモノ

 

それを抱えて、進むは

壮絶な迷いも付きもの

 

誰しも、迷い苦しみなく

全て、すんなり順調とは

 

行かぬモノ、それでは

貴方を、活かせぬモノ

 

全てが、貴方を支える

あなたにとっての深淵

 

そこに、貴方の最も

大事なモノを見出す

 

そこから、また始まる

そこに居て、終わらず

 

新しい貴方は、どこまでも強く

貴方の尊さを、強く観じさせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

|

 

→真ん中のカード←

 

|

 



 

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宇比地邇神(ウイジニノカミ)の

意識を通じて、届いたメッセージ

 

|

 

-STAR MAIDEN TAROT-

 

THREE OF PENTACLES REV.

TWO OF SWORDS REV.

 

NINE OF SWORDS

EIGHT OF SWORDS REV.

 

SIX OF PENTACLES REV.

II THE HIGH PRIESTESS REV.

 

-TOP-

TEN OF PENTACLES REV.

 

-BOTTOM-

0 THE FOOL REV.

 

|

 

ー-メッセージ原文(カードリーディング)ー

 

調和の取れたモノを創造する時に

対立する意見や思考は付きものと

 

その対立のタネを解いていく心に

全ての苦悩が解かれて自由な心へ

 

一つ一つの全てが苦悩を解く鍵

全てが一つの苦悩を解く鍵穴へ

 

差し込まれては

今に全てを解く

 

適切な場所に

適切なモノを

 

何と何が、釣り合わず

何と何が、釣り合って

 

対立を生んでは生まず

調和を生まずと生んで

 

全てを働かせて

全てを滞りなく

 

運んで運ばれて

還って還される

 

全て必要なモノ

取捨する最善を

 

導いていくのは

自由で満足な心

 

全て捨てて観る

全て拾って観る

 

その極端さには

繊細な心を隠す

 

どこまでも微細

どこまでも全体

 

隅々まで広々と

豊かさの尽きず

 

 

ー-補足・伝心-(カードによらず)ー

 

時に、試しに、感情を捨てて

熱さも、冷たさも、脱ぎ捨て

 

底(其処)に、見えるモノも

其処(底)に、見えないモノ

 

洗い流して、見えるモノも

沈殿して、透き通るモノも

 

新たな、感情と想いを育み

確かな、意志とモノを育む

 

奥底に沈んだ、表面の上澄

表面に浮かぶ、奥底の結晶

 

転換しては、新たな大地と

組み変わっては、新天地へ

 

 

 

 

 

 

 

 

>

 

→右のカード→

 

>

 




>

 

須比智邇神(スイチニノカミ)の

意識を通じて、届いたメッセージ

 

>

 

-UKIYO TAROT-

 

TEN OF PENTACLES

II THE HIGH PRIESTESS REV.

 

ACE OF PENTACLES REV.

TWO OF SWORDS REV.

 

SEVEN OF PENTACLES REV.

VIII STRENGTH REV.

 

-TOP-

XXI THE WORLD REV.

 

-BOTTOM-

KING OF CUPS REV.

 

>

 

ー-メッセージ原文(カードリーディング)ー

 

この世のものとは、想えない豊かさは

どこからやってくるか、想像もつかず

 

ただ、そのあり在るものを以て知覚す

物質的なもののみによって知覚せざる

 

その在るとも、無きとも、分け隔てず

そこに、希望を繋ぐ、何かを見つける

 

二つのものを一つにして、分割せずに

ひっくり返しても、それは成立すると

 

一つのものを二つにして、分別しても

裏と表は、互いの存在を見出すために

 

選ぶとも、選ばれずに

選ばれずとも、選んで

 

選ばずとも、選ばれて

選ばれるとも、選ばず

 

その全てを、収穫して

その全ては、収穫せず

 

そこに、育まれていくもの

そこから、育んでいくもの

 

一つ一つを、心に刻んでは

一つ一つを、心と育てては

 

その世界に完成を観るもの

その心に映し出されて得る

 

その先に続き、想いを知る

枯れ果てぬ水の、注ぐ場所

 

