承認欲求を最適化する | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

Writing by エンライト@太古の道先案内人
Editing by チームエンライト
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殆どの人は「他者に認められたい。高く評価してほしい」という承認欲求を有している。
私にもそういう欲望があるし、きっと貴方にもあるだろう。

ただこの欲求は方向性と強弱が問われる。
承認欲求が強すぎれは、人生の様々な局面で深刻な悪影響をもたらしかねない。

スピリチュアルや心理療法の世界では、承認願望・承認欲求そのものを超脱させる傾向にある。

「ありのままの貴方自身を認めればよいのです。
他人の目を気にせず、他人と比較せず、自分の全てを認めてあげましょう。
そうすれば他人に認めてもらわなくても平気になります」


ありのままの自分を認めることが出来れば、承認欲求は減少する。
だが滅尽することはない。
承認欲求そのものが社会で生きる上で欠かせないからだ。

貴方が会社員なら、何のために給料が支払われ、貰っているのか?
貴方の仕事に対する評価である。
顧客や取引先が満足してくれなかったら、貴方は何の利益も生み出さない。そんな社員に支払うべき金はないだろう。

自営業者も同じである。
貴方の仕事を評価してくれる人がいない限り、収益が発生しない。事業が失敗する。
生活の糧を得ることさえ不可能になる。

それでも尚且つ生き延びる術があるなら、無人島で一人で暮らす、あるいは生活保護ぐらいしかない。


承認欲求はいつも「適切」であることが求められる。
過剰になれば様々な問題を生み出す。
凶悪犯罪者もその犯罪の真の動機は承認欲求の裏返しだったケースが多いという。

子供の頃に親が十分な評価をしてくれなかった。
その悲しみのエネルギーが屈折した形で潜在意識に蓄積され、いずれ大爆発するかもしれない。

しかし、子供を無闇に褒めれば良いというものでもない。
リベラルの価値観の持ち主は
「子供は褒めて伸ばそう」「叱ってはならない」と言う。

だが全然叱られなかった人がワガママな性格になり、他人との調和的なコミュニケーションが出来なくなるケースがある。
また褒められすぎて自信過剰になった人が、失敗に対する耐性が無くなり、ちょっとのミスだけで自信喪失に陥り、立ち直れなくなるケースもある。


スピリチュアルや心理療法においては「罪の意識」も重要なテーマとなっている。
罪の意識がもたらす様々な弊害を問題視し、罪の意識から解放されることを訴えている。

だがこれもバランスの問題だと思う。
伝統的な宗教には、罪と罰の教えが含まれている。

もちろん罪の意識が強すぎれば自由闊達な行動エネルギーが阻害されるし(メンタルブロック)、深刻な心理的外傷の原因にもなり得る。

だからバランスと調和が大事なのである。
我々が生きている世界は単純ではない。
今のスピリチュアルの画一的な教えや方法論だけでは、到底やっていけない。

複数の概念や方法論をバランスよく、調和的に活かすことだ。


承認欲求が歪んだ形が現れた事例として、オウム真理教の事件が分かりやすい。
坂本弁護士一家殺害事件、地下鉄サリン事件などの凶悪犯罪を引き起こしたカルト教団であり、開祖は麻原彰晃(松本智津夫)である。

麻原彰晃は弱視だったという。
左目が殆ど見えない。
だが右目の視力は1.0ぐらいだったため、全盲とは言えない。

しかし父親は、彼を盲学校に入れてしまった。

盲学校なら学費・寄宿舎代・食費などが一切かからない。
父親はそれを狙って息子を盲学校に入れたらしい。
近所では「口減らしだ」という噂が流れた。

結局、盲学校を卒業するまで、両親が一度も訪ねてくることがなかった。
高校時代にもそれが続き、なんと13年間も両親と顔を合わせることがなかったという。

麻原はオウム教団を設立後、知人に対して「俺は両親に見捨てられた」と猛烈な恨み・つらみの思いを吐露している。
彼は両親から存在価値さえ認めてもらえなかった。
承認欲求が満たされるはずがない。


麻原は80年代の後半に、「私はインドのヒマラヤで最終解脱に達した」と宣言した。
しかし事実はだいぶ違う。

彼がインドから帰り、道場にあった自室で「くそっ。なんで俺は最終解脱が出来ないんだ!!」と叫んだ。
たまたま通りかけた弟子のひとりが聴いてしまったという。

参考文献・「麻原彰晃の誕生」 高山文彦:著 (文藝春秋)


麻原は雑誌・トライライトゾーンに何度も寄稿していた。
ある号で、覚醒者ダンテスダイジから修行ステージの高さを褒められたと告白した。
しかし、これまた事実とは異なる。

