見たいとは思わなかったが、
たまたまテレビをつけたら映ったニュースで怖いもの見たさで見た。

実にグロテスクな光景だった。

流石は、中華思想と言うか
俺様の言うことは、何でも正しくしてしまう雰囲気にあふれていた。

だが、初歩的なミスを犯したことに気付いていない様である。

中華人民共和国の建国は1949年10月1日である。
http://9oo.jp/aktKSZ

今年は2015年。

2015-1949=66だ。

なんで、建国66年で戦勝70年になるのか?

自ら、戦勝国は中華民国であって、
中華人民共和国は戦勝国ではないことを証明したと言うことだ。

滑稽至極。



西側諸国の首脳の出席者は、韓国の彼女一人。

驚かない。

恵那弁でインネの彼女らしい行動だ。


ただ、インネの彼女と同じ国の出身で、
国連事務総長の出席には、空いた口が塞がらない。

日本の抗議に、つまらぬ言い訳をしていたが、出席することが
立場上マズイことが解らないほど頭が悪い訳でははなかろう。

次期、大統領選のパフォーマンスであることは、見え見え。

あと、なんで我が国のマスコミは
非難しないのか不思議でならないが、彼は大きな失態を犯している。

同じ出席者で天安門の壇上に並んだ、
来賓の一人にスーダンのバジル大統領がいた。

このバジルと言う者、30万人以上を虐殺した罪で
国際刑事裁判所から逮捕状が出ている人物である。


昨今、名もない政治家でも暴力団員と
写真に映るだけでマスコミはこれでもかこれでもかと
叩く癖に、今回は、なぜか何も言わないから不思議だ。

加えて、この事務総長は
この大統領の逮捕状を取るように要請した張本人だそうだ。

やはり、史上最低の事務総長と
言われているだけはあると、感心せずにはいられなかった。

流石だ。

もう一人、不愉快な人物がいた。

我が国の元総理で
非武装中立とか言っていた村山と言う者だ。


南シナ海の周辺諸国や日本や台湾に対して
好き勝手な軍事的脅しを掛けている中華人民共和国が
兵器を見せびらかすパレードに非武装中立を唱えた者が
のこのこ出かけて行った。

向うに着くやいなや、流石にまずいと思って
仮病を使って軍事パレードに欠席したのかどうかは知らない。

まぁ、帰国したら、
しっかりと頭の中の精密検査をしてもらうことをお勧めしたい。

4回目の7月号の、
このタイトル「祖国とは国語」。

どこかで聞いたことがある、と思われる方も少なくなかろう。

そう。ベストセラー「国家の品格」の著者である
藤原正彦氏が、このタイトルの本を上梓している。

本文中にも記したが、これは
シオランと言う人の言葉である。

藤原氏の本の中には、フランス人とあったが、
良く調べたところ、シオランさんはルーマニア人だった。

まぁ、そんなことどうでもいい。

それと、私事だが、
岐阜新聞にある「素描」と言うコラム欄に、
9月と10月の毎土曜日に寄稿することになった。

一回目は、明後日5日に載る。
既に、2回目までの原稿を出した。

許可が出るなら、また今回の「春風秋霜」を
載せて、ブログを書いている様に、お茶を濁そうと思う。



☆★☆☆★☆

4回「祖国とは国語」

 


