NOTES OF AKASHA

NOTES OF AKASHA

いつも、僕らが僕らであることに
平穏無事に、全てが全てのままに

全ての時空に、内なる静寂は
僕らの全てを、あるべき姿に

 

 

ー前置雑談+(カード選択)ー

 

 

(1択のつもりで、カードを手に取って、、)

 

なんとっ今日は、3択らしい、、

 

(予定はあってないようなモノで、

コロコロ変わってしまう、、)

 

 

|

 

カードシャッフルしてたら、突然

“3択!”と、告げられて、

 

そして、カードの枚数も数えることなく

それぞれのカードを束で取る

 

|

 




 

 

< 左

 

| 真ん中

 

> 右

 

 

 

 

 

 

次に、各選択肢のカードを

裏面で、展開していきます

 

そこで、選んでくださっても

大丈夫です

 

 

 

|

 

導かれるままに、置いていく

全て、異なる配置に

 

スプレッドの意味は特に、告げられず

そこに、何かを、観じるままに、、

 

|

 

 

 

 

 

 

 

左のカードのスプレッド(裏面)

 

<

 



 

<

 

 

 

 

|

 

真ん中のカードのスプレッド(裏面)

 

|





|

 

 

 

>

 

右のカードスプレッド(裏面)

 

>

 



 

>

 

 

 

 

 

では、お好きなところへ

どうぞ☕️

 

 

 

 

 

 

<

 

左のカード

 

<

 



 



<

 

ーカード配置(左から、上下の順に)ー

 

NINE OF SWORDS REV.

PAGE OF SWORDS REV.

 

KING OF WANDS

XIX THE SUN REV.

 

XI JUSTICE

SIX OF CUPS

 

PAGE OF CUPS

 

EIGHT OF WANDS

X THE WHEEL

 

QUEEN OF SWORDS

 

<

 

ー所感ー

 

まず、ワンド8と大アルカナ10運命の輪が、強烈な印象を放つ。大きな転換点(しかも、比較的、急激な変化、展開。その前後が、カップのペイジから、ソードのクイーンとなる。これは、かなり性格が異なるカードですが、どちらも、正位置で、悪い印象じゃない。ペイジは幼いイメージですが、クイーンは色んな意味で成熟しています。スートがカップからソードに変わっていることも、大きな変化。これは、カップの要素(感情・直観・感覚的)を備えたまま、ソードの要素(理知・分析・合理的)を兼ね備えてレベルアップする印象。スプレッド全体も、左から右へ、逆位置から正位置へ、転換していく様子が見えます。これも、良い方向への転換であるという印象を受けます。

 

ーメッセージ本文ー

 

貴方の明晰な分析と

それに伴う警戒心が

 

過剰に働けば

頭を悩ませて

 

過剰な苦悩に

頭をもたげる

 

そこに適切に

風を感じれば

 

過度な悩みは

吹き飛ばして

 

どっしりと構えて

貴方を安定させる

 

過剰な無邪気さを

適度に抑える意志

 

それが正しく働き

貴方自身を護って

 

貴方の光を失わず

威厳をも齎らすと

 

その匙加減は天秤

少しずつ、微調整

 

大きく揺らさずに

互いに安定させる

 

互いの過去と今を

受け渡しする時に

 

調和を生む秘訣と

適切に正しく授受

 

研ぎ澄まされた感覚に

影を潜める何かは疑心

 

正しく掴んでいることを

判断することができる時

 

そこに、運命のからくり

飛翔する、到達点はここ

 

 

ー補足、伝心ー

 

その言葉通りではなくとも

そこから連想されるものが

 

貴方に必要なモノを届ける

貴方に今必要な何かを観る

 

貴方に取って、良いものに

しっくりくるものに、変換

 

そこに、貴方だけの導きが

確かな、導きが見出される

 

それは、今、この瞬間に

あるいは、もう少し先に

 

常に、その時の、導きを

見出して、全て、繋がる

 

 

 

 

 

|

 

真ん中のカード

 

|

 




 

|

 

ーカード配置(左から、上下の順に)ー

 

ACE OF WANDS

KING OF PENTACLES REV.

 

ACE OF CUPS REV.

THREE OF WANDS

 

I THE MAGICIAN REV.

THREE OF SWORDS

 

FIVE OF CUPS

NINE OF CUPS

 

XV THE DEVIL REV.