何にも代え難き、心の住処

その主導権を握って、離す

 

 

ー-補足・伝心-(カードによらず)ー

 

何を知るとも、一面に広がる風景は

それによって影響を受けても受けず

 

それは、独自のものとして描かれる

何を組み立てても、何を使おうとも

 

そこに広がるのは、その世界に

無いものはなく、在るもの観ず

 

何を受け取るとも、それを観て

在るモノを観ては、無いと観ず

 

全てを精査して、製作するもの

製作したもの、全て、精査する

 

全てを観る、世界に映す心へと

繋いでいくのは、遠くも近き今

 

近くも遠き今を、近くする知覚

そこに全てを観ていく、心へと

 

旅しては、還行き

還る度に、先幸き

 

 

**観(み)ず、観(かん)ず、いずれにも読めて、意味は、真逆ではない。いや、真逆だと観ても、間違いではない。今、観じるモノを観てみて、それを採用して、観ていただければ🌱**

 

 

 

 

 

(以下、要らないよって方は

スキップしてくださいっ🎶)

 

 

 

 

ー余談、解説、徒然なるままに。ー

 

“いつの頃からか、雑談コーナーができて、何やらやめることもなく、続いていますが、それも、今、やめるべきではない、と観じるから、という以上には、是(コレ)といった理由はなく、その理由を書こうと思えば書けるとはいえ、それが本当の理由であるかは、わからない部分もあったりします。”

 

なんていう、ダラダラと超長い一文(イチブン)を書いてしまうのは、一般には、避けるべきと言われます。短文で、一文一意とするのが、わかりやすい文章を書くための鉄則です。

 

とはいえ、どれだけ一文が長くとも、その中身がちゃんと伝わるのであれば、問題はなく、一文一文は明確でも、全体を通して、支離滅裂になるのであれば、それはまた、問題かもしれません。

 

あるいは、それは、伝える側にも、受け取る側にも、正しく伝わる要因というモノがあったりします。どこかで、何かが通じ合わないと、伝わらないモノです。それも、ある意味、必然であるかもしれません。互いに、その氣がなければ通じない、ということです。もちろん、逆もまた、然りです。

 

互いに見ている世界、そこに紐づけている言葉、善悪やその他さまざまな概念についての思想や見識、見解などなど、その違いを、どう運んでいくのか??そのようなモノが、テーマになっているようです。

 

それは、結局、自分自身の中に、全て、あったりするのですが。抽象度を上げないと、その共通性みたいなモノは見えにくいモノです。

 

実際に、今回の神様たちは、かなり抽象度の高いところに坐(いま)す。“意識的なエネルギー場(トヨクモノ)”と、“物質的なモノ(ウイジニ、スイチニ)”がはじめて交わる場と言っても良いかもしれません。

 

**コレら三柱の神様のもっと詳しい解説は、さらに下の、次のコーナー(もっと解説、余談。)に、御座います☕️**

 

僕は、言葉というモノも、どちらかといえばかなり物質的なモノであると観ています。トヨクモノという“エネルギーの活動の場”や、“活動そのもの”を全て言葉で表すというのは、かなり難しい面もあります。だからこそ、言葉を超えて、観じるということが、実は、この超物質的な現代社会においても、非常に大切になってきます(と、ボクは観じています)。その場から、観じるものを、思考や行動に映し代えて、物質的な場に現す、モノとして現す。言葉から言葉へと変遷させるだけでなく、一旦、言葉を超えたものに還す。あるいは、言葉にすることなく、最適なモノに移り変わっていくのを、そっと眺めて、じっくり観じて、それを、繰り返す。言葉になっていない、部分を観じて、全体に編み込んでいく。言葉になっていないモノを、否定しない。言葉になっていないモノを、ないモノだとしてしまわない。そういう意識が、今、ことさらに大事になってくるのではないかと。ある意味、僕自身も、その部分について、修行させられて(させていただいて)、そのように仕向けられているのを、観じています。

 

自分がこうしたい、ああなりたい、というのに加えて、今、コレが求められているな?というものを観じていけば、自然とそれがまた、自分がこうしたい、ああなりたいというモノに繋がっていったりします。時に、本当に思いがけない方法で、とはいえ、物質世界的にみても、自然なカタチで、あるいは、超常現象的にも、観えることもあるかもしれませんが、、