「祖国とは国語」。
これはルーマニアの作家エミール・シオランの言葉である。

彼は、祖国とは血でも国土でもない。

国語の中にこそ祖国を祖国足らしめる
伝統・文化・情緒などの大部分が包含されていると言った。

先の大戦後、我が国はアメリカを中心とする
GHQ(連合国軍総司令部)の占領下にあった。

現在のアメリカは、情報公開法が徹底されており、
国立公文書館なるものが存在する。

そこへ行けばケネディー暗殺事件などの一部例外を除く
あらゆる情報が一定年月を経過するとオープンにされており閲覧できる。


その中には戦後の日本処理、
つまりはGHQの占領政策に関するモノも存在する。


その資料には、GHQの占領コンセプトは、
日本を二度とアメリカおよび連合国に刃向えない
国にすることにあったと記されているそうだ。


そして、彼らはその目的を達成する為に
日本国憲法の草案をはじめとする数々の取り組みに着手した。


それらの根幹をなすものに、
日本人の精神を骨抜きにするための教育政策があった。

彼らは、その手法として
学校教育に三つの要素を取り入れ厳守させた。

その三つとは、
「宗教を持ち込まない」「道徳を教えない」「歴史を教えない」であった。

こう言われ学生時代を思い起こすと、
誰しも思い当たる節が随所にあるのではなかろうか。


GHQ
は、権謀術数をめぐらした。
例えば「歴史を教えない」に関して言えば、
それまで「国史」と呼ばれていた教科名を「日本史」に変えた。

現在、我々は何の違和感を抱くこともなく
「日本史」と呼んでしまっているが、
これは彼らが仕組んだ策に日本全体が
マインドコントロールされていることを意味する。


そもそも「日本史」とは、
外国人が我が国の歴史を学ぶ時の表現であって、
母国の歴史を学ぶ際に用いる言葉ではない。

日本人が自国の歴史を学んだ「国史」の教科書には、
我が国の建国の由来や初代神武天皇の記述があったが、
現在の教科書にはそれらは一切ない。

なぜなら「日本史」だからである。


世界中の自国史の教科書で建国の記述がないのは、
「日本史」以外にあろう筈がない。

我々は、母国語を学ぶ教科名を「国語」と呼ぶ。

決して「日本語」ではない。
「国語」と「日本語」は似て非なるものである。

同様に、母国史においても
「日本史」ではなく「国史」を学ばせるべきである。


また、GHQは学校教育を超えて、
国語を根底から破壊してしまおうとあの手この手を考えた。

冒頭に記した様に「祖国とは国語」であり、
国語を壊すことは国家の衰弱に直結するからである。

GHQ
は、先ず日本語の語彙のルーツとなっている
漢字の廃止を考えた。ただ、いきなり全廃という訳には行かない。

その為、漢字全廃までの
第一ステップとして使ってよい漢字を881字に制限した。

これが「当面用いてもよい漢字」の略称である
「当用漢字」と言うものだ。

そして、小中学校の教科書には学年別に
使用できる漢字を限定させた。これによって漢字の組み合わせによる
四字熟語や慣用句、或いは故事成語が多く使われている
日本古来の書物や神話を学校で教えることは不可能となり、
それらは姿を消した。

しかし、GHQが去って暫くの年月が経過すると、
やはり漢字の廃止は好ましくないと言う論調に変わり、
当用漢字は廃止され「常用漢字」と成った。

現在それは1945字まで増えたが、
漢字制限であることに変わりはない。

学年別の漢字限定も続いている。
神話も教えられていない。


他にも、列記したいことは山ほどあるが、
また別の折に述べることもあろう。

何れにしろ、縷々記した様なGHQが日本衰退を
目的に導入した諸制度が、なぜ未だに存続するのか理解に苦しむ。

そんなもの即刻廃止したらよい。私は、斯く思う。


昨日、書店を覗くとタイトルにした
『大放言』が目に留まった。
http://osu.pw/addhf

本も一期一会。

直ぐに買った。

著者は『海賊と呼ばれた男』を上梓した、百田尚樹氏。
無茶苦茶面白い、感動的な本ゆえ、もしまだお読みでなかったら
是非推薦したい一冊だ。

氏と言えばもう一冊、『永遠のゼロ』が有名だが、
私は、全然面白いとは思わなかった。

映画も観たが、やっぱり・・・だった。

さて、昨日購入したこの新書は、実に面白い。

日曜日で日昼にウトウトしていたこともあって、
寝るのが惜しくなるほど面白くて、大半を読んでしまった。

大体マスコミや安っぽい政治家擬きは、
発言の中の言葉尻を捉えて、
誹謗中傷することを仕事と勘違いしている。

彼らも、発言全体を理解していながら、
「言葉狩り」で、レッテルを張ろうとしているからたちが悪い。

一度レッテルを張ると、チカンを疑われたのと一緒で、
それを晴らすことは何十倍のエネルギーが要る。

実際には不可能なことが大半だ。

著者が発言し、問題とされたモノが
如何に正義面したマスコミや政治家にでっち上げられたか・・・。

これを読むと実に佳く解る。

溜飲が下がる思いがする。

氏は自分が被害に遭ったことだけでなく、
他の「言葉狩り」のことも書いている。

その中で、私も、きっと他の大多数の方が、今もマスコミに
ダマされているであろう、石田純一の「不倫は文化だ」について
解説した文章が前書きにあるので紹介しよう。


彼は、この発言で大バッシングを受けた。
一時、仕事の大部分を失い、住んでいたマンションまで売り払ったそうだ。

彼は、不倫を非難した記者に
「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」と軽口で
返答したところ、