 

|

 

ー所感ー

 

まず、2枚のエース、ワンド(正)とカップ(逆)、それぞれに、相対する、ペンタクルのキング(逆)と、ワンドの3(正)。他のカードも、かなり、極端に相反するようなカードがペアとなって現れている印象をもちます。大アルカナ1魔術師(逆)とソードの3や、カップの5(喪失、後悔)とカップの9(満足、成就)も、そのコントラストが印象的です。そして、最後の大アルカナ15悪魔(逆)、これはまさしく、エゴ(過剰な我欲、執着・支配的な態度や思考)との対立の終焉終局(一つのステージを超える)を、観じさせます。全体を通しても、それを語っているように、観えます。

 

ーメッセージ本文ー

 

一筋の光に、大きな情熱を灯して

物質的な富や権力はないとしても

 

高らかに聳え立つ何かを手に

遠くの目的地へと旅立とうと

 

その機が熟すのを見据えて

未だ、感情が追いつかずに

 

その方法が見えず

意志が働かない時

 

そのことが、貴方自身を

強く傷付けてしまうのか

 

それとも、過去の傷が

貴方をそうさせるのか

 

あるいは、貴方の現状と

貴方の心の内は、違って

 

過去との決別を、喜んで

その喪失こそに、満足し

 

貴方の大きな希望を叶える

何も喪失していないことを

 

貴方は知っていると

エゴが騒ぐとしても

 

貴方は、正しく、エゴを

乗りこなして、その先へ

 

 

ー補足、伝心ー

 

現実に起こること、その意味付け

貴方の心の内、さらに深い意識は

 

全て、観ているものが、異なって

色んな側面を、時に、観ることも

 

一つ一つ、気付いていく

正反対の、共通項こそが

 

貴方にもたらされる意味を

貴方に取って本当に適切な

 

全て、繋がる希望を

常に、導いていく時

 

 

 

 

>

 

右のカード

 

>

 




 

>

 

ーカード配置(左から順に、上下ジグザグ)ー

 

XIV TEMPERANCE REV.

THREE OF CUPS

TEN OF CUPS

 

KNIGHT OF CUPS REV.

 XX JUDGEMENT REV.

 

KNIGHT OF SWORDS REV.

 IX THE HERMIT

 

ACE OF SWORDS REV.

 0 THE FOOL REV.

 

>

 

ー所感ー

 

大アルカナ頻度が高く、好カードが多い印象ですが、逆位置も多い。微妙な匙加減で、一気に印象は良くなりそうな印象を受けます。中でも、カップの3(正)と大アルカナ9隠者(正)が、なぜか目を惹きますので、ここがキーになりそう。カップの10(正)は、このカードにおいては、どこか成熟し切った印象で、到達点よりもさらに先の、どこか向かう場所という印象(多くの場合のカップの10から観じるモノとは違いますが、10は過剰である、過ぎたモノという見方もあります。次なる最初、壱((位置))へ、続く場所でもあります)。全体を見渡すと、様々なモノや要素のバランスの取り方を、変えていく必要性のようなモノを感じます。ここは、カードから読み取る個別の意味を超えて、言語を超えて、統合された記号(のようなモノ)です。自分でも何を言ってるんだろうと云う感じですが、貴方の観じるモノを受け取ってみて下さい。(左の3枚が、右の6枚に広がって相関しているようです)

 

ーメッセージ本文ー

 

貴方の節度ある全てのバランスに

あらゆるモノは、調和して蘇る時

 

貴方の運ぶモノ、運ばれるモノ

その心、想い、誠実な何かに

 

澱みなく、急かさず、運んで

焦らずに、つまづかず、歩む

 

そこに、失われることない

至福の喜びの時を、観る心

 

思考を運ぶ場所に、意志を働かせては

意志を選択する場所に、留まる意志を

 

無謀ではなく、自由自在に

発揮される、静かなる智慧

 

そこに、尽きることのない

貴方と全ての心を満たす場

 

全てを、静かに、見つめる時

そこに全てと喜び抱き合う場

 

 

ー補足、伝心ー

 

隠者が、その場を支配する

内面を、奥深く見つめる心

 

それは、全てを見通して

全ての喜びを、見出す場

 

全てのバランスをとる場所

それは思考を超えて在る時

 

愚かさも、愚かならず

思考も、思考ならず

 

見かけと、内面の異なる時に

外面と、心境の違いを発する

 

其処(底)に、響くモノを

正しく観て、正しく運ぶ

 

 

 

 

 

ー余談、蛇足。(神産巣日神のミエナイチカラは日常に働く)ー

 

