関所で『老子』を書き残し、西へ去って行った老子は、
その後、消息不明となって、人物老子の話はここで終わってしまう。

あの孔子が遠路はるばる挨拶に上がった超偉い人物である
老子がこんな形で終わってしまっては、つまらない。

今だったら、ビンラディンみたいに国際手配でもして
探し出せるが、何せ2500年も昔には、それは無理であった。

そこで誕生したのが「老子化胡説」である。

「胡」とは西を意味する。
無論インドも支那から見れば西だ。

よって、西から伝わったものは「胡」が付く。
胡瓜(きゅうり)、胡麻(ごま)、胡桃(くるみ)、等々。

そうそう、胡坐(あぐら)もそうだ。
そう言えば、昔二度ほどインドへ行ったことあるが、
彼らは、駅のホームなどで胡坐をかいていたことを思い出した。

胡坐とはインド風座り方と言うことだろう。

話が回りくどくなったが、老子化胡説と言うのは、
老子はインドへ渡ってゴーダマ・シュッダルタになった。

ゴーダマ・シュッダルタに。
つまり、お釈迦様になったちゅうやつである。

まぁ、これはあり得ないが、
日本にも義経がジンギスカンになったとか
明知光秀が天海になったとかある。

はたまた、
キリストのお墓が青森の戸来にあるとかhttp://goo.gl/bRS6ll
楊貴妃は日本に渡ったと言うhttp://goo.gl/eF4elo話は一杯あるが、
こうした類の話の世界のザ・オリジナルがこの老子化胡説と言えよう。

この化胡説は、仏教行事と道教行事が
その後、ごちゃごちゃになっているので、
老子と釈迦は同一人物と信じれば手っ取り早かったのであろう。

もともと仏教徒は死後に天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の
六道を輪廻転生すると言うのが根本思想だ。

その六道輪廻転生の苦しみから逃れることが
仏教における本来の、解脱と成る訳だ。

上座部仏教、若しくは大乗でも聖堂門仏教では、
それは難行苦行で。浄土門では、念仏でと言うものだ。

よって、本来の仏教には戒名も位牌もお盆も法事も有る筈がない。

禅宗でよく言う、般若心経の「空」なんかは、ズバリ道教がその元だ。

そして、道教風仏教が日本に伝来するとまた神道と再ミックスされた。


話が、まとまらないばかりか、
だいぶ「インネ」の方にずれてしまった。

今日は、ここで一度強制終了し、次へとつづく。