ダンテスダイジと麻原彰晃は福生市のスナックで一緒に飲んだ。
このとき麻原は「私の修行ステージはどの段階ですか?」と質問した。

ダンテスダイジは明確に答えた。
「君はクンダリーニ・ヨーガの『狂気』のステージだ。まだ先は長い」
「君の霊的エネルギーは歪曲している」


最終解脱者とは嘘八百だったわけだ。

タントラヨーガの重要な一部門であるクンダリーニヨーガには、狂気のステージがある。
非常に危険性が高いプロセスだが、最終解脱を目指す者にとっては避けて通れない道である。
ここがラージャヨーガとの大きな違いだ。


麻原彰晃が最終解脱者を演じた理由のひとつに「承認欲求が満たされなかったこと」があると思う。
それがトラウマとなり、屈折した心的エネルギーが潜在意識に溜め込まれていたのだろう。

彼は政治活動を始めたこともあった。
真理党という政治団体を作り、第39回の衆議院議員総選挙に出馬した。
20名を超える教団幹部も擁立。

しかし全員、最下位を争うような投票数で惨敗。

だが麻原は選挙敗北を素直に認めなかった。
「票のすり替えがあった。選挙管理委員会が仕掛けたトリックだ」
「国家権力による陰謀だ」



オウム真理教の選挙活動は奇抜だった。
オウムソングを歌ったり、奇妙なお面を被ったり、通行人には傍迷惑な風船を渡したり…。

一部のワイドショーはその選挙活動を面白おかしく報じたが、真面目な報道番組では殆ど取り上げられなかった。
オウム真理教の信者数は当時1万人程度…。
泡沫候補に過ぎないオウムには、勝利の可能性が万に一つもなかったのである。

世間的にも「怪しげな宗教団体」と思われていた。
またその頃には既に坂本弁護士一家の失踪が報じられ、オウムが犯人だと思われていた。

少しでも冷静に考えれられる人なら、「選挙の惨敗は当然の結果」と受け止めるだろう。
だが麻原は陰謀説を唱えた。
自分の失敗を決して認めない。すべて他者のせいにした。

その原因の一つはやはり異常に肥大化したエゴの承認欲求があったと思料される。
己の神格化を極限まで進めた。
教団内では尊師・または神聖法皇と呼ばれるほどの絶対的存在だった。

「偉大なる私が選挙に敗北する筈がない。
だからこれは陰謀だ。国家権力による妨害なのだ」



オウム事件は極端な例である。
ここまでいかなくとも、承認欲求に傷を負っている人は、人間関係で失敗を重ねるケースが多いという。

そんな問題を避けるためには、子供の頃に周りの大人たちが適切に承認欲求を満たしてあげることが大切になる。
しかし褒めすぎて全然叱らないのも問題である。

結局、この世で精神の均衡を保ちながら安全に生きるには、バランスの良い体験が必要というわけだ。
心地良い体験だけでは駄目…。
人生には酸いも辛いも必要。

今の一部のスピリチュアルでは、「好きなことだけをやろう」「楽しいこと・心地よいことだけを選ぼう」などと教えている。
耳触りはよいが、実に偏った教えである。

魂が望む体験とは、楽しいこと・好きなことだけではない。
嫌いなことや苦手なことも必要な体験なのだ。
それは自分を鍛えることに繋がり、大切な変容・成長をもたらす。

生ぬるい体験だけでは片手落ち。
この世は甘くない。
厳しい体験も必要なのである。

幼少期にバランスの良い体験ができなかった人は、適切なセラピー、ヒーリング、心理療法を受けるのも良いだろう。
並行して肉体も鍛える。
完全に回復するとは限らないが、一つのキッカケにはなる。

しかし最も重要なのは純粋観照である。
これ無くしてはセラピー依存症の原因にもなりかねない。



補足説明 チームエンライト・たれ蔵

我々は昨年、アメリカの大統領選で、真理党にそっくりな光景を目撃した。
トランプ候補の支持者は異様なぐらいトランプを祭り上げていた。
「トランプは宇宙の支配者であり、救世主だ」

絶対者に祭り上げられたトランプは、大統領選の敗北を認めなかった。
不正選挙だと訴えた。

コロナ禍の最中、トランプは「マスク着用者は負け犬だ」と吐き捨てた。トランプ自身も人と会うときにマスクを着けない。
新型コロナを甘く見たせいで、アメリカは世界最悪のコロナ感染者と死者を出した。

そして極端な移民政策・・・。
白人至上主義・・・。
トランプが敗北したのは必然だった。