神産巣日神は、古事記に登場する、三柱目の神様。天之御中主神、高御産巣日神と、共に、造化三神と、呼ばれるものの、その内実は、あまり語られない。そもそも、古事記や日本書紀にもほとんど記載がない。

 

((以下は、一つの見方として🌱))

 

天之御中主は、全ての中心に在る

それは、全体の中心で在ると、共に

全体を構成する、個別の中心でも在る

一つ一つの中心が、全ての中心に繋がる

 

高御産巣日神と神産巣日神は

その両脇を支える、陰陽・天地を分つ神

それらは共に、天之御中主神を、構成する要素

互いが互いを、分別するために働く、要素

 

高御産巣日神は、指揮命令する力

神産巣日神は、現象そのものの力

 

何かを起こす意志と

それが実現される力

 

現象は、ひとりでには、生じない

意志は、ひとりでには、生じない

 

この意志もまた、神産巣日神の

働きが、現象として、生み出す

 

その現象もまた、高御産巣日神の

意志の働きかけによって、生じる

 

互いが互いに、なければ

存在しない、働き得ない

 

それもまた、天之御中主神という

働きによって生じる現象と働く力

 

そこに意志を観れば、意志となり

そこに現象を観れば、現象となる

 

そこにも意志が働いて、意志がなければ

意志も現象も生じないが、現象なくして

意志も現象も、生じ得ない、不思議な力

 

それが、神産巣日神という存在であると

僕は、観じている、と云うことらしいが

 

それもまた、僕の意志によらずとしても

あるいは、ただ、そう云う現象が生じて

 

今、という時に、言葉として表現される

僕の意志により、あるいは、現象として

 

古事記に記された、高御産巣日神と神産巣日神の働きから捉えて、抽象化した、二神の御働き

 

その働きは、全て、僕ら一人一人の中に

組み込まれている構成要素である、神力

 

勝手に、人力だと勘違いしている、神力

 

その神力を、歪めてしまうのも、神力か

神力を人力だと勘違いする僕らの人力か

 

 

 

 

 

|

 

その人力を、エゴといふ

その神力を、真我といふ

 

エゴも、神力の内というも

エゴと真我は、別物である

 

|

 

 

 

 

 

 

神産巣日神の、霊力神力は

常に、貴方の内に、働いて

 

それを観て、それを動かす

自然に働いていく、意識へ

 

 

 

 

 

 

|

 

いつも、僕らが、全宇宙が

万物万象が、あるべき姿に

平穏無事に、大難を小難に

 

過ごせますよう、微力ながら

日々、お祈りしております🙏

 

|

 

 

 

 

 

 

本当に必要な時に

本当に必要な意識へ

 

 

 

 

 

 

また、出会うべき、時空に👋

いつでも、お越し下さい🙏

 

ー序文ー

 

造化三神シリーズ、第二弾

 

今回のメッセージは、古事記で語られる

高御産巣日神のエピソードとも関係しそう、、

 

そこにも、様々な見方が

立場を変えれば、動いて

 

高御産巣日神が、発する意識だけでなく

高御産巣日神を、観ずる意識も現れては

 

あらゆるものが、渦巻くのを、観じます

一方通行ではなく双方向性の意識の流れ

 

 

|

 

今の自分とは、このメッセージは

関係ないなぁ、と思われたらスルーで

 

貴方だからこそ、観じるモノを

どうぞ、どこまでも、大切に🙏

 

|

 

 

 

 



 

-THE FOUNTAIN TAROT-

 

THREE OF SWORDS REV.

FIVE OF SWORDS REV.

 

VII THE CHARIOT REV.

KNIGHT OF WANDS

 

KING OF CUPS

SEVEN OF PENTACLES REV.

 

-TOP-

SEVEN OF SWORDS REV.

 

-BOTTOM-

XV THE DEVIL REV.

 

 

ー本文メッセージー

 

貴方が、傷ついたのは

傲慢さ、強引な横暴さ

 

そこに、影を潜める、正当化の権力

貴方が、傷付く必要はない、理不尽

 

貴方自身が、そうでないならば

そうではないと、感じるならば

 

貴方が、感じることは

きっと、正しいはずだ

 

そこに、偽りなく

そこに、虚飾なく

 

真っ直ぐに、貴方を

運んでいく、何かを

 

貴方は、探り当てる

角度を変えて、観る

 

貴方の行き先を観る

その先に導かれる道

 

そこに、貴方が得る

得るべきモノが待つ

 

貴方の心を堪能する

貴方に不足ないモノ

 

進み辛くても、進む

温もりを観じる方へ

 

ずる賢さから、遠く

不要な欲望を、離れ

 

