行き場のないエネルギーを呼び戻す | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

魂を生きるということは、天地にまっすぐに在ることと同じである。
貴方が前に進むとき、天地も前に動いている。
貴方が後ろに動くとき、天地も後ろに動いている。

チベット仏教には「中空の竹」という概念がある。
斧で竹を割ると、中は空洞である。
だが何もないわけではない。大地の精気のエネルギーがたくさん詰まっている。

貴方が軸を整え、天地にまっすぐに在るとき、魂は本来の在り方に留まることになる。
そのときカルマも消えている。

カルマは天地にまっすぐな在り方を妨害する。
曲がった在り方、繋がらない在り方へと誘惑する。
故に軸をまっすぐに整えることがそのままカルマ解消につながるのである。


言葉にするのは簡単だが、多くの現代人には難しくなっている。
一時的にまっすぐになることは出来るが、次の瞬間には再び曲がってしまう。
出戻りみたいなものだ。


整体、ヨーガ、気功体操、エネルギー療法には脊柱を調整する技がある。
カイロプラクティックもその一つだろう。
(私は背骨を歪める根本原因である骨盤や股関節のズレにも注目している)

これらの健康法や療法を実践しても、すぐには効果が出ない。
継続する必要がある。
股関節の角度を整える礒谷療法でも根気が必要である。

では、なぜ時間がかかるのか?
強固な癖になっているからだ。
長い年月の間、不自然な姿勢を続けた結果、体の歪みが強く定着してしまっている。

軽いうちに直していれば良かったのに、放置・または誤魔化していたため、すっかり癖になってしまったのだ。

心の問題も同じである。
軽いうちに直すのが一番楽である。長く続いた問題は、解決するのが難しい。
たとえ解決可能であっても、時間がかかる。


カルマが解消された時が勝負である。
換言すれば、天地にまっすぐに整った瞬間だ。
このとき、カルマの方向に使われていたエネルギーを呼び戻し、まっすぐに進むエネルギーに変換し、充填することが大切なのである。

霊能力者が行なう除霊や浄霊にも同じことが言える。
多くの霊能者が口を揃えて言うことは、
「除霊が成功した瞬間に思考を変えること」

思考パターンが変わらなければ、また同じような霊に憑依されることになる。

除霊や浄霊に成功すれば、その瞬間「我に戻る」「我に帰る」という現象が生じる。
パニック状態だったエネルギー体が正気を取り戻す。
その時がチャンスなのである。

その一瞬のチャンスを逃せば元の木阿弥だ。
同じような除霊を何度も何度も受ける羽目になる。
除霊代金が膨れ上がるだけだ。

ヒーリングでもセラピーでも同じこと。
スピリチュアル難民の姿である。


例の思考転換は、今までの思考の延長線上にあってはならない。
それこそがカルマの罠なのだ。
ひとつのカルマが解消されても、他の似たようなカルマがまだ残っている。

故に貴方の今までのマインドで考えてきた「願望」「理想」に引っ張られていては、根本的な解決に至らない。

これまでの思考と感情の癖において「とても嫌なこと」「やりたくないこと」「苦手なこと」がそのままカルマの根本解決につながり、魂の願いに直結しているかもしれない。
それを見極めることが必要となる。

そんな時、
「好きな事だけをやりましょう」
「ワクワクするような体験をしましょう」
という馬鹿スピリチュアルにうつつを抜かしているようでは話にならない。

脳内お花畑のスピ指導者たちも「魂の願い」なるものを口にしている。
だが実際には魂の声など聴いていない。
ハート・チャクラのアストラル次元の信号に惑わされているだけだ。

アストラル体は感覚や感性を司っており、それ自体は非常に重要であり、欠かせない。
だが、この次元体は自己保身の本能に強く支配されており、大局的な目を持っていないのが難点。
近視眼なのだ。


貴方がまっすぐな道を歩きたいと心底願うならば、自分を変える勇気を取り戻すことだ。
変えられなかった過去を受け入れ、許し、その瞬間に意識を切り替えることだ。
そのための第一歩が「決意」である。

力ある愛は、力なき愛を守る。
力なき邪は宇宙の藻屑となり、力ある邪は魔道へと誘う。


私のブログを真剣に読み続け、魂を生きる実践を続けてきた人は、天地にまっすぐで在るためのエネルギー・サポートを受け取っている。
無意識の同意がなされている。

私の命は間もなく尽きるだろうが、サポートを引き継ぐ者たちがいる。
その点は問題ない。
ただし邪心に満ちた自己を変える気が無い者・人心を欺く者には全く関係ない話である。

エンライト@太古の道先案内人