その記者は、石田純一は「不倫は文化だ」と発言したと
尾ひれはひれ付けて、伝えた。

その結果、彼はタレント生活を断たれる寸前まで行ってしまった。

彼は、まだ生き残れて佳かったが、
マスコミが人の一生を葬った例は、少なくなかろう。

「不倫は文化だ」と
「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」
とでは、全然違う。

これは、ほんの一例。

残念ながら、現在の我が国には、
悪意ある曲解報道がはびこって、真実を言うものが悪者扱いされている。

是非とも、お読み頂きたい。
先週の21日金曜日に麻生太郎副総理の会に出席。

懇親会の前に開かれた講演会の骨子を簡単に。


先ず、なぜ簡単にかを二つ。

その一つ目は、昨年は聞きごたえあった。
http://ameblo.jp/central1961/entry-11922723740.html

しかし、今年は昨年と違って、
まぁ一般的な内容で、昨年ほどの新鮮さが感じ取られなかった。

ゆえに、あまり多くメモを取っていない。

二つ目は、恥ずかしながら
自分で書いたノートの文字が汚くて読めないからである。

と言う、ことで文章が続かないがお許しあれ。


先ず、ここご当地名古屋と云えば
トヨタをはじめとする製造業の拠点だ。

先の大戦で東京大空襲などはよく話題になるが、
実は名古屋はもっとも空爆の激しかったところである。

名古屋駅も名古屋城もそれで消失した。

空爆によって、名古屋の工業生産高は
5分の1に激減した程である。

だが、このことは決してマスコミに取り上げられることはない。

特に、中日新聞等は、絶対に書かない。


これは、麻生副総理が言ったことではないが、
東京新聞=中日新聞の政治部長はだれかご存じだろうか?

現在も同じ職にあるかは分からないが
それは、高田昌也と言う人物である。

この人、養子に入っているのでもともと高田姓ではない。
旧姓は、岡田と言う。出身地は三重県。

そう。民主党党首岡田克也氏の実の弟である。

中日新聞の論調を読めば理解できる。

集団的自衛権や安保法制等々、
民主党の機関紙に近い。まともなことは書かれていない。

まぁ、私は読まないが、
中日とは中華日報の略ではないかと思える。

さて、閑話休題。話を戻す。

戦後、アメリカに帰ったマッカーサーは
上院の軍事合同委員会と言う公式な席で

朝鮮戦争が終わって、私は間違っていたことに気付いた。

先の戦争で日本は自衛の戦争だったことに気が付いた。
日本には、石油ばかりか綿も羊毛もスズもゴムもない。

連合軍によってこれらがストップされれば
日本は甚大な被害を被る。

日本の戦争は戦略ではなく、自衛だった。

マッカーサーは公式の場でこう発言している。

だが、日本でこうしたことをマスコミが取り上げることは
タブー視されている。ましてご当地の中日新聞が書くはずもない。

そして、朝鮮戦争を経てアメリカの方針は
180度転換し、日本を的でなく同盟国とみなす様になった。

ついでにだが、マッカーサーは上院での
先の発言の翌年に、東京裁判は間違いだったとも言っている。

さて、安倍内閣が誕生して今年の12月で3年になる。
政権を出鱈目民主から引き継いだ時の株価は8千円ほど?

今は、2万円。チャイナリスクはあるが
国内の指数は確実に上がっている。
これからも、景気は良くなる。

アベノミクスで行たことは、簡単。
需要が落ち込んでいるときに、個人消費と企業投資に
期待することは出来ない。

よって、政府支出を伸ばした。
これは、常識中の常識を行ったに過ぎない。

チャイナの現状はかなりやばい。

チャイナ政府が公式発表する指数のことを
首相の名前を取って李克強指数と言う。

李克強指数によると経済成長率は7パーセントとの
ことだが、それは相当出鱈目でいい加減な数値。

ひょっとすると1.5パーセントぐらいではないかと言われている。

バブルが崩壊して土地は
バブル前の15パーセントにまで暴落した。

これは、経済界も政府も予想できなかった。
単なる不況と思い込んでいた。

民間は担保価値が15パーセントに落ちたに等しい。
銀行は融資先に返還を求めた。

企業はそれにしたがった。みんな従った。

それは、正しいことであった。

しかし、みんながみんな正しいことを行うと
結果は拙いことになる。

これを合成の誤謬と言う。
こうして日本はデフレに突き進んだ。

・・・・・・・・・・。

文章が続かないので飛ぶ。


現在の日本の世界における
経済的な力を皆さんご存じだろうか?