本当に、大事なモノ

本当に、求めるモノ

 

 

ー補足、伝心。ー

 

貴方は、貴方の

傷を知らざると

 

傷ついて居ることも

在るとは、知らずも

 

懸命に、進もうとも

停滞する、何かには

 

その原因が、必ず

こっそり、隠れて

 

進むべき道を

貴方は教えて

 

どこまでも奥へと

すり抜けて行くと

 

そこに、必ず

見つかるモノ

 

それは今、常に共に

全てを貴方と導いて

 

確かならざる、確かさ

貴方ならざる、貴方は

 

どこまでも、貴方で在る

その貴方へと、委ねては

 

全ては、平穏に

静寂に、安心に

 

貴方の全ても共に

互いが互いを認め

 

全てを、適材適所へ

真なる価値を発揮す

 

 

 

 

 

ー余談、蛇足。(高御産巣日神については、語らない⁉️いえいえ‼️)ー

 

高御産巣日神は、古事記に登場する二柱目の神である。一柱目は、天之御中主。三柱目は、神産巣日神。高御産巣日神は、高木大神ともいう。

 

古事記では、途中から、高御産巣日神は、高木大神として、語られる。これは、何やら意味ありげであるが、ここでは、そこへは深入りしない。

 

 

ー脱線、閑話。ー

 

深煎り番茶は、香ばしくて美味しくても、今日は、浅煎りにする。麻入りでもいい(あとで調べたら麻のお茶ってのも本当にあるみたいです🍵)。麻は、夏場に涼しい。綿よりも乾きやすく、浄化作用も強い。麻紐は浄化グッズとしてもオススメである。麻や織物は神様へのお供物でもある。夏越しの大祓えでは、それらを裂いて、不浄や穢れを祓う。神様に大事なモノを捧げる。それは、我が命。それは、生贄ではない。生きることが捧げること。貴方という、御役を務めること。それは、貴方という、神のみぞ知る。神様に申し開きできる、御役目である。

 

ー伏線。ー

 

 

何やら、無理矢理にでも、脱線させられるかのように、言葉が入り込んでくるのであるが、これも必要なことなのかもしれない。

 

((いやいや、それこそが、高御産巣日神の御働きである、と云う。天上界の司令塔である。))

 

さて、何が大事であるかは、人によって違う

その時によって違う、場所によって違う、さて、共通する答えは??そんなものはない、と言ってしまっては、身も蓋もないかもしれないが、答えがあると思うから、苦しむこともある。なにがしかにおいて、答えというものは存在するとしても、絶対的な正しさとは、どこにもないことを、うまく教えてくれる人は、なかなか得難いものであって、だからこそ、皆それぞれの正しさにも(同時に、間違いにも)生きている。

 

**

そこに、調和を生むか?混沌を生むか?争いを生むか?平和を生むか?

それが、大きな違いを、生み出す。

(不要な)膿を出す時、浄化と癒して洗濯(選択)

**

 

 

ー再び、脱線の境へ。ー

 

