「盲信」は知識不足から生まれるのではない。
自分の軸から離れる時に盲信が始まる。
軸ズレした時、人は実態のない恐怖心に呑み込まれ、依存心が支配的になる。
むろん、知識不足が盲信の因子になる場合もある。
原始時代にタイムトリップし、現代技術の粋を集めた電化製品を原始人に見せれば、彼らは「神の奇跡」だと錯覚するかもしれない。
だがそれは盲信でもなんでもない。
「知らなかっただけ」のことだ。
知らないことと盲信はまるで違う。
例の電化製品を「神の奇跡」だと信じた人達が、その電化製品に依存してしまうかどうかは別の話だ。
依存しないかもしれない。振り回されないかもしれない。
ならば問題は無いだろう。
盲信とは、「軸ズレによって生み出される幻に執着すること」を差す。
中心軸を見失っているから、真実の道に入ることが出来ない。
つまり情報や知識などという外側のデータが真の原因ではない。
「在り方」の問題なのだ。
むろん、その様な経験を契機に、真実の道に縁が繋がる場合もあるが…。
知識の力を過信してはならない。
だが、知識の力を侮ってはならない。
間違った知識を得れば、間違った判断を下してしまう。
だが、魂に基づいて生きている人は、直観という武器がある。
間違いを根絶することは無理であろうが、激減させることは可能だ。
情報そのものには何の力もない。
だが、解釈され、判断された時、特定の指向性のパワーを持ち始める。
知識とは、情報に対する「解釈」によって処理され、内部に取り込まれる。
我々にとって最も分かり易いのは、マインドレベルの知識だろう。
エーテル次元の潜在意識は、マインドに最も距離が近い。
故にマインドの知識の本当の貯蔵庫は、潜在意識とも言える。
本当は内側の問題なのだ。
全てはその知識を得た者の在り方で決まる。
だがそれは、魂の本来の性質とは全く関係がない。
魂の個性や役割は、この世に生まれる前から既に持っている。
ところが無智なる者は、「魂の個性は知識によって作られる」などと錯覚する。
魂は体験を求めている。
故に、体験は記憶や知識になるが、先に魂の役割と願望があればこそ、だ。
魂の役割と個性も、実は最初からあったわけではない。
ある意味、後からプログラムされた面があるといっても良い。
だが、この世で得られる知識によってプログラムされたわけではない。
記憶はただの記憶に過ぎない。
その記憶が「引き摺る力」になった時、カルマに囚われたことを意味する。
それはあの世にも持ち込まれ、その世界での境遇も決まる。
記憶がその瞬間に満了し、引き摺る力を持たなかった時は、カルマとはいえない。
あの世に持ってゆける幸福感というお土産になる。
幾多もの成功哲学では、「成功者に共通する思考や行動パターン」を紹介している。
我々もその思考を真似して実践すれば、成功者になれるのだと言う。
だがその通りに実践できる人は稀だし、仮に真似できても、大本は他人の思考に過ぎない為、後々リバウンドが酷くなるケースが多い。
成功法則の実践者に失敗例が多いのはそのためだ。
たとえ成功しても、腹の底からの幸福感が得られず、我欲の塊になったり、晩年が悲惨になる人が多い。
守・破・離という言葉がある。
最初は真似しても良いが、「他人のもの」という認識を常に持つことだ。
自分のものではないことを忘れた状態で、他人の思考回路をインストールすべきではない。
自分の個性を理解し、自分の思考を確立すれば良いのだ。
人の思考は参考にはなるが、自分に融合させるのは、魂への裏切りであり、虐待に他ならない。
成功者の思考法には共通点があるという。
だが、傾向としては同じでも、一人一人の具体的な思考はまったく異なる。
人が違う以上、同じである筈がない。
他者から条件付けられた思考を捨てる。
それが魂の自由を取り戻す道だ。
ビジネス成功法の研究者である鈴木領一さんは以前、松下電器の副社長を取材し、松下幸之助の真の姿を知ることに成功した。
松下幸之助氏は経営の神様と呼ばれ、高潔な人格者であるかのように祭り上げられているが、実態は商売の鬼であった。
社員や幹部の態度が少しでも自分の意に沿わなければ、雷を鳴らしたという。
人を思い通りに支配する欲望が強かったわけだ。
そこまで商売根性に徹していたのだ。
成功哲学では、「他人への思いやり・優しさが大切」と説く。
だが本当は松下幸之助のように、金儲けの為なら人の心を踏み躙って止まない成功者も多いのだ。
Writing by エンライト@太古の道先案内人
Editing by チームエンライト・すずか、保津美、門倉りく
Special Adviser みゅうみゅう猫たん・美雨
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