海外純資産。

これは、個人・企業・政府などが
海外に持つ資産から負債を引いたモノ。

日本のそれは現在366兆円ある。

円安で円換算が膨らんだ分もあるが
それでも24年連続で世界一位の数字である。

個人資産は1706兆円ある。
企業の内部留保金だけでも328兆円ある。

こんな国家は他にない。

19世紀に金をもったイギリスは
シティーを作り金融の国となった。

20世紀にアメリカはウォール街を作り上げ
これまた金融の道を選んだ。

さて、日本はどうするのか?

金融?たぶん日本人気質に合わない。

日本と云えやはりモノづくりだ。

日本人の特徴は稲作農耕民族らしく
みんなで力を合わせ生産をすること。

日本人にしかできないことはたくさんある。

まぁ、こんな話だったが、ノートが読み取れない。
この話は、ここまでで終わる。

続いて、安保法制に関して。

チャイナの軍事力予算は、ここ10年?(ちょっと期間の記憶がない)に
42倍となった。南シナ海などなど好き勝手なことをやっている。

今、一国で全てに打ち向かうことは出来ない。

合従連衡が必要である。

戦後の自衛隊はソ連の北からの侵略を
中心に防衛を考えていた。よって、戦車中心だった。

しかし、最大の脅威は北から南移った。


今後は陸上自衛隊中心だった
ものから海上保安庁、海上自衛隊の強化に変えざるを得ない。

こうしてアメリカとも協力して
抑止力を高めて行く必要がある。

抑止力を高めると戦争になるとは
訳のわからないことをマスコミは言うが、
抑止力とは平和を維持する目的である。

それは、戦後70年の日米安保が証明しており、
世界中の常識中の常識である。

あとは、会の幹部の方が
安保法案に関連して乾杯の音頭で話されたことだが、

集団的自衛権を認めてない国は、世界に日本とスイスしかない。

まぁ、国連が認めており、スイスは認めていないのではなく、
有事の際、他国の協力は不要。

全部自分で防衛するというスタイルだ。

その、スイスは国民皆兵制。武器もフル装備。
アルプスの下は核シェルターが完備されている。

こうして、どことも軍事同盟を結んでいない。

軍事同盟を結ばないということは、個別的自衛権だけで
国を守る意思があるということである。

仮に、日本が日米安保を破棄して
スイスの様に一国で防衛しようとしたら、

それこそ我が国も徴兵制が必要になるかもしれない。

防衛費も今の5倍どころじゃぁ済まないだろう。

そんなことをしたらかの国の思うつぼだ。


話は、冒頭に記した理由から
文章はとりとめのないものになってしまったが、
大方、麻生副総理の講演はこんな感じだった。

 




今日は、ここ数年顔を出している
名古屋での麻生太郎財務大臣の勉強会に出席する。

また、その内容は後日記そうと思う。

最近こういう手抜きが多くて恐縮だが、
昨年の講演時のモノを載せておくことにする。
http://ameblo.jp/central1961/entry-11922723740.html