我々がみる神々というのも、そう(正しくもあり、間違ってもいる。あるいは、絶対的に正しい。あるいは、全ての願いを叶えてくれると観るも、叶えてくれないと観るも、、いずれも、ものの見方による)かもしれないが、我々が、そう見ている、それだけのことかもしれない。全ての神((というものに対する見方))が、全ての時空に、絶対的な、正しさを表すわけではない。そこに、悪魔という概念が、生まれる。さて、善神、悪神とは、何を以てか?これが、善だと教えられたものが善か?善悪を超えるとは、悪を為すことではない。全ての善性を通して、善を成すこと。悪性を知らずに、善性を知る由もなく、善性を為すべくもなく。悪を知らずに悪を為すこともある。善を知らずに善を成すこともある。善を知らずに、善を悪とすることもある。悪を知らずに、悪を善とすることもある。それを決めているのは何であるか。その悪性を見れば、どこまでも、全ては悪になりうる。その善性を見れば、どこまでも、全ては善になり得る。図らずも、全ては、全(ゼン)であり、善(ゼン)であり、禅(ゼン)であり、前(ゼン)である。全ては、起こる前に、善であり、全である。それを観るのが、それを実践するのが、禅であり、善であり、全である。それは、善悪を超えたところにある、全(善)である。それを、完全に、腑に落とすのが、一つの悟り、である。それを、実践するのが、一つの悟りである。その智慧を、正しく見極め、正しく説き、正しく体現するのが、一つの悟りである。貴方が何か違うと観じることも、それも貴方にとっての何らかの善性によってであり、仏(如来)だけが、全ての善性を正しく観て、その善性を必要な時に正しい方法で実行する。そして、仏とは、貴方の、全ての、中心に在る。貴方の中心で観じることは、貴方自身への何らかの導きである。天の司令は(全て、そのまま、天の指示通りにはならないように見えても)、絶対である、ということも、古事記のストーリーの中からも、読み取ることができる。翻って、それは、全ての個に、天の意志が働くからであるとも言える。((出雲の国譲りでも、その後のエピソードでも、高御産巣日神と天照大御神の指示によって、何度も何度も、地上に、神が遣わされます。決して、その目的を、諦めることはありません。遣わされたものが、それに従わなかったとしても。どこまでも、どこまでも、天の意志は、働くということを、観ずにはいられないのです🙏己が、今、導かれるべき、己へと、全てが、今、導かれるべき、全てへと、無条件降伏するまで(=無条件幸福←古事記のストーリーでは全くそのようには見えない面もあるかもしれませんが、、天の意志を、正しく観ずに、何らかの意味において、反抗するからこそ、幸福ではなくなる、のかもしれません、、天の意思とは、外にあるものではなく、どこまでも、どこまでも、内にあるものです、、同時に、全ての現象に、常に現れているものでもあります、、それでも、どこまでも、貴方の内に、天の意志を求めて、探り当てて、実行していきます🪏、、無条件降伏という言葉とは、正反対に観えるとしても、、その同時性、同期性を、観じていきます、、対立する概念を、止揚して、超えて、その瞬間に、最も安らぐ、今に在ることを、最も安らぐ、今にあるモノを、選んでいきます、、その連続が、何かを導いていくのを観ます🌱))

 

ちなみに、高御産巣日神の、神仏習合における本地仏は、考え方によって、様々であるらしい。釈迦如来であったり、阿弥陀如来であったり、虚空蔵菩薩であったり。いずれにしても、本質的な、智慧や、全ての根源を司る、象徴たる仏である。

 

ー伏線。ー

 

 

 

 

貴方の見方(味方)を、どこまでも追究していく

時に、貴方という見方を外して捉え直すことも

 

常に、貴方に、天界からの指令が、届いている

その全てを、邪心なく、よく見極めていくこと

 

 

 

|

 

もし、わからなくなったら

もう一度、本文メッセージ

 

さっきと、全く違うものが

見えてきたら、貴方は既に

 

別の、貴方になっている

いずれも、貴方であると


|

 

 

 

 

本来、正しい方へ、向かう

そのコンパスは、常に働く

 

正しく、観じていくこと

一瞬一瞬に、一呼吸毎に

 

貴方に必要なモノ

全てに必要なモノ

 

常に、今に、その時

必ず、もたらされる

 

全ては、指針となる

苦しみの、因とせず

 

それに、応じてこそ

全て最善に導くカギ

 

 

 

 

 

 

 

|

 

いつも、僕らが、全宇宙が

万物万象が、あるべき姿に

平穏無事に、大難を小難に

 

過ごせますよう、微力ながら

日々、お祈りしております🙏

 

貴方が、今、歩むべき道を

今も、歩んで、向かって🚶

 

|

 

 

 

 

 

 

本当に必要な時に

本当に必要な行為を

 

 

((常に、起こしていると、知り

常に、起こそうと、行為する))

 

 

 

 

 

 

また、出会うべき、時空に👋

いつでも、お越し下さい🙏

 

 

 

 

 

 

 



 

 

ー序文ー

 

これは、個人的なモノばかりではなく

もっと大きな単位での、提言も含んで

 

個から、友人、恋人、家族、コミュニティ

さらには、組織、国家、地球、銀河宇宙へ

 

様々な視点と角度から観じて

今、全体に必要なものとして

 

 

貴方の中心へと

還していく道筋

 

 

天之御中主が

支えるモノと

 

天之御中主

そのものと

 

 

 

 

ー本題ー

 

まずは、リーディングメッセージです🎴

 



 

-TRANSIENT LIGHT TAROT-

 

XIV TEMPERANCE

XVII THE STAR REV.

 

EIGHT OF CUPS

TWO OF SWORDS

 

SEVEN OF SWORDS

PAGE OF PENTACLES

 

-TOP-

KING OF CUPS REV.

 

-BOTTOM-

PAGE OF WANDS REV.

