スピリチュアル界ではずっと地球の次元上昇・アセンションの話題で持ちきりだ。
古代マヤ暦をもとに、2012年の12月に人類は滅亡するという説も騒がれた。
もちろん実現していない。
そもそも古代マヤ文明の根底を支えていたのは循環思想である。命は無限に循環するという思想だ。
故に人類滅亡という概念はない。
たとえ滅亡しても、他の世界に魂が移行するだけのことである。
では、何もかも安心していれば良いのであろうか?
私はそうは思わない。
その「他の世界」からの受け入れを拒否されている魂が急増しているからだ。門前払いである。
そうなれば、もはや行き場所がない。
この世に留まることも出来ないし、あの世に行くことも許されない。
宙ぶらりんである。
スピリチュアル界ではここ20年ほど「霊界の消滅説」が騒がれてきた。
私自身はアストラル界(色界)の一部が消滅する現象は確認している。だがあくまで一部であり、全てが滅したわけではない。
さらに上のメンタル界とコーザル界(無色界)も存続している。
だが、ある種のパニック状態であり、緊急事態ともいえる異変が起こっている。それが問題なのだ。
人の意識はあちらの世界と連動している。
故に意識・思考が少しでもカルマの方向に走った時、あちらの世界のパニックのエネルギーが一気に流入してくる。
これも憑依の一種である。
人々は感情を傷付け、ハートの愛を捨て、魂が願う体験ストーリーを拒否し、カルマを積むだけ積んできた。
従来の地球ならそれでも次なるチャンスが与えられた。
だが地球の次元が変わりつつある今、従来と同じチャンスが与えられるとは限られない。
可能性が限りなく狭まったと言っても良いだろう。
これは安直な選民思想ではない。
人類ひとりひとりが自ら選んだことである。
自業自得いうやつだ。
カルマとは「癖・習慣」と言い換えることが出来る。
過去を繰り返すエネルギー。
それがカルマの本質なのだ。
したがって自分の癖や習慣を自由自在に変えることが出来るようになること。それがカルマ解消の第一歩である。
長年のアルコール依存症が祟って慢性アルコール中毒に陥っている人がいる。重度の肝硬変であり、このままでは命も危ない。
そういう人にとって専門的な治療はもちろん、今すぐアルコールを断ち切ることが必要である。
禁酒・断酒だ。
しかし長年の習慣を断ち切るのは容易な事ではない。
ここにカルマ解消の難しさがある。
ゴミを捨てられない人がいる。住む場所がゴミ屋敷と化している。
こういう人は頭では「このままではいけない。要らない物は捨てなければ…」と思っているのかもしれない。
あるいは「何の問題もない」と開き直っているのかもしれない。
実際、重症化すると、問題を問題として認識するのも困難になる。
ある人がネットで「私は電車で痴漢するのが止められない。やめなければ…と思っているのに、どうしても止められない」と吐露していた。
似たような例は幾らでもある。
ストーカー行為を止められない者がいる。異性を強姦するという悪質極まりない業を繰り返す者もいる。
そんな輩でも従来の地球ならば更生と魂回帰のチャンスを与えられてきた。
何千回も何万回も…。
だがその様なチャンスはもうない。
今生が最後と思った方が良い。
地球が次なるステージに進みつつあるからだ。
全ての人がライトボディを獲得し、アセンションを達成する…という幻想は通用しない。
今の時代において、脳内お花畑の思考は最も役立たずのゴミ思考である。
自滅へと繋がるマイナス習慣は何としてでも断ち切らなければならない。
むろん本人が「今のままでいい」と心底思うなら、それもまた自由であるが、後で後悔しても時すでに遅しである。
医学・医療レベルで解決する方法もある。
アメリカではその方面の研究が進み、問題行動に走る人に対するカウンセリングや治療のメソッドが普及しつつある。
脳に異常があるから問題行動に走るのだと見なし、その原因を治療するプログラムだ。
単なる精神論では解決困難なことが多々ある。
だからそれらの問題行動を「病気」と見なし、現代医療の手法で解決を図るわけである。
それ自体はとても意義あることと思う。
だが精神的・スピリチュアル的な視点が無用になったわけではない。
最後にものを言うのは本人の決意である。
今言った「精神的・スピリチュアル的」とは精神世界のみで完結する話ではない。
ヒーラーからカルマ解消ヒーリングとやらを受けて、「はい。これで大丈夫」という世界ではない。
むろんそれらのヒーリングが役立つこともあるが、その効果は常に現実に密着している必要がある。
つまり貴方の現実レベルの習慣・癖が本当に変わったのか?ということである。
現実が何も変わらないのに、頭の中の精神世界だけで
「とてもすっきりしました」
「心が楽になりました」
などと満足しても、単なる気休めである。
現実レベルでどうなったのかが常に問われる。
誤魔化しようがない。
カルマ解消は甘くない。
習慣・癖を自由自在にコントロールできることがカルマ解消の第一歩であり、その段階で手こずっているようでは話にならない。
そういう人にとってのスピリチュアルは単なる精神的自慰に過ぎない。
スピリチュアルを甘く見過ぎている人が多すぎる。
指導者にして「あなたは絶対大丈夫」「安心しましょう」などと気持ち悪い笑みを浮かべながら、貴方の耳元でそっとささやく人が多いのだから論外である。
貴方がそういう指導者のメッセージを聞き、安心したければ、それもまた良いだろう。
だが貴方のマインドの安心は、ハートの安心ではない。
今やほとんどの人の魂は断末魔の悲鳴を上げている。
私の言うことなど信じる必要はないが、貴方が真に誠実に生きたいと決意するならば、せめて貴方自身のハートの悲鳴ぐらいは聞き取れるようになることだ。
全てはその声が教えてくれる。
生き様は誤魔化せない。全ては天地がお見通し。
偽りの安心は麻薬と同じだ。
貴方のハートの鏡はすべての歴史を映し出している。
エンライト@太古の道先案内人