 

今の自分が((どうしても))イヤだと感じるものは、((必ずしも))採用する必要はありません。とはいえ、その時とその場に応じて、必然と、求められるモノもあります。それは、ごくごく小さな単位でも、地球的・宇宙的な大きな単位でも。

 

そうして、その時に、ピッタリとハマるモノを採用していけば、不思議とうまくいったりします。自他共に調和を生んで、心穏やかに、その時に必要なモノを喜んで受け入れて、全てがうまく、その時空間(甘)に整っていきます。天地の調和した場は、厳しい部分もあれども、ちょっぴり(いや、かなり!?その時空・領域によるかもしれませんが、、)甘いのです🍡でも、決して甘過ぎることはない🍵そこが、勘(甘)処←なんて🥴

 

 

|

 

大きくズレると、大きく還すために

準備される、時空もあったりします

 

それも、必要と最善のために在ると

観じていくことが、正しく還すコツ

 

大いなる母なる父なる愛です

(母の日は、過ぎちゃいましたけど、、)

どこまでも、追いかけてきてくれますよ‼️

 

愛は、優しくも、厳しくも🌏🚀🪐

愛の大海に抱かれて、坐(いま)す🪼

 

|

 

 

 

 

 

 

(以下、要らないよって方は

スキップしてくださいっ🎶)

 

 

 

 

ーもっと解説、余談。(今回の三柱の神について)ー

 

 

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“豊雲野神(トヨクモノノカミ)”

(←左の選択肢で繋がりました🎴)

/

 

 

豊雲野神(とよくもののかみ)は、広大な荒野であり、まだ何もない。国常立神(クニノトコタチノカミ)の土台に広がる、原野である。そこから、全ての物質的な創造が、本格的に始まってゆく。人間レベルの創造的活動であれば、まだ、意識レベルでの想像から創造へと移り変わり始めた頃であろうか。何を創るにしても、意識レベルで、その性質を決めていかねば、その望むべくモノが造られることはない。大雑把では大雑把なものしかできず、細かく配慮されれば、それに見合ったものが出来上がる。その原野に漂う、想像と創造の源となる雲海が、今、これから、次第に、様々なカタチを成していくところである。

 

この辺りの神は、古事記を見ても、日本書紀を見ても、ただ神の名が羅列されているだけで、ほとんど説明や情報がない。上の記述は、僕の意識に降ろされた言葉(といっても、言葉がスラスラ出てくると云うよりは、意識との対話によって、最適な言葉を探りながら、紡いでいるという感じのモノ。つまりは、僕自身の意識と霊的な意識の融合意識とでも云うべきか??)である。観得した霊的意識の伝えるがままでもなく、僕自身の我を通すわけでもなく、その間を通すように、その場に意識を創り上げていく。まだ明確な言葉になる前の意識の蓄積と変遷、それこそが、トヨクモノノカミという意識であり、働きであり、霊力であると云われているようであり、氣として、意識として、浮かび上がってくるようである。

 

ちなみに、豊雲野神(トヨクモノ)は古事記における漢字表記であり、日本書紀では、豊斟渟尊(トヨクムヌ)との記載である。斟は、水や酒を汲み、注ぐこと。転じて、相手の事情や心情を汲み取って配慮し、取捨選択すること(斟酌;しんしゃく)。渟は、水などが流れずに溜まって留まっていること。上記の僕の意識に降ろされた解説には、豊斟渟尊(トヨクムヌ)の漢字に込められた含意も、汲み取ることができているであろうか。

 

さらに、他の解釈としては、自然の“雲”というところに注目して、五穀豊穣をもたらす“雨”を降らす“雲”の神格化として、解釈されることもあるようである。ただし、まだ、雲として溜まって、漂っていて、雨となって降ってはいない。雲も、物質といえば物質であるが、液体の水よりは、掴みにくいもの、カタチの捉えにくいものである。まだ、その可能性を孕んでいる状態であり、雨となって降るのか、青空へと戻っていくのか、大雨か小雨か嵐か、どんどんと雲がカタチを変えていくのか、それは全くわからない。

