観音の目で相対界を観照する | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

私達は人間として生まれ、人間としての体験を積み重ねている。
その中には嬉しいことも悲しいこともあるだろう。
どうせなら満足度の高い幸せな人生を送りたいものだ。

だがこの世は二元の世界である。
幸福の裏には不幸がある。
光の裏には闇がある。
全てが相対的なのである。

人を幸せにする条件が、そのまま不幸の条件にもなっている。
欲しいものが得られれば満足する。だがそれを失ってしまったとき、今までの満足はすぐ「苦」へと反転する。

嬉しいだけの人生など有り得ない。
楽しいだけの人生など有り得ない。
幸せなだけの人生など有り得ない。

諸行無常。
我々はこの現実を受け入れなければならないのだ。
幸福も不幸も全てを。

だが人はそれを拒否する。
都合の良い現実だけを受け入れ、都合の悪い現実は拒否する。
それは全く無意識のうちに発生する心理反応だ。


幸せを求めることが悪いわけではない。
普通の人間なら、嬉しい事や楽しいことが起こる人生を求めるだろう。
それは当然のことだし、何一つ悪くない。

では私は、何を言わんとしているのか?
悪いことが起こっても、それを受け入れることが大切…と言いたいだけである。

現実は現実だ。
どんなに嫌な出来事であっても、起こってしまったものは仕方ない。
その現実は否定できないし、受け入れるしかないのだ。

だが、人はそれでも都合悪いことから目を背けたがる。
この様な心理反応こそが問題を長引かせ、同じような問題を繰り返し引き寄せる元凶になっているのだ。

脳内お花畑スピリチュアルが、それを助長させる。
困ったものだ。
人を目覚めさせ、繰り返しのパターンを終わらせるはずのスピリチュアルが、逆にカルマを積ませてしまっている。

最悪なのは「好きな事だけをやってみよう」「嫌なことはする必要がない」と説く連中である。

好きなことをやること自体は問題ない。私も日々、好きなことをやっている。やりたいことをやっている。
問題は「好きな事だけ」という制限思考だ。

好きなことをやってみる。
好きなことだけをやってみる。

前者は人を前向きにし、魂が望む体験を加速させてくれる。
後者は人を縛り付け、現実を受け入れられない原因を作ってしまう。

魂は決して好きな事だけを体験したいわけではない。
魂は成功だけを体験したいわけではない。
魂は幸福だけを体験したいわけではない。
魂はワクワクする事だけを体験したいわけではない。


幸福や成功を求めること自体は構わない。
だが、それが全てではない…という事だ。
失敗しなければ分からないことがある。人はその失敗を通じて成長することが出来る。

嫌なことや苦手なことを通じて色々な学びを得て、成長することもできる。
好きなことや得意なことだけを求めるならば、人はいつか堕落する。
魂はそんな人生を求めていない。


貴方が生きている世界に、なぜ他人が存在するのか?
貴方が貴方自身を理解するために、他人が存在するのである。

たとえ無人島で一人で生きている人も同じことだ。
結局、動物、植物、昆虫など、他の生き物を食べなければ生き続けることが出来ない。
つまりその人は「他との関わり」によって自己理解を深めることが出来るのだ。


貴方の人生には成功体験もあるが、失敗体験も多かったはずだ。
では、なぜ失敗したのか?
貴方が貴方自身を理解するために、失敗があったのである。


貴方は普段、健康かもしれないが、病気だった時もあるだろう。
では何故に健康だけではないのか?
なぜ病気もあるのか?
それは貴方が貴方自身を理解する為である。

たとえ生まれつきの難病だったり、身体障害者だったとしても同じことだ。
自分の意思で考えることが出来ない程の重症の場合はともかく、自分で考え、選択できる余地があるならば、やはり自己理解を深めるチャンスがある。

ホーキング博士は重度の身体障害者でありながら、理論物理学の分野で偉大なる業績を残したのである。


世の中には選択の余地もないほど酷い環境に生まれた人もいる。
重度の脳障害で思考力が働かない人もいるし、両親が酷い人でまともな選択ができない環境で生まれ育った人もいる。

その場合、過去世のことも含めて、長いタイムスパンで考えなければならないことになる。
しかし、私が読者に伝えたいのは、「貴方にとってはどうなのか?」という事である。

一部の例外の事例を挙げて「エンライトの言うことは間違ってる」と突っ込みたがる人もいるが、そんなことはどうでもいい。
私は純粋な真理のみを伝えているのではない。
むしろ、生きる上での心構え、在り方を重視してきた。

少なくとも貴方がエンライトブログを読んでいるという事は、自分の意思で選択できる余地があったことになる。
その事を十分に自覚し、自問自答していただきたい。

貴方の周りに他人がいるという事は、貴方自身を理解する為なのだ。
その様に心掛け、相手との関わりを通じて自分自身を観ることだ。

成功も失敗も、健康も病気も、幸福も不幸も、自己理解を深める為に存在していたのである。
そこに気付き、真に理解を深めることが魂の成就に必須なのである。




エンライト@太古の道先案内人


エンライト妹・上原美雨


河合さくら(奥山さくら)エンライトの愛弟子