では、岐阜県経済同友会に連載している春風秋霜を。

春風秋霜  第三回  

「わが社の成り立ちから今日まで」


今回は、グループ社の成り立ちから

今日に至るまでを紹介させて頂くこととする。


創業は明治元年の「港屋」であった。
西暦で言うと1868年、今から147年前に

初代阿部九市が中山道46番目の宿場町として
賑わった大井宿本陣の近くで雑貨商を営んだのを
起源とし、私で5代目になる。

屋号に因んで
「ミ・ナ・ト・ニ・フ・ネ・ガ・ツ・イ・タ」
と言う符丁があったことは、
幼いころに祖母から聞いた記憶がある。

その後、九市の九をとって「カネ九」となった様だが、
はっきりとした記録が残っている訳ではないので、
いつのことかは解らない。


このカネ九は、時代が明治・大正・昭和・平成と
推移する中で雑貨商、飼料、亜炭採取、石油、
プロパンガス、肥料などに形を変えて何とか商いを続けて来た。

昭和26年に父が継いだ頃は、
倒産の危機に直面する肥料屋であった。

23
歳だった父は、
当時既に衰退産業であった肥料に見切りを付け、
土木資材を中心とする建材業へと転換をはかった。

その後、半世紀近く建材ひと筋でやって来たが、
2006
年には介護用品レンタル業を立ち上げた。

幸い事業は順調に推移し現在は
レンタル業以外にも恵那、瑞浪の両市で
居宅介護支援事業をスタートさせると共に、

わが社オリジナルの
「建設と介護の複業化ビジネスモデル」を
全国の建設業者に向けて指導する
コンサルティング業務も行っている。

このことは、何れこの欄で詳しく書くので詳細は省略する。



さて、話しは前後するが、
昭和36年に前述のカネ九の建材販売の営業先であった
恵那土木事務所の所長から

「これから日本にも舗装の時代が来る。
岐阜県ではまだ誰もやっていない。やってみろ」と

背中を押された父は、全く畑違いの建設業に
足を踏み入れ県下初の舗装専門会社、
「中央舗道株式会社」を立ち上げた。

設立のタイミングが昭和40年に開催された
岐阜国体にピッタリと合ったのが幸いした。

その後、アスファルト合材プラントも所有し、
舗装専門業者としての道を歩んで来た。

しかし、私が入社したころには、
様々な環境が変化しつつあった。

そうした変化の中で、
今後も舗装オンリーであることに
危機感を抱きもっとウイングを広げ様と
1991
4月にCIを導入し
「セントラル建設株式会社」へと社名を改めた。

今から振り返ると、
この社名変更をはじめとするCIの導入は、
わが社の一大転機となった。

この取り組みは、対外的イメージと社内的な
意識改革に大きな変化をもたらした。

これほどの成功は滅多にないと評判にもなった。

その後、介護事業や住宅事業。
それに関連するコンサル事業。

或いは、ダンプ事業や車輛整備事業など等の新規事業に
取り組み事業領域を拡大させて来られたのは、
CI
導入に起因する意識改革の賜物と言っても過言ではない。

「企業とは環境適応業であり、
常に変化し続けなければならない」と言うマインドは
グループ社員の共通認識のひとつと成り、
企業文化となっている。



そして、グループにはもう一社、
「恵那峡サンド株式会社」がある。

この会社は、恵那峡に堆積した砂を採取し
販売すると言うシングルイシューの会社だ。

今後、川砂は益々貴重な資源と成ることは間違いない。

加えてリニア関連の仕事も動き出す。

そんなことから、この夏には、
思い切って年商の1.5倍の設備投資をす
ることに決めた。

大勝負であるが、博打ではない。

吉と出ると確信している。


今後も、社会環境の変化を更なる
複業化のチャンスと前向きに捉え、
地域になくてはならない存在と成らんがための
企業努力を重ねて行く所存である。

 

昨日、中津川商工会議所の
丸山会頭にお世話になって山梨の実験線でリニアに試乗した。

走行した距離は、往復でおよそ100キロ。

スターして1分ほどで車輪走行から宙に浮く。
その後、数分で時速500キロまで上がる。

実際には600キロ以上で走れるが、昨日はここまで。

この500キロのトップスピードもつかの間。

2分もするとブレーキがかかり始め、
瞬く間に50キロ先の終点に着いてしまう。

実に早い。静かで揺れも少なく快適。


そこで丸山会頭にお礼のメールを入れた。

すぐに返事が来た。

感想はどうだった?

俺も数日前に乗ったけど、
俺は「何にも感動しなかった」が感想との内容だった。

実は、私もそう思った。

早くて静かで快適だが、なんか感動がない。

夏目漱石に成ったつもりで、
何故かを帰りの九十九折になった坂道を走りながら考えた。

そうだ。そこには、風景がない。
人間味がない。 情緒がない。

リニアは殆どがトンネル。

数分間の乗車中見ていたのは、
テレビに映し出されるスピードメーターだけ。

もし、乗ったのが単なるリニアの形をした箱で
適当な振動と音を出していただけだとしても、
きっと解らないだろう。

500キロと画面に出ているから、そうなのかと思うだけで、
100キロを500キロと言われたって、解りようがない。

その空間はデジタルでアナログがない世界。


そこで、私の、そして多分丸山会頭も抱いた
感動のない世界を、替え歌で表現して終える。

♪♪
スピード スピード 窓の中
畑も飛ばない、家もない

走れ― 走れ― 走れ―
トンネルだ トンネルだ 虚しいな~ ♪♪


※こういう情緒がない。
https://www.youtube.com/watch?v=v2h5iLbYXn0

 




来週は、お盆。

お坊さんは大忙し。

お坊さんと言えばお寺。
お寺と言えば、仏教。

ところがである。

お盆は仏教行事じゃないって言ったら信じてもらえるだろうか?