 

ー-本文メッセージー

 

一つ一つ、大きく

バランスをとれば

 

((大きく、大まかに、精度が甘いと、、))

 

どこかに偏りが

生まれて、正す

 

緻密に計算しても

どこかに見落とし

 

((頭だけでは、追いつかない))

 

それを、常に、伝えている

今の、貴方の根底の希望に

 

探し回らなくても、在ると

一つ一つを、選んでいけば

 

((常に、今に還って、今、今を選ぶ))

 

自ずと気付くモノがある

自ずと気付かされる心へ

 

迷いが生じても、旅立つ

必要なモノだけを選んで

 

実は、不要なモノが多い

それを、学んでいく先に

 

芽生えるモノは、誠実に

貴方の心を掴んで離さぬ

 

見た目通りではなくても

良い知らせは、心を掴む

 

何かを観じとる、意識が

貴方の情熱を呼び覚ます

 

 

ー-補足、伝心。-ー

 

何も疎かにしない、それもまた

何かを、疎かにすることもある

 

丁寧に丁寧に、見極めて、探す

無限に続く、二者択一の、先に

 

絞り出すように、その一滴に

全てが、宿って、育っていく

 

余計なモノを、混ぜずに

貴方だけの、何かを求む

 

貴方だけの完成に、感性が宿る

大きく育っていく、気配を頼る

 

 

 

 

|

 

全て観て、全て選ぶ

無自覚に、自覚して

 

貴方は、選ばされると

少し委ねて、観る意識

 

そこに、神性が宿ると

選ぶのではなく、宿る

 

宿るモノを、選んで

選ばされんと、観る

 

今、必要な一滴を

そこに、見出して

 

それを、運ぶ

必要な時空に

 

|

 

 

 

 

 

自分という意識を、外してみる

どこまでもどこまでも、外して

 

それでも、残るモノこそ、それは

貴方という存在、宇宙という存在

 

 

 

 

 

|

 

唯一の存在であり、全てである存在

絶対普遍の領域は、全てに行き渡る

 

|

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー-余談、蛇足。-(語られない神、それは全てである神が故に⁉️)-ー

 

天之御中主神は、古事記に現れる、一柱目の神であるが、その実像について、働きについて、何も語られることはない。その他の古文書に目を向ければ、天之御中主神より以前にも、神がいたりもする。あるいは、五代降った、国常立神こそが、大元の神であるとする説もある。日本書紀では、複数の伝承が紹介されるが、そのほとんどには、実は、天之御中主は出てこない。

 

さて、一般には、天之御中主神は、高御産巣日神、神産巣日神とともに、造化三神と呼ばれ、創造の神だとされる。つまり、天之御中主神は、唯一神、絶対神、というわけではない。高御産巣日神、神産巣日神という、二柱の神々が助け合ってこそ、この世は、成立する。((天上界と地上界、それぞれの代表神・守護神であり、また、それぞれ役割の異なる神が、高御産巣日神、神産巣日神であると、古事記の記述(それに付随する様々な情報)からそのように類推することができるが、それも全てを言い表すことはできていない様に観じる。))然して、この二柱の神が、その働きが存在しなければ、今のこの世(天界も地界も)は存在し得ない。それぞれ、男性性的な神、女性性的な神、と言ってもよいかもしれない。((高御産巣日神は、高天原(天上界)から、さまざまな目的達成のために、神々を遣わす。神産巣日神は、地上のさまざまな苦しみや、時に、死をも救済する。))そして、天地を統べる神が、天之御中主神である。宇宙の根源あるいは、宇宙そのものである。天之御中主は、全てを含み、全てが、天之御中主を宿す。天之御中主そのものであるものはなく、同時に、全てが天之御中主であり、それを語り尽くすことはできない、全てである。

 

ここで、少し違った視点から見れば、天之御中主神は、神仏習合の中で、北極星や北斗七星を神格化した妙見菩薩と、同一視されている。これは、形式的に捉えてしまうと、この神が象徴するモノのスケール感としては多少のズレが生じてしまうとも言えるが、特に、地球上(北半球)から見た時の、普遍(不動)の象徴として、北極星を宇宙の中心であると、古代人は、観ていたのかもしれない。天照大御神を祀る太陽の神格化とはまた違ったニュアンスを持つとも言える。とはいえ、天照大御神を宇宙そのもの(大日如来)とするのもまた、一つの神仏習合における見方でもある。ちなみに、伊勢神宮をはじめとして、ほとんどの神社の本殿は、その背面を北に向けており、参拝時には、ちょうど北極星を拝むような形になる。自宅に神棚を祀るときも、そのように(南向き)設置するのが最も一般的である。あるいは、東(日の出の太陽の方向)に向ける。この場合、日の出の方向に背を預けて拝む。初代天皇である、神武天皇も太陽を背にして、その守護を受けながら、戦うということを大事にしたことが、伝えられている。第一神武東征時の敗北は、そこに反省点があったとして、第二次東征時には、見事勝利をおさめる。((それだけが、勝因であったとはいえないかもしれないとしても、、我々の祖先が大切にしていたことを大切にしてみる。そういったことも、全てと共に生きる。ということに、繋がるかもしれない。あるいは、地磁気的にも、その空間の場を考慮した、何らかの理に適った意味も、隠されているかもしれない。))

