神社と鏡と水織音と祈り | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

太古の日本ではアニミズムが盛んだった。
自然界の霊魂を崇拝するわけだ。
祖霊信仰・祖先崇拝もある。儒教や大乗仏教の影響を受けていなかった時代は、死霊がもたらす災いを封印する目的だったという。

天孫が降臨してから人格神への信仰も盛んになった。天照皇大神や須佐之男命など…。
神話でもお馴染みの神である。
それまでの日本の多くの神社が人格神に祭り替えるようになった。

自然霊崇拝が無くなったわけではない。
群馬県の榛名神社の主祭神は火の神と土の神である。
最も注目されているのは御姿岩(みすがたいわ)であろう。この岩の洞窟内にご神体が祭られているという。

近年、榛名神社はパワースポットとしても有名になった。
陰陽で言うなら「陰の質」が強いため、相性の合わない人もいる。
ただし浄化の力はかなり強い。

沖縄県と北海道では多くの神社の神が祭り替えられた。
そのため土着の神が抑え付けられてしまった。
本来あってはならないことである。

埼玉と東京(武蔵国)の一宮・氷川神社の主祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命だが、本来は広大な沼(見沼)の水神を祭っていたという。

出雲大社のしめ縄は日本最大級の大きさである。
その大しめ縄は神楽殿にある。
拝殿や本殿にもしめ縄があるが、最も大きいのは神楽殿のそれである。

綯いはじめが右であり、左に向けている。通常の逆である。
国譲りの神話に基づいている。
だが本当は譲っていない。
侵略され、強制退去させられたのである。

ちなみに大国主命は一柱の神ではない。
日本列島の各地に各グループがあった。
その首長たちを総称して大国主命と云うのである。


日本人にとって神社は非常に大切だと思う。
では、どんな姿勢で参拝するのが最善なのか?
これまた様々な意見がある。
祈願することを肯定する人もいれば、否定する人もいる。

そもそも神の性格も多様である。
人の幸せなど興味がない神もいる。
もちろん、人の幸せを願う神もいる。

私が神社に参拝するときは願い事をしないことが多い。
だが、皆無というわけでもない。
加持祈禱やセルフヒーリング等で神々に祈り、エネルギーを降ろしていただくのだから、日々祈願していることになる。

ただし神社に参拝中は祈願しないことが多い。
感謝するだけである。
いや、感謝しないことも多い。無心で自分の心に向き合う。
ご神体が鏡だから…。

神道教師を自称する山田雅晴氏は、願いが届きやすい祈願法を指導しているようだ。
願いを叶えて下さい…という他力本願ではなく、決意表明の場だと述べている。
実現するために、自分は何をするのか? その努力・行動計画をご神前で打ち明け、後押しをお願いするわけである。

とあるスピリチュアル雑誌では、ご高齢の神道家が「なんでも祈ったらええ」と語っていた。
小さな子供がオモチャを親にねだるように、無邪気な想いは神に通じるという。
しかし、真にハートの道を歩んでいる人じゃない限り、リスクが高いと思う。

神社には眷属もいる。彼らが曲者なのだ。
ハートを無視した我欲であっても、眷族は「面白い。この者の願いを叶えてやろう」となる場合もある。
それはカルマになるし、霊的借金をすることにもなる。


貴方は神々とどの様に向き合うか? そこに貴方の本心が現れている。
願い事をするな…とは言わない。
だが神社といえば祈願する場所だと思い込み、願い事をしなければ損だ…とばかりに願掛けしまくる人がいる。
止めた方がいいよ、と老婆心ながら言っておきたい。

神は打ち出の小槌ではない。
神社とは、神と自分の繋がりを感じ取る場所である。
もちろん大地もだ。

エンライト@太古の道先案内人