過去に書いたもので恐縮だが、不思議に思われたらご覧頂きたい。

http://ameblo.jp/central1961/entry-11304099090.html

 
さて、閑話休題。

岐阜県経済同友会に連載している「春風秋霜」の
つづきを
載せるが、ワードをAmebaにコピペすると
文字サイズが揃わない。

誰か、処置方法解かる方。教えて頂きたく候。



春風秋霜5月号 「古典を勤しむ」

 
 ここ十数年来、古典を勤しむ塾を主宰している。
但し、私が教えている訳ではない。

私は塾長と言う立場。
まぁ、生徒会長の様なものだ。



塾生は会社経営者、サラリーマン、学校の先生、
銀行マン、主婦などの老若男女
20余名。

塾では月に一度、
国内外の古典を通して
歴史、哲学、宗教、文化、経営などを面白おかしく学ぶ。


漱石、鴎外、シェークスピアにゲーテ等々、
誰でも知るビッグネームをはじめ、三木清『人生論ノート』、
プラトン『ソクラテスの弁明』、デカルト『方法序説』などの
マニアックで頭の痛くなりそうなものまで含まれるが、

不思議にそれが楽しい。

読むのは、文庫本になっている日本と海外の古典を交互に
100冊。

 
その中の一冊にショウペンハウエルの『読書について』があった。

彼は、乱読は無意味。読書には取捨選択が必要。
洪水の如く出る新書の大半は読むに値しない、

古典を読めと説いている。

彼がこの本を上梓したのは、今から
200年以上も昔のことだ。

今日の我が国で発刊される冊数は、
ショウペンハウエルが生きた時代とは雲泥の差。

一日に
200冊以上、
年間
8万冊を超える数の本が出版されている。

洪水どころか津波だ。

こうして大量に発行される新書だが、
その大半は月刊誌並の速さで姿を消す。

名著なら必ず残る。

自分でいちいちこれは良い、
悪いなんてやっていたら大半の読書は無駄になる。

だったら長年、世界中で読まれ続け残ったもの、
つまり古典を読むのが賢い読書と言えよう。


話は変わるが、二年ほど前に翻訳家であり
エッセイストであり心理学カウンセラーでもある、
才色兼備を絵にした様な藤原美子女史とご一緒させて頂いた。


女史のご主人は『国家の品格』の著者、
あの藤原正彦氏で正彦氏がケンブリッジ大で
教えていたこともありイギリスでの生活体験がある。

女史が言われるには、
イギリス人と会話すると大半の人が各国の古典の話を持ち出す。

文学の宝庫である日本の古典もよく話題になると言っておられた。

それなりの英国紳士淑女とお付き合いするには、
世界の名著を読んでいないと始まらないそうだ。

 
 
そうそう。あの
JFケネディが大統領就任時に、
上杉鷹山を尊敬していると日本人記者に語った。


しかし、日本人記者たちが、
上杉鷹山を知らずに恥ずかしい思いをしたと言う。


海外の知識人が日本を知るうえで
必読書とされる日本人が英語で上梓した古典が三冊ある。


岡倉天心の『茶の本』、新渡戸稲造の『武士道』、
そして上杉鷹山や西郷隆盛等
5人を紹介した
内村鑑三の『代表的日本人』が、それだ。

ホワイトハウスを担当するほどの
各紙のエリート記者が世界中で読まれている日本の古典を
読んでいないことが暴露されてしまった訳だ。

さぞバツが悪かったに違いない。


 
グローバル化が進む中で大切なこと。

それは、自国は元より各国の歴史や文化、
或いは著名な人物や世界の哲学、宗教などをしっかりと
勉強し把握しておくことだ。


そのために最も有益なこと、
それは古典を勤しむことに他ならない。

 


 


この4月から、
岐阜県経済同友会の会報にコラムを連載している。

頻度は、月一回。合計12回と成る。

最近ズクがなくなってブログを記す機会が激減した。

一昨夜のこと。

ある店のカウンターで一杯飲んでいると
隣のテーブルで飲んでいた先輩が私の横に来てビールを注ぎながら
「どうしたよ?ブログ。なんでもエエで書けよ」と言われた。

「何でもエエと言っても、最近世間に疎いので・・・」と返事をした。


そしたら、
「同友会に毎月書いとるらしぃに。オレ入っとらんでそれ載せれよ」と
言われた。


相手は先輩。首を縦に振るしかなかった。

そんな訳でこれまでに書いて
既にオープンになったものをポチポチと載せることにする。


☆☆☆☆☆
岐阜県経済同友会 春風秋霜4月号(第一回) 