 

さて、古代人も地動説を知っていたのだとすれば、太陽((天照大御神←太陽神であると断定すべきかどうかわかりませんが、、))を中心とする宇宙観も否定されるモノではない。とはいえ、過去の日本は、太陽暦ではなく、太陰暦(月の満ち欠けによる暦)であったと言う。月読神が存在するくらい、月も大事にされていることが伺えるものの、この月読神も古事記・日本書紀ではほとんど何も語られない。((物質的に捉えるだけでは、見えないものがある。物質的に、物質的な世界に、生きるとしても、大事なことが沢山沢山あったりする。突き詰めれば突き詰めるほど、互いが互いに近づいていくのを観じる。))

 

あまりにも、語られない神が多すぎる。あるいは、逆に、それを語るには情報が多すぎるということもあるかもしれないが、、

 

なんとなく知った気になっている、天之御中主神。いや、神様に興味がなければ、天之御中主神は、どちらかといえば、マイナーな部類かもしれない。。僕も最初は、アメノミナカヌシって誰やねん??って感じでしたからね、、

なんか、雨だけに、ジメジメしたイメージをもってました(←今思えば、意味分からん過ぎる笑)

けしからんとか、言わないで🙏

 

でも、雨粒ひとつひとつが、僕らだとすれば

天之御中主は、その中心(御中)にいるのです

雨粒全ての、根源が、アメノミナカヌシです

 

宇宙の最初は水(原初の水)という考えは、世界の多くの神話・古文書に共通する(らしい←正確に調べた訳ではない)。

 

そして、一旦、地上へ降り注ぐ雨粒は、行き着く先まで、雨粒自身は身動きできない、とも言えますが、まぁ、それは例えであるとはいえ、実際に、僕らも、そういう側面があるんじゃないかと思ったりもします。それは、見方によりますが、自分で全てコントロールできると思っているのも、幻想であるかもしれません。。その幻想さえも、幻想だとしても、、((現代社会は、その繋がりを、根こそぎひっぺがそうとするものに、想えてならない、時も、あります。常に、全て、ではありませんが、、そして

、その真逆をいくこともまた、別の意味で、繋がりを外すことのようにも、、それもまた、必要なことだとしても、、中心を捉えようとせずには、周囲をぐるぐる回るだけ、、それも一つの真理かもしれないとしても、、必ず、近付いていく、少しずつ、根付いていく、全て途上にあると、、そこに向かわせる力、、離れさせない力、、それが、天之御中主ではないかと、、太陽であり、地球であり、銀河中心であり、宇宙の中心であり、僕ら一人一人の中心である、、))

 

 

 

全ては、御心のままに

動き動かされて、共に

 

常なる感謝の

湧き上がる心

 

 

天清浄、地清浄、内外清浄

六根清浄、心性清浄にして

我が身は、天地と神と同体なり

 

 

その絶対的な確信が

絶対的な静寂を導く

 

常なる、今にて

神と坐(いま)す

 

 

 

貴方の中心とも言えるモノと

繋がっているならば、そこに従うならば

別に、神というモノを持ち出さなくてもいい

内なる神が、貴方を助け、導くと

それは、他者も同じであると

 

全てを包み込んで

中心に坐(いま)す

 

 

 

 

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まさに、日月神示(ひふみ神示)の

マルチョンです(○の中心に・)

 

中心の一点に支えられた球体

中心の柱と周囲に広がる円環

 

その全てが、天之御中主であって

その全てが、己という、存在です

 

どちらも欠いても、なりません

己であり、己ではない、全中心

 

((大日如来を中心とする曼荼羅の

超簡略化した記号と言っても??))