 

それは、人生や社会の大きなスパンの中にも起こる現象であり、日々の一瞬一瞬の全ての行為の中にも、常に、生じている意識の作用であるとも言える。種となる意識、感情・思考・言葉・行為、そのサイクルの中で、僕らはあらゆるモノを想像し、創造している。常に、トヨクモノノカミと、共に活動している。それを、自覚するともせずとも、その意識と働きと霊力を使っている。

 

 

 

 

さて、メッセージ本文に出てきた

“貴方の革命的な変化”とは、、

 

❶空気中の見えない水蒸気から、姿を現す雲への変化か

❷雲から雨へ、そして、大地への恩沢(神仏や目上の人から受け取る恵みや利益)へと変わりゆく変化か

❸あるいは、その両方か

 

 

風により、通路により

自然と、カタチが決まっていく

 

そこに、雲や水そのものの

意志はなくても、運ばれる

 

貴方の芯を、掴みさえすれば

余計なモノを掴まず、流されず

 

貴方の中心から、必要なモノが

生まれてゆき、カタチになり

 

貴方にとって、最適な恩沢を

貴方が与えて、貴方も受け取る

 

雲になり、水になる

自由自在に、変幻自在

 

それが、貴方の本質の確信と

革新と核心へ、映り変わって

 

さらに、貴方を、全てを

育んでゆく、貴方の全てで

貴方と、全てを、新生する

 

 

吾(われ)は、常に、貴方と共に

貴方の全てを斟酌して創造する

 

意識的にも、無意識的にも

それは貴方の内にあるモノ

 

全ては、貴方の希望へと

繋がると知らんと行為す

 

 

 

 

ー-古事記に記載されている神の系譜-ー

 

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)

神産巣日神(カミムスヒノカミ)

ー↑ここまで、いわゆる造化三神↑ー

宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)

天之常立神(アメノトコタチノカミ)

ー↑ここに、天界と地界の境目がある↓ー

国之常立神(クニノトコタチノカミ)

→豊雲野神(トヨクモノノカミ)

(以下、省略)

 

ここまで、いずれも独り神であり

男女(陰陽)の対偶神ではない

 

 

**ちょっと、脱線?

 

ちなみに、日本書紀では、

国常立尊(くにのとこたちのみこと)

“国狭槌尊(くにのさつちのみこと)”

豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

の順に登場する。

 

古事記では、

国之狭土神(クニノサツチノカミ)は、大山津見神の子として記載される。

 

国土の土台である砂土(さつち)を、山に属するものとするか、大地に属するものとするかの、解釈の違いと言えるだろうか。

 

ここに、山に対する格別の信仰を観じるのは、ボクだけか、、

 

脱線、終わり。**

 

 

ちなみに、豊雲野神の次には、古事記・日本書紀のいずれも、泥土の神と土砂の神が、一対の対偶神として、登場する。(これが、ウイジニとスイジニである。)

 

豊雲野神が降らした雨とその水の流れによって、砂土が様々に姿を変えていく様を、想像させる。

 

あるいは、地球内部のマグマのエネルギーと大地の脈動が大地を動かして、砂土を、様々なカタチに変えていく。

 

そこには、より上位の神々の意識や働き、霊力が込められて、それら全てを動かしていく渾然一体の作用として、全ての意識の働きが、顕在化して、発揮されていく。

 

 

さて、永遠の意識と、無窮の言葉に

この神の降らす、雨が止みそうにないので

今回は、この辺で、名残惜しくも

神の話は、おしまい、惜しむ舞い

 

 

全ての意識と、どこまでも

高く舞い上がれ、貴方の根源へ

 

 

 

 

|

 

我々にとって、この神の意識と働きと霊力は

如何に重要なモノか推して図るべしと告げる

 

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“宇比地邇神(ウイジニノカミ)”

(→真ん中←の選択肢でした🎴)

 

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“須比智邇神(スイチニノカミ)”

(→右→の選択肢でした🎴)

 