「タイトルと自己紹介」




まだ肌寒い3月初めのある日のこと。

外出先から戻ると、蛍雲堂の川瀬さんから

電話があったとのメモを発見。


このコーナーの前任者だ。
普段なら「電話をくれ」だが、「かけ直す」とあった。


これは何かあるなと思い電話すると、案の定、
「俺の次にこのコーナーを書いてくれ」とのことだった。


氏は岐阜新聞の元恵那支局長。
私がJC時代からお世話になっている。
首を横に振る選択肢はなかった。

と、言うことで、
この欄で一年間お世話になることになった。


第一回目の今回は、
コーナーのタイトルとした「春風秋霜」
についてと簡単に自己紹介を記すこととする。

タイトルを何にしようかと考えていた折に
ある書物にあった「春風秋霜」と言う言葉に目が止まった。


正確には「以春風接人 以秋霜自粛」と書くそうだ。


春の風の様に温かい気持ちをもって人に接し、
秋の霜のように厳しく自分を見つめよ、と言う意味だそうだ。


私には似合わないが、読んだ瞬間に気に入った。
それと何と言ってもこの言葉をタイトルとした理由は、
地元と縁のある儒学者佐藤一斎の言葉だったからである。


佐藤一斎は、合併で恵那市となった岩村藩の
江戸家老の子息として藩邸下屋敷内で生まれている。


後に、江戸幕府直轄の昌平坂学問所の塾長を務め、
佐久間象山や渡辺崋山などなどを育てたことでも名高い。


郷土が誇る偉大な教育者である。


さて、不肖私の自己紹介に移るが、
四角四面に書いたのでは面白い筈もない。


よって、今回は、普段滅多に話すことのない
ニューヨークで過ごした4年間を中心に記すことにする。


1956
年(昭和31年)恵那市生まれ。
恵那高校から日本大学経済学部へ。
卒業と同時に留学ビザで渡米、ニューヨーク市郊外にある大学へ。

半年後、大学の近くにオープンした日本食レストランで
アルバイトを始めると、支配人を任せるから残ってくれと誘われ退学。


アルバイトから二週間で副支配人になり、
その二カ月後には支配人に就任した。


当時、日本の大卒者初任給が13万円前後で1ドルが250円の時代に、
私は手取りで1100ドルもらっていた。

レストランなので食事付きで、
アパートも会社持ちだった。結構優雅に過ごせた。


だが、留学ビザのため不法滞在者となった。
まぁ、当時のアメリカでは珍しいことではなかった。


丁度その頃、生まれてからずっと一緒に暮らしていた
祖母が亡くなったが、不法滞在者は一旦帰国すると再入国に
支障を来すことも起き得たので葬儀も欠席せざるを得なかった。


