現代のスピリチュアルでは、
「思い込みの解除」「自由な視点と選択」
が主流の指針になっている。
だが、私がスピを実践してきた過程でよく目撃したのは、自由とは正反対の実態である。
スピリチュアル界には、一般の人達よりも思い込みが激しく、思考の自由度が低い人が多かった。
スピには○○の法則と呼ばれるものが沢山ある。
スピの住民は、各自がそれぞれ気に入った法則を信じている。
それは良いとしても、自分が信じた○○法則だけで世の中の全てを説明できると思い込むのは傲慢だろう。
鏡の法則を信じる人は、全ての現象がその法則に当てはまると思い込んでしまう。
引き寄せの法則を信じる人は、それで全てを説明できると思い込んでしまう。
法則そのものは真実だが、我々が生きている物質社会では物理的な力が最も強いので、引き寄せの力が通用しないことも多い。
そもそも現象界は、複数の法則が組み合わさって構成されている。
故に、たった一つの物差しで測れるほど単純ではない。
鏡の法則も同じである。
その法則では説明できない現象が沢山ある。
だが一部の人は、その事実を知った時、辻褄合わせに走ってしまう。
誤魔化しである。
『引き寄せの教科書』という本を書いた奥平亜美衣さんも、その一人だった。
奥平さんは鏡の法則の『相手は自分の鏡』という概念をアレンジし、「相手は自分の思考の鏡」などと言い始めた。
思考という要素を追加し、認識論と融合させたわけだ。
でも結局のところ、彼女の頭の中で辻褄を合わせただけだから、真実を表しているとは到底言えない。
彼女に限らず、認識論を誇大解釈したがるスピ指導者は多い。
引き寄せ系スピ業界によくある教え。
『あると思えばある。ないと思えば無い』
↑
認識論の次元では、この教えもある程度は真実と言えるが、実在論の次元では適用し切れるものではない。
自分の体の中に血液がないと思っても、実際にはある。
心臓や脳が無いと思っても、実際にはある。
無かったら、生きていない。
『病気は無いと思えば、病気が治る』
↑
思いの力の過大評価である。
猛毒を飲んでも無毒化できるヨーガ行者もいるが、それにはサマーディという深い瞑想の境地に入ることが条件である。
そこにはもはや「無毒化できる」という「想念」すらない。超意識による作用だから。
『食べなければ生きてゆけない…というのは思い込みに過ぎない』と言う人もいる。
でも、言ってる本人はそれを実行できていない。笑
単に不食の聖者のエピソードを引用しているだけ。
不食の聖者はそういう役割があるから不食になっただけである。
「食べる」というのは本能の次元でプログラムされている機能であり、思い込みによるものではない。
奥平亜美衣さんの話に戻ろう。
彼女は原発に関する記事も書いていた。
2011年の原発事故の話題が再燃し、コメント欄で読者と論争していた。
『宇宙の法則、引き寄せの法則的には「脱原発!反原発!放射能は危険!」と騒いでいる限りは、原発が存在してしまうため、私は原発や放射能の危険性に関しては常にスルーです』
『あなたが原発に反対するなら、反対する対象を必要としていることになり、原発が存在し続けます。
あなたが放射能が危険で怖いと認識するなら、その怖がる現実のために放射能が用意されます』
人間が有している不安や恐怖心は、生きる上で必要だから存在するのだ。
危機管理の本能である。
脳の前頭葉野にある眼窩脳を取り除くと恐怖心を全く感じなくなるが、そのかわり危険な行為を平気でするようになる。
車が激しく往来する道路も平気で横切るようになる。
危険だと認識していないからだ。
これでは命が幾つあっても足りない。
引き寄せの法則の指導者の多くは、
「望まない現実にフォーカスしないこと」
「マイナスは存在しないと信じること」
などと主張している。
あまりにも非現実的である。
人間には免疫機能があるが、これも細菌やウイルスのように「人体に危害を加えるもの=マイナス」が存在することを前提としている。
だから免疫の力を発揮し、健康を維持できるわけだ。
引き寄せ業界は末期状態だと思う。
病巣があまりにも深く、大きすぎる。
意識の力を万能視し、物質レベルの力を軽視している。
奥平亜美衣さん
『原発が嫌なら、NO!と言うところまではいいと思うんです。
で、嫌なら、そこから変えていく方法というのは、現状のいいところを見る、感謝できるところを探す、それしかないとやはり思います。
批判、非難してても、良い方向へはいきません。
誰も原発を必要としなくなれば、それは自然となくなっていくでしょう』
現状のいいところを見る?
本気で言ってるのか?
この世は相対界だということを、どこまで理解しているのか?
現状の良いところを見るのは構わない。それ自体は素晴らしいことだ。
だが、悪いところも見る必要がある。
良い・悪い…を分け隔てなく。
そうでなければ災害対策も防犯も成り立たない。
地震や津波などのマイナス現象を想定しなければ適切な災害対策が出来なくなるので、いずれ大きな災厄と悲劇を招くだろう。
意識の力だけで全ての現実が創造できると本気で信じる人は、思考と認知能力に重大な欠陥があると言わざるを得ない。
誇大妄想である。
「太陽は西から昇って、東に沈む」という元祖天才バカボンの主題歌のような世界をいくら強く信じても、太陽は毎日東から昇る。
当たり前の話だ。
奥平さんの次の言葉にも注目してもらいたい。
『それしかないと思います』
それしかない…と限定しているわけだ。
だが最適な方法は一つではない。
人それぞれ自分に合った道がある。
それがこの現象界の定めだし、一人一人が個性を発揮できるスペースを生むのだ。
だが目が点になっている人は「それしかない」と思い込み、一つのドグマに囚われ、柔軟で多角的な考えが出来ない。
カルトを狂信するのと同じこと。
奥平さんはあまりにも非現実的な教えを拡散しており、問題が多いと判断されるため、今後も検証する予定だ。
『非難してたら何も変わらない、絶対に良い方向へいかない、
というのは、わかりきっています』
↑
分かり切っています…と決め付けている。
まあ、この人の脳内ではそれは真実なのだろう。
だが他の人の真実と同じとは限らない。
歴史を振り返れば、批判や反逆のスピリットが現状改革につながったケースは山ほどある。
現状の良いところしか見ないなら「原発は必要ではない」という民意を反映させることは出来ない。
原発に賛成するのも反対するのも自由だが、いずれにしろ批判的な視点は必要なのである。
大事なことは、そこに真っ直ぐな心、エネルギーが乗っているかどうかである。
「感謝なら良い」「批判は駄目だ」
という単純なものではない。
最適な手段は一つではない。
問題が複雑で大きければ大きいほど、人それぞれ最適な関わり方が異なってくる。
丹田のチャクラは縦揺れの怒りのエネルギーを放つ場合がある。
自分の命を守る上で大切な本能である。
多くの人の怒りは、過去のカルマ・心の傷に条件反射的に反応した怒りであることが多く、エネルギーが濁っている。
そのような怒りは恨みと同じであり、生霊となる。
だが、下丹田から発する真っ直ぐな怒りは、色々な意味で重要であり、必要なのだ。
それは人それぞれのスピ指針の違いは関係ない。
人間の中に組み込まれた基本的な生存本能の一つだからである。
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