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スイチニノカミ(須比智邇神)は、ウイジニノカミ(宇比地邇神)と、対で語られねばならない。が、、古事記にも日本書紀にもほとんど情報がない。。とはいえ、そこから始めるしかない📝

 

これらの神様は、豊雲野神(トヨクモノノカミ)の次に登場する神である。と言っても、トヨクモノノカミもあまりメジャーではないから、まだ、ピンと来ないかもしれない(、、宜しければ、豊雲野神の解説も併せてどうぞ📝)。もう一つ前に戻れば、国之常立神(クニノトコタチノカミ)である。こちらは、艮(ウシトラ)の金神(コンジン)とも言われる神であって、数ある言い伝えの中には、この神こそが大元根元の神であるとする伝(日本書紀の一説)もある。(稲荷大神秘文にも、登場する。)さらに遡ると、アメノトコタチノカミ、ウマシアシカビヒコジノカミ、カミムスヒノカミ、タカミムスヒノカミ、アメノミナカヌシノカミ。このように書くと、ウイジニ・スイチニノカミは、かなり原初に近い神であるということに気付く。そして、実は、男女一対の神として登場するはじめの神が、ウイジニ(兄、男神)、スイチニ(妹、女神)であるというのが、最も特筆すべきポイントであると言ってもよいかもしれない。

 

 

さて、ここからは、古事記や日本書紀には直接的な記載のない部分になります📝

 

ウイジニもスイチニも全く聞き馴染みのない言葉ですが、、ウイジニは泥土、スイチニは砂土であるらしい。一つ前のトヨクモノは、広大な原野あるいは空間に漂う氣(それが可視化された一例を雲として観ることができると言えるだろうか)。もう一つ前のクニノトコタチは、この物的な宇宙世界の基礎土台、構造基盤として捉えられるだろうか。

(この辺りは、諸説あると想われますが、あくまで、僕の観じる宇宙観・世界観としてお受け取り下さい🎶)

 

その流れを汲むと、ウイジニ、スイチニは実際的に僕らの触れることのできる物質としての最初の神であるとも言える。そこで初めて、男女一対となる。男女は、陰陽であり、二元的な対立する要素によって、初めて物質が生まれるということの象徴を見ることもできる、と言ってもよいのかもしれない。

 

では、ウイジニノカミ(泥土)、スイチニノカミ(砂土)の違いとは何であろうか??

 

ここは、地質学的な違いから見て観ると、泥と砂の違いは、その粒子径(粒の大きさ)の違いということになる。泥の方がより細かく(1/16mm以下)、砂の方がより荒い(1/16mm〜2mm)と言うことらしい。水と混じった時に、これは泥であると観じるのは、まさに、粒が細かいドロドロとしたものであって、砂が水を含んでも、どちらかと言うとザラザラした感じになる。

 

泥の方がよく水に馴染むが、砂の方が水通りはいい。砂の方が、空気が入りやすく、乾燥しやすい。泥は、その逆に、空気が入りにくく、湿潤である。

 

川や海で言えば、比較的流れの早いところ(沿岸部)に砂は堆積し、流れの穏やかなところ(深い海や湖の底)に泥が堆積する。

 

ここで、なぜ、ウイジニノカミ(泥)が男神(兄)で、スイチニノカミ(砂)が女神(妹)なのか??

 

きめ細やかな泥土の方が男で、より荒い砂土の方が女というのは、一般的なイメージからいくと反対のようにも想えてしまう。

 

これは、意外と、男女の本質を捉えているかもしれない。男の方が繊細で、女の方が胆力があったりする。世にいう、男らしさ、女らしさとは、必ずしも、本質を捉えたものではないのかもしれない。あるいは、それぞれの本質的な性質のバランスを取るために、そう仕向けられていると観ることもできるかもしれない。

 

もちろん、一口に男女と言っても、千差万別であって、男はこうあるべき、女はこうあるべきと論じる意図はないのであるが。。古事記や日本書紀の記載によって考察するとそうなる??ということであって、なるほどぉー🎶と思わないでもない🥴

 

 

見た目と、一般に言われることと

その本質は、全く違うこともある

 

それは、男女関係のみならず

あらゆる対として現れるモノ

 

