昨日は途中で終わってしまって書き切れなかったが

「小乗仏教」と言う呼び名は「大乗」サイドが、あんたらの発想は

「小さな乗り物」に過ぎないと呼んだ、侮称なので

正しくは「上座部仏教」と言う。


当時と言っても2000年も前の話だが、

大乗サイドの意見に反対を唱える長老の僧侶衆は

「上座」に座って居たことから、この名が付いたそうだ。


そして、仏教はインドから支那(周・隋・唐)、

百済を経て日本へと伝わった。


昔、「ゴミ屋が伝えた仏教」と覚えた記憶がある。

日本への仏教伝来は百済から538(ゴミヤ)年とされる。


この頃、百済は新羅と戦争状態にあり、

百済王は我が国の欽明天皇に出兵を求めた、

この時に持参したのが百済観音と経典だったとされる。


こうして我が国に入った仏教だが、釈迦の時代から既に

1000年が経過しており、入った時点から、それは既に「大乗」であった。


加えて、ここが大切だがこの1000年のうちに仏教は

支那で「道教」や「儒教」とも交じり合い、同じ大乗仏教でも

インドのそれとは全く違う「支那風ミックス仏教」になっていた。

そもそも、日本に伝わった時点で仏教は本家本元のものとは

異質のものであったと言えよう。



例えば、初七日、四十九日、一回忌、三回忌、十三回忌などの法事。


今までの連載を読んでいただいた方には、分かって頂けると思うが

これらは、「輪廻転生」とは明らかに矛盾する。


そもそも初七日とは何か?

日本では故人が「三途の川のほとりに到着する日」とされているようだ。

だが、本当は釈迦の母である摩耶(まや)が亡くなった日のことである。


天上天下唯我独尊と言って釈迦は生まれたとされる。

実は、母摩耶はその七日後に亡くなっている。その命日なのだ。


それがどこでどうなって、三途の川のほとりに到着する日と

なったかは、私は知らない。勉強しておく。


ついでに、四十九日。

これは次の六道に行く日、つまり輪廻する日である。


仏教本来の考えでは、人間は死んでも霊にもならないし、

仏にもならない。六道を輪廻する訳だから

法事は、支那で道教や儒教とミックス(習合)されて出来た行事であろう。

そして、日本に伝来すると今度は「神道」と習合された。

神仏習合である。古神道の先祖供養の考えを元に出来た行事。


それが、お盆である。



ちょっと難しくなってしまったが、お解かり頂けたであろうか?



こんな話を来週9日に話す。


今日のところはここまで。



我が国における仏教の普及経過である


法隆寺や薬師寺などの南都六宗の創設から鑑真来日。


最澄と空海の天台宗と真言宗。

法然、その弟子の親鸞らが開く浄土系。

栄西、道元の禅宗系。日蓮の法華経。


この辺は、今週末に再度読み直す。



また、一夜漬けのにわか知識は、後日記す。