覚醒者が早死にする理由 | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

あるヒーラーが最終段階の覚醒に至った。
その直後から肉体に急速に 「老い」 が訪れた。

体力も、消化吸収力も、免疫力も、…およそ身体機能と呼べるもの全てが衰えた。
死がすぐそこまで迫っていた。

そのヒーラーのマインドも、生きる事への意欲を失っていた。
「いつ死んでもいい」 と…。


だがその時、奥さんとの間に子供が生まれた。

そこから急展開が起こった。
生きる情熱が甦ったのだ。
「この子が大人になるまで、その成長を見守り、手助けしたい」と…。

あの仏陀釈尊も、よく似たプロセスを通過した。
菩提樹の下で悟りに至った時、
「もはや生きる意味は無くなった。二度と生まれ変わることは無い」

そのままなら、すぐに死が訪れたかもしれない。
だがその直後、「人々に真理の法を説こう」 という目標が生まれた。

そして釈迦は長生きした。


さて、ここまでは覚醒者の生死に関する話であるが…
それ以外のスピリチュアル実践者 (覚醒していないスピラー) はどうであろうか?

そのような人たちも早死にするケースがある。
原因は何だろう?
早死にするヒーラーやセラピストに関する話はよく聞くところだ。

一部のアンチスピの御仁は
「彼らが実践していたスピ指針は間違っていた」とか
「そのスピラーの背後の霊的存在がダークだったため、生命エネルギーを奪われたのだ」とか…
実に簡単に言い放っている。

早世したスピラーの全てを一括りに断罪したわけである。
だが、個々の生命の歩みは、そんなに単純ではない。


話を覚醒者に絞るならば、早世の理由には大きな共通点がある。
だが 「個の原理」 に支配されているスピラーの場合、死の原因はそれぞれ異なる。

真面目な性格で、いつもクライアントに真剣に向き合っていたため、気力・体力を消耗しすぎるケースがある。
相手の邪気を大量に被ってしまうこともある。

あるいは、日頃の不摂生が原因だった人もいるだろう。

スピラーではない一般人にも当てはまることだ。
生命の基本システムは人類共通である。

もし全く異なる生命システムを有する人がいるならば、人間の姿をした 「別の生き物」 と言うしかない。
だが、その様な生命体でも、生老病死の掟からは逃れられないだろう。

それは 「個」 として、時間・空間の制約を受けているためであり、当然、個々人で異なるストーリーが生まれる。
生老病死という法則自体は普遍的だが、そのステージで展開されるドラマには様々なパターンがある。


肉体とエネルギー体の関係について説明しよう。

何らかの理由でエーテル体に強い損傷が生じた場合、長くて数か月、短くて数日で肉体レベルにもその影響が現れる。
アストラル体に深い傷を負えば、長くて数年、短くて数か月で肉体にも深いダメージが現れる。

私のスピ友人のひとりであるTさんは、以前、胃をやられたことがある。
悟り系スピのノージャッジの指針を数年間、実践した結果だ。

ノージャッジの指針では、あらゆる価値判断を手放そうとする。
だが、その実践にあたっては、多くの誤魔化しが入ることになる。
人間の基本的なシステムの中に、物事をジャッジする回路が組み込まれているからだ。

その自然・かつ本能的な仕組みを軽視し、疎かにし、誤魔化しを続けたらどうなるか?

判断力を司っている上腹部のチャクラに、マイナスエネルギーが蓄積される。
その結果として、胃、肝臓、脾臓、膵臓など、上腹部の臓器に問題が起こり易くなる。

特に、スピリチュアルの実践を通じて生じた障害は、本人が真剣であればあるほど、受け入れ態勢が全開になるため、エネルギー体の深いレベルまで問題が食い込みやすい。


続いて、私自身のことも語っておこう。

私は今回の生だけで、50回分の人生を生きたような実感がある。
とてつもなく濃縮された時空間を駆け抜けていった。

それは50回分の魂のテーマを生き抜いたとも言えるし、今世だけで過去世50回分の膨大なカルマを解消した…と言うこともできるだろう。

全く無茶なことをしたものだ…。

以前「目的のない遊び」 という記事を書いた。
その記事で多くの覚醒者が短命で終わってしまう理由を説明した。

生命エネルギーの正体は煩悩である。
生きる事は素晴らしい…という生命賛歌をいくら行なったところで、それは人間レベルの価値観である。

根源的な次元から観照すれば、生命エネルギーの実態は只の煩悩に過ぎない。
良い悪いではなく、「そういうものだった」 という事である。


最終段階の覚醒に至った者は、全ての煩悩から解放されるため、必然的に生命エネルギーが減退する。
多くの覚醒者が早死にする理由だ。

だが、私の場合は少し事情が違った。
私は最終段階の覚醒者ではないからだ。

まあ一瞥体験はしたが、最終段階には至っていない。
煩悩の仕組みから解放されていないわけだ。
実際、生きたい…という欲望は強い。


だが私は50回分という常軌を逸した人生を送ろうとした。
そういう決意を固めた。
決して回数を指定したわけではないが、私が決意した内容そのものが数十世代分の生命エネルギーを必要とするものだった。

それが何を意味するか分かるだろう?

煩悩からの根本解放によって生命エネルギーが急減したのではない。
使い過ぎにより、エネルギーが残り僅かになってしまったのだ。

だから 「無茶だった」 と書いたわけだが…、私にはそれしか選択肢がなかったとも言える。

幾多もの過去生で膨大なカルマを積み、魂を裏切り続けてきた私には、もはや次のチャンスは巡ってこない。
魂の親から見捨てられる寸前だった。

仮にチャンスが有ったとしても、保証されていない。
だからその種のギフトなど全くアテにすることは出来ない。

覚悟を決めるしかない。
今回の生だけで全ての決着を付けようとしたのだ。
無茶だということは分かっていたが、もう後がなかった。

だから地球での総決算とも言うべき道を選んだのである。


ただし先ほど言った 「次のチャンス」 とやらは、相対宇宙における幻想ストーリーである。
もし私が根源回帰すれば、ただの無でしかない。

始まりも無ければ、終わりも無かったという、身もフタもない答え。
絶対的ゼロ。


…で、エンライトは今回の生を終えたら、絶対無に帰するのか?

分からん。
でも今生での無茶は、次なるチャンスを意図したものなんだ。

まあ、どうなるかは分からんが、運が良ければ 「別の宇宙」 を飛び回ってるかもしれない。笑
綺麗な天女さんと一緒なら、もっと嬉しい。

おい貴様。それが本音か? コラ!!


兄・エンライトの未発表原稿をリリースしました。(美雨)