給料は下がったが、二年後にマンハッタンでスポーツ用品を扱う、
私を含めて総勢6名と言う職場に転職した。


社長はWASP、経理の女性はユダヤ人、
その他スタッフも全員ルーツ国も宗教も違った。

東洋人は私のみ。そういう中では「沈黙は金」は通用しない。

「雄弁が金」とは言わないが「沈黙は石ころ」だと感じた。

前職より待遇はずっと悪かったが、
人種のるつぼと言われるニューヨークならではの経験が出来たことは、
今にして思えば、その何倍もの価値があったと思う。


1984
年に4年ぶりに帰国すると同時にセントラルグループ各社に入社。

そして、1999年。平成111111日と言う1並びの日に、
父を継いで代表に就任。現在に至る。


趣味は、古典と食べ歩きと書いておくことにする。


前者は、きっと一年のうちの
どこかで詳しく書くことになると思うので、今回は省略しておく。


後者は肉でも魚でも嫌いなものはない。

特に麺類、旨いラーメンには目がない。
飲み物はアルコールが入っていれば何でもOK

現在、拝命している公職は恵那商工会議所副会頭、調停委員など。

座右の銘はと聞かれると
「人間万事塞翁が馬」「得意淡然・失意泰然」などと答えることが多い。

これからは「春風秋霜」も加わりそうだ。

まぁ、ざっとこんなところが、私の姿だ。

一年間、宜しくお願い申し上げる。   

昨日のつづき。

動画を見て頂いた方には「何を今さら」だろうが
観てない方のために、念のため。

まず第一にチャイナの人々は自国を信用していない。

アメリカで生まれた子供はどこの国籍であっても21歳になると
アメリカ国籍を選択することが出来ると言うアメリカの法律がある。

だから、将来自国がどうなるか
不安な富裕層はわざわざアメリカまで行って子供を産む。

子供がアメリカ国籍を取れば、親も自動的に移住出来るそうだ。

その数はおびただしく
妊婦チャイナタウン呼ばれる団地すらあるそうだ。

自国の将来を信用していないから
財を成しても、国内で投資をしないで海外に持ち出す。

自国の商品に対する不安も然り。
例えば、粉ミルクなんて自国のものは怖くて買えない。

だから、海外で爆買に走る。

こうしたことから、GDPに占める個人消費は
日本が60%であるのに対し40%しかない。

そうしたチャイナの経済は輸出と不動産投機に支えられていた。
しかし、人件費の高騰から輸出は他のアジア諸国に押され気味。

不動産も誰も住まないアパートが乱立していると言う。

まぁ、こんなかんやでチャイナの経済は非常に危なっかしい。

そこで何とかしなければと考え出されたのが
アジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立。

チャイナが半分負担して、本部を北京に置いてと言うあれだが、
此れも、表向きはかっこいいことを言っているが、中身は
チャイナのチャイナによるチャイナのための銀行。

そんなものに絶対に加盟してははならないと警鐘をならす。

これは、対談を聞いて初めて知ったことだが、
チャイナは、日本主導で存在しているアジア開発銀行(ADB)
多大な債務が残っており、それは全体の25%にも上ると言う。


人様から借りたお金を返すことなく
自分で銀行をはじめるちゅうことだ。

恐ろしき国家である。

最近、いいアプリを発見した。

これによって朝のウォーキング時や
電車に乗っている時の新しい楽しみが出来た。

それは、スマホなりタブレットに動画をダウンロードしておくと
ネットが繋がってない状態、もちろん電話回線3Gを使わなくても
収録した動画が見えると言うアプリ。

今朝は、出がけにダウンロードした
「カツヤマサヒコshow」を見ながら歩いた。
https://www.youtube.com/watch?v=Auny1XAQWLg

30分ほどの番組。
なかなか観るのは大変だと思うので、
今日のウォーキング中に観たそれを要約する。


対談相手は石平http://www.seki-hei.com/氏。
私事だが、5年ほど前に古屋代議士に紹介してもらい
同じワークショップに参加し私も意見を述べさせてもらったことがある。

彼が日本に来たのは天安門事件の前年の1988年だったと言う。


勝谷氏が「最近の若い中国人は天安門事件のことを知らない」と言うと
石平氏は「それは当たり前。教えられていない」

それどころか天安門事件はなかったことになっている。
チャイナでどんな文献を探しても天安門のての字も出て来ないそうだ。

それどころか、当時学生側の立場に立って失脚した
チャイナ共産党の総書記であった趙紫陽https://goo.gl/QQNi4c
 は、歴代共産党総書記の名簿からも末梢されていると言う。

総書記と言えば、日本で言う総理大臣。
否、国家元首でもあるからもっと上と言っても善かろう。

幾ら鳩山由紀夫と菅直人がデタラメで酷かったと言っても
日本では歴代総理の名簿から消えることはない。

それどころか国賓をお迎えする時の
宮中晩餐会には、歴代総理として招待状も届く。

彼らは、チャイナで政治をやっていなくてホントに幸せ者である。

因みに、現在の総書記は習近平。
彼だってもしかしたらもしかするかも知れない。

これぞ易姓革命、実に恐ろしい国である。

話しを戻す。

石平氏は自分が日本へ来る1988年までの
チャイナは反日なんかではなかった。

それどころか日本は憧れの国で
一番の人気者は高倉健と山口百恵だったと言う。

それが何故反日になったのか?

その節目が天安門事件だった。

天安門事件とは共産党が戦車を首都の
ランドマークである天安門広場に出して学生や
一般市民を皆殺しにした「北京大虐殺」である。

チャイナ共産党は国民の批判の目が共産党に向くことを恐れた。
そこで、この事実を封印し、国民の目が他に向かうように仕組んだ。

それが、1989年以降に始まった反日教育であった。

それ以降、日本は先の戦争で云々・・。
靖国参拝は云々と、政策的に言うようになったわけである。


彼の話はまだあるが、これから出かける。

残りは明日書くことにする。