 

さて、スイチニ、ウイジニの違いに

特に拘らずとも、彼彼女らの存在なしに

この地球の大地は、存在しないのである

 

あらゆる植物や農作物も育つことはなく

あらゆる動物たちが、活動する場もなく

 

この宇宙・地球環境を生み出す

礎(いしずえ)であるとも言える

 

 

 

-さらに、蛇足。-

 

現代的に捉えるならば、ウイジニやスイチニを、素粒子(泥)や原子(砂)として、捉え直してみるのも面白いかもしれない。そうなると、トヨクモノは、ダークマターかダークエネルギーか??(コレらはいずれも、理論上存在が認められているが、実態は観測されていない。ダークマターは物質であり、ダークエネルギーはその名の通り物質ではないエネルギーそのものであって、真空がもつエネルギーではないかと言われているらしい。つまりは、それが虚空(アカシック)ということかもしれない。。ちなみに、神仏習合の思想において、国之常立神の本地仏が虚空蔵菩薩になっているケースもあるので、、この見方はあながち間違ってもいないかもしれない??(豊雲野神→ダークマター?、国之常立神→ダークエネルギー?、すなわち、虚空?。この場合、天之御中主神から天之常立神がどうなるのか??という話になりますが、、何をどのように観るかによって、どこに何を当てはめるのかは変わっていきますし、天上界の要素はそもそも観ることができないとも言えるかもしれません。あるいは、ダークマターやダークエネルギーを生み出す要素であるのかもしれません。ちょっと、一般的な古事記の見方からはかけ離れていきますので、ここでは、この辺にしておきます🙇‍♂️)

 

まぁ、、素粒子にも様々な種類があり、ダークマターやダークエネルギーも、その正体は、未知の命名されていないモノの集合体ですから、、あくまで、例えと比喩であるということは、ご注意を🙇‍♂️

 

あるいは、現代科学という枠を超えれば、もっと別の捉え方もできるのかもしれません、、なんて🥴

 

意外と、古代の人たちのような捉え方をした方が、モノゴトはシンプルになるかも??とも思ったり、思わなかったり。

 

科学実験でさえも、見たい結果が見えてしまうということも大いにあるようですし、実際にそういうこともありますから、、本当に、この宇宙は、意識が、全て創り出しているんだと、、

 

 

どこまでも、真摯に誠実に、自らの心にも、万物万象に対しても、向き合うことが大切だなぁと、観じさせられ続けて、病みません👍

 

 

 

 

 

 

 

 

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えーっと、いろいろ書き過ぎて、逆に、迷わせてしまうこともあったり、、あるいは、それこそが、何らかの疑問やエネルギーの滞りを解消していくことに、繋がったり、それは、今この瞬間に、ではなかったとしても、この時空に、貴方が触れたということが、必ず、貴方の運命的な縁起・因果を最適化して、最善の時空に運んでくれるのだと、決めて、観てみてください📝(全てにおいて、実は、そうなっていますから、ぜひ安心して観てみて下さい⭕️そこを、そのように観ない想念・観念によって、安心安全ではない時空に迷い込んでしまうこともありますので、どうぞご注意を⚠️あるいは、それこそが、その時の最善であることもありますので、、どうぞ、どこまでも、その時空の、今の、最善ルートを検索し続けて観てください💡そのナビを貴方は貴方専用のモノとして持っていますから🧭)日々日々、是好日実践です👊👍✌️

 

いつも、来てくださる方も、初めましての方も、よかったら、また遊びに来てください🎶

 

気が向いたら、その時だけで、大丈夫です‼️

 

この場に、繋がってくださって

本当に、ありがとうございます🙏

 

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GW明け、元気バリバリの方も、ちょっと疲れて体が重い方も、無理せず、よく氣を観て、よく氣を流して、心穏やかに、過ごされますように、日々、陰ながら勝手ながら、天地万物万象の除災平穏無事安楽心願成就商売繁盛恋愛成就夫婦円満病気平癒学業成就家内安全国家安寧世界平和宇宙平和等々、仏経典と祝詞に載せて、祈念させて頂いております🙏