 

これは、言葉だけで、描いても

肚に落ちなければ、わからない

 

それを、知識にしてしまっては

その存在そのものではなくなる

その意識そのものではなくなる

貴方自身そのものではなくなる

 

それを、求め続けることを

そこに、在り続けることを

 

全てを以って

何にもよらず

 

常に、今に求む

常に、今に在る

 

 

**ちなみに、このマルチョンも、遡れば、山口志道の“言霊秘書(水穂伝)”、さらに、その元は、“稲荷古伝”にあります。日月神示を降ろした“岡本天明”も、また、彼がその思想に大きく影響を受けた“出口王仁三郎”(大本の二大教祖の一人、開祖である“出口なお”に対して、聖師と呼ばれる)も、いずれも、山口志道の言霊学を学んだのです。言葉も記号も図象も、それそのものは、カタチに過ぎません。その象徴を、氣(意識)によって捉えて、また、カタチに捉え直して、現された、ということになるのですが、やはり、それそのものはカタチに過ぎないのです。全ては“暗号化された”プログラムコードといっても良いのかもしれません。全ての聖典がそうであり、また、全ての現象が、そうであります。ただし、その暗号とは、物質的な思考によってのみ解かれるものではありません。最後は、必ず、物質を超えた、“霊的な働き(サポート)“が必要になります。あらゆる覚者に、そういったエピソードがつきまといます(自覚がない場合もあるとしても、、)そこを、無視できない、無視しない、時代にならなければならないのかもしれません。それが、霊的理想世界であり、地上天国であると云われます。それは、こうすればこうなるといった、カタにハマったものでは決してありません。どんなカタも、破られるべき時に、破り続けねば、ならないのです。しかし、破ることが目的ではありません。破るためにではなく、霊的魂的、理想のために、目的のためにです。全ての己に、宇宙の全てに、誠実であるためにです。**

 

 

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本当に必要な時に

本当に必要な何かへ

 

 

 

 

 

 

また、出会うべき、時空に👋

いつでも、お越し下さい🙏

 

 

 

 

 

 

 

p.s.

書き終わったぁ、、っと思ったら

言霊秘書の中から、ポロッと妙見宮の

案内冊子が現れて、、書きなさいと

言わんばかりに、、(奇跡的な偶然🎯日常茶飯事ですが、いつも驚かされます🥴✌️←そういう体験に執着するといけないとかも云われますが、本当に絶妙なタイミングと内容で、勝手に起こるので、本当に感謝しかありません🙏思わずと、思い通りになる、とでも言いましょうか?悟りを得ると、全て思い通りってのはそういうことです✌️それを間違うと、全然思い通りじゃ無くなっちゃいます。それがエゴってやつでしょうか👀思い通りじゃないことも、思い通りだと、真摯に、誠実に、正しい理解で、掴み続けることができるようになった時に、全ては思い通りになります🌱)

 

 

——北極星信仰の起源は、紀元前数千年前の

古代バビロニアにはじまり、インドや中国を経て、仏教と共に、百済から、日本の聖徳太子に伝えられたと言われています。

 

——妙見様は、諸星諸神、方位方角を支配する星神であるとともに、人の星(運命)を司る神様であると伝えられています。

 

**これは、北極星自体の働きや性質(北半球の不動の星)に対する感謝の意を込めて神格化すると共に、万物万象を支配する中心たる象徴をそこに観て、さらには、僕ら一人一人の運命を左右する中心的存在・役割であると、観ていたということ🗒️これはまさしく、天之御中主に通ずると言えるでしょう🌱)**

 

 

ちなみに、この星田妙見さんの由緒によると

空海が、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると天上より七曜の星が地上に(3箇所に分かれて)降ったとあります。この地は、隕石が降った場所としても有名です。

 

((いや、よくよく考えれば隕石降らせるって、大災害ですけどね、、それも、神々の意思なのでしょうか、、空海さんの何らかの意志の現れでしょうか、、いやいや、巨大な隕石を、分裂させて、大難を小難にしてくださったということかもしれません🙇‍♂️))

 

 

僕も、陰ながら、微力ながら

日々、お祈りさせて頂いております🙏

 

((投稿していない間も、毎日欠かさず))

 

お祈りしていないバージョンの

現実は体験できないので効果は

わかりませんが、、、本当に

感謝仕切りで、御座います🙇‍♂️

 

 

ちなみに、あまりに大きなことをすると反動も激しいので、お気をつけ下さい📝(たぶん、自ずと気付かされるか、止められると想います。何でもかんでも、手出しし過ぎてはいけないというのも、学びです🌱誰かの何かの学びを妨げてもいけないのですね👀それでもすべきこともあるとしても、、エゴによって行為しないことがどこまでも大事👌エゴとは何かを常に問い続けることがどこまでも大事🗝️)