スピリチュアルに対して「私に願いが全て叶いますように」という期待を持つ人が多い。
プロのスピ指導者もそんな声に呼応している。
「このメソッドを実践すれば貴方の願いは100%叶います」
「貴方の問題は絶対に解決します」
「失敗や問題の発生をゼロにすることが出来ます」
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詐欺商法と見なし、告発してやろうか?
世の中には、いわゆる「うまい話」を持ち込む者がいる。
絶対に儲かりますとか…。
阿漕なスピ商売人がやってることも本質的に同じである。
密教や修験道の世界にもそんな輩が多い。
まあ、私がスピ問題を検証してるが故に、そんな問題児が目に付きやすいのかもしれないが…。
彼らは商売のために「100%」「絶対に」と言ってるに過ぎないのだ。
本気で信じているわけではない。
まあ最近はすっかりイカレて脳内お花畑と化しているスピラーも多いから、本気で全ての願いが叶うと信じてる人もいるかもしれない。
失敗や問題の発生をゼロに出来るだと?
ならば貴方の現実をよく観察するがよい。
全ての真実がそこにある。
100%を求める人は自己逃避、現実逃避しているのだ。
必要以上に失敗を恐れているのだ。
何もかも思い通りにしたいという支配欲に囚われているのだ。
失敗を減らそうと努力するのは良い。
失敗の中には致命的なものもある。
まして人様を巻き込むような失敗であれば、大きな悲劇だ。
故に私は「積極的に失敗しなさい」とは言わない。
私の話の本質は、そんな次元ではない。
物事に向き合う姿勢を問うているのだ。
失敗からも学ぶ。
貴重な糧にする。
思い通りにならない現実の中から大切なものを学ぶ。
その勇気と覚悟のことだ。
また、そのような覚悟があってこそ、物事の成功率を上げることが出来る。
失敗を激減させることが出来る。
日に日に己を成長させることが出来る。
最初っから100%を期待する助平根性ではお話にならない。
恐怖心の裏返しだ。
恐怖する心そのものは本能であり、必要なことだ。
防犯や防災も、それがあってこそ…。
だがそこには、常に気付いている心的要素が求められる。
気付いた状態で「何を選ぶのか?」という話だ。
気付きがなければ恐怖心の奴隷であり、知性を麻痺させる要因となる。
エンライトブログで何度も強調してきたように、この世に「絶対」は無い。
諸行無常。
生老病死。
縁起の法。
全ては条件によって生起し、消滅する。
その条件には2種類ある。
因と縁である。
貴方は積極的に幸福の「因」を積むことが出来る。
だが間接的な要因である「縁」を自由自在にコントロールすることは出来ない。
もし「縁」まで完璧にコントロールできるのであれば、他者の意思すら強制的に支配したことになる。
果たして許されることなのか?
今のスピリチュアル界では
「貴方の現実は全て貴方が作っている」
という教えが人気である。
だが私は「貴方の現実の多くは貴方が作っている」と説いている。
ん?
同じように見えるかい?
私の世界では、「多く」と「全て」は別物だけどね。
プロのスピ指導者が本気で「全て貴方が作っている」と確信しているなら、その教えを説かざるを得ない現実(状況)を作ったのは一体誰なんだ?
もちろん貴方のことだよね?
「全て」と言うならば…。
では次の質問をしよう。
貴方がそんな教えを説くこと自体、不幸な人々や思い通りにならない現実に苦しむ人を「創造」したことにならないか?
不幸な人、苦しむ人、悩む人がいればこそ、貴方のスピ商売も成り立つことになる。
人類すべてがパーフェクトに幸せであれば、貴方の教えすら要らなくなる。
何故そういう理想的な世界を作らないの?
一刻も早く、完璧に平和な世界を作ればいいじゃないか。
一刻も早く、病気が無い世界を作ればいいじゃないか。
一刻も早く、自然災害や人災がない世界を作ればいいじゃないか。
キレイ事はとっくに聞き飽きた。
己の教えに責任を持てよ。
密教僧や修験者の中にもそんな無責任すぎる輩がいるんだよね。
しょーもな。
「偉大なる密教秘法は全ての問題を解決できます。仏尊に不可能はありません」
ならば実証しなさい。
100人の末期がん患者を100人とも治癒させてみなさい。
仏尊は全知全能なんだろ?
上の話は実際に起こったことだ。
某密教僧が大言壮語を吐くため、私が徹底的に追求したのだ。
その密教僧はあたふたと言い訳した。
「癌が治らなくても、魂は救うことが出来る」
魂の救いか…。
確かに大切なことかもね…。
だが私が問い質したのは「不可能は無い」という部分に対してだ。
仏陀釈尊の本来の教えには、そんなものは無い。
全ては縁起だ。
故に生老病死を強調したのである。
そこから離脱するという事は、すなわち絶対的虚無に帰することを意味する。
故に本来の仏教には「魂の救い」という概念は無い。
それは「救う」「救われる」という関係性を超脱している。
一般の信徒に対して救済を説くのは、まあ良しとしよう。
ただし方便としてだよ。
それ以上でも以下でもない。方便は方便に過ぎない。
本格的な修行の道に入ってる者に対して、方便など必要ない。
なのに救いという概念で誤魔化すとは、情けないにも程がある。
人様の貴重な時間を借りて法論を挑んできたくせに、最後はそれかよ。笑わせるな。
ん? エンライトは若輩者だから方便が必要だと判断したのか?
拙者、確かに若輩者でございます、はい。
いろんな僧侶が今のスピリチュアル界の状況を嘆いている。
厳しく批判している。
あまりにも安易であると…。
↑
お前ら生臭坊主どもも同じだ。本質は大して変わらない。
あまり舐めたマネすんな。
少しばかり苦行・荒行したからといって図に乗るんじゃねーよ。
スピリチュアル界には罠がたくさん仕掛けられている。
読者諸氏には慧眼を持ってほしい。
知性の目を曇らせているものを払拭していただきたい。
エンライトの未発表原稿を代理でリリースしました。(美雨)
代理人の個人ブログもよろしくお願いします。
「美雨のひそひそ、こちょこちょ」