心の連続体にある苦を認識する | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

苦に満ちた世界。
永遠の幸せなど存在せず、全ては移り変わる。
そんな世界で揺るぎない安心を得るには、どうしたらいいのだろう?

信仰を通じて安らぎを得ようとする人がいる。
最初から無理だと諦めている人もいる。
未来に希望が持てるプラスイメージを心に思い描く人もいる。


釈迦が入滅する前、弟子から相談を受けた。
「師匠亡き後はどうしたらいいのでしょうか? いったい何を心の拠り所にし、指針にすれば良いのですか…」

釈迦は答えた。
「あなた自身を拠り所にしなさい。法を拠り所にしなさい」

師匠である釈迦を徒らに神格化しないこと。
信仰の対象にしないこと。
あくまで自分自身を拠りどころとし、「法」を拠りどころにしなさい、と。

仏教にとっては法が全てである。
誰も破ることのできない絶対真理として…。
故に釈迦の入滅後に何を指針とすべきかは、法しかないことになる。


時代とともに仏教も大きく変わっていった。
膨大な数の仏像が造られ、信仰の対象となった。
釈迦の神格化も著しく進んだ。

しかし釈迦はあくまで「法」を拠りどころにせよ…と。
その教えに反するわけにはいかない。
そこで大乗仏教の僧達は考えた。
「法の人格化」というアイデアである。

法身という。
部派仏教の説一切有部にも法身という概念はあったが、あくまで仏陀釈尊の説いた法の「功徳」を意味していた。
ところが大乗仏教では絶対真理の人格化・神格化という形で信仰対象を生み出したのである。

仏教はその後も信仰的な要素を強めていった。
ヒンズー教の神々を仏教に取り込み、更にインド土着の精霊から悪霊、鬼神まで取り込んだ。
かつては凶悪な悪霊だったが、仏法に触れて改心し、護法神になった…というストーリーである。


さて、冒頭の「安心」のことだが、「この世的な安心」「絶対的な安寧」では質が違う。次元が違う。
後者は悟りや解脱の道に通じる。

この世的な安心を得るなら、まずその人を悩ませている問題をひとつひとつ解決すればよい。
処世術、問題解決法と呼ばれるものだ。
また、神々への信仰など、宗教的な方法で安心を得ようとする人もいる。

旧約聖書に基づく宗教を信じる人は、全知全能の創造主に頼るわけだ。

だが、仏教のやり方はだいぶ違う。
仏教ではそもそも全知全能の存在など認めていない。
釈迦が授けた根本的な解決法は、苦の正体を見極めることである。

神に頼るのではない。
問題が解決し、願望が叶った状態をイメージするわけでもない。
まず「苦」に向き合うのが仏教のやり方である。

悩み、苦しみ、恐れを観察し、その根本原因に気付き、理解する。
すなわち無明に気付くこと。
非神秘・闇により迷妄に陥った状態、煩悩…。

仏教ではそれを持戒、自己観察、瞑想等を通じて破壊するのである。
つまりそのまま悟りと解脱の道なのだ。

しかし、誰もがそんな深いステージに至れるわけではない。
解脱するには徹底的に瞑想に打ち込む必要があるが、多忙な現代人には無理が多すぎる。
出家するならともかく…。

故にもっと現実的な問題解決法や心を安定させるトレーニングが求められる。
究極の境地には至れなくても、不安を減少させたり、安心感を増すための方法を見つけた時は、積極的・自主的に取り組んでほしい。

末期の難病で、時間的にもう間に合わないケースもある。
しかし、そこまで問題が深刻化していないときや少しでも可能性が残されている場合、やるしかないだろう。

何をするにも中途半端が一番良くない。
物事はやり切ること。
エネルギーを後に残さないこと。カルマになるからだ。
中途半端なままで終わらせた場合、あとで大きな後悔が生まれることになる。


無明という非神秘・闇に気付き、打破するにはサマーディという深い深い瞑想が必要だ。
しかし一般人がそこまで深い状態に入れるのは稀である。
本格的な瞑想はリスクも高い。
優れた師匠による指導が必要と言える。

しかし、そこまで深いレベルじゃなくとも、問題の原因に気付くことは欠かせない。
無明という根本原因を悟るのは無理でも、もっと浅い次元の原因なら突き止められるかもしれない。
それさえ分かれば最適な解決法も発見しやすくなる。

ただし、ここで注意点。
私は「原因探し」を勧めているのではない。
原因を追いかけることに夢中になると、思考が袋小路に嵌まり易い。

私が言う原因発見のプロセスは、あくまで「観照的に」ということだ。
ただ観ていること。
自分の状態に気付いていること。
それを続ければ内部の無意識層が勝手に理解してゆく。


現実レベルでの分析も必要となる。
私は某自己啓発スクールが指導していたカード法をよく使っていた。

問題を構成する諸要素を分解し、ひとつひとつ明らかにし、一枚一枚のカードに記入する方法だ。
自分の考えは入れない。
推測も入れず、事実だけを書いてゆく。
そして、それら諸要素の相互の関係性を探るのである。

その団体のオリジナル・メソッドなのでこれ以上詳しく明かすことは出来ないが、ヒントにはなったと思う。


ナポレオンヒルの成功哲学では、問題を細分化する方法を教えていた。
やはりここでも細分化か…。
どんなに大きな問題でも、それを構成する諸要素は小さいものが多い。
ただ、それらが全て合わさることで問題が大きくなってしまう。

だから問題を細かく分解し、一つ一つの小さな問題として並べて、ひとつひとつに取り組むのである。

人は大きな問題に直面すると、そのスケールに圧倒されてしまう。
平常心を失ってしまう。
「解決するのはとても無理だ」と諦めの気持ちが湧くかもしれない。

しかし、ひとつひとつの小さい問題になるまで分解し、課題を見出し、今の自分が出来ること一つ一つに手を付けてゆけば、問題解決がスムーズになるかもしれない。
ぜひ参考にして戴きたい。