エセ自己肯定の罠 | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

今のスピリチュアル界は、否定恐怖症に陥っているようだ。
「否定」 というものを殊更に問題視し、槍玉にあげている。

たとえば、貴方が 「自分を変えたい。成長したい」 と望んでいたとする。
すると生悟りした顔のスピ指導者がそっと耳元で囁いてくる。

「自分を変えようとするのは、今の自分を否定していることになります」
「貴方は今のままで良いのです」


悪魔の囁きである。
人の変化や成長の芽を潰してしまう。タチが悪い…。
殺虫剤みたいなものだ。

何故そこまで 「否定」 を問題視し、排除したがるのだろう?
そんな態度だって、ある意味 「否定」 ではないか?


私は 「今の自分の全てを理解し、認め、受け入れましょう」 という。
自己肯定である。
だが、今のままで良い。何も変わる必要はない…と言ってるわけでは無い。

今の自分を認め、受け入れる…とは自己観察のことを差している。
純粋な事実認識である。

だが 「今のままで良い」 とか 「今のままではなく、どんどん変わってゆこう」 というのは、選択レベルの話になる。
必要性や願望に基づいて、何を選ぶのかを決めるわけだ。

事実認識と選択の話を混同すると、人は楽な方向に流されてしまう。
そんな自分を正当化する。

エセ自己肯定である。
真の自己肯定は、自己正当化とは異なるものだ。


ちょっと極端な例を挙げてみる。

アルコール中毒で、このまま飲み続ければ、命に関わるほど重篤な症状の人がいた。
その場合、意を決してアル中の状況を脱し、正常な自分に戻ろうとするのが当然だろう。

重度のアルコール中毒の自分に対してOK、などと肯定したら、致命傷になりかねない。

自分を変えるプロセスは、まず 「今の自分はこうだ」 という事実認識から始まるのである。
認識した時点で、十分に今の自分のことを肯定している。

その事実に立脚しつつ変化を望むなら、何の問題もない。
もちろん、自分を責めるのではなく、今の自分を認め、許した上で、変容の道を歩くわけだが…。


変化を望むことを一律に 「自己否定だ」 などと批判するなら、別の自己否定が生じる。
つまり
「変化を求めている自分を否定してしまう」
という問題である。

何かを肯定すれば、別の何かが否定される。
何かを否定すれば、別の何かが肯定される。

相対界とはそういうものだ。
我々はそういう次元世界で生きているのだ。
だから重要なのは、「今の自分にとって何が必要か?」ということである。

自分を変えることが大切な時は、どんどん変わろうとすればいい。
変わる自分を素直に受け入れれば良いのである。

もちろん、変える必要がない場合もあるだろう。
そのときは無理に変わろうとする必要はない。
単純な話である。
難しくする必要はないのだ。

その時その場面における必要性、または 「本当は何を求めているのか?」 を自問自答し、最適な選択をすれば良い。
つまりケース・バイ・ケースである。

スピリチュアルや心理療法のエッセンスを形だけで捉え、執着している人は、「自分を変えようとするのは自己否定です」 とか平気で言ってしまう。
画一的な教えしか説けない。

逆に、自己啓発系のスピでは、「自分を変えて目標実現することが全て」 みたいなことばかり言う。

どちらも観念のお化けである。
必要に応じて方法を変える…という柔軟な思考が出来ないのだ。
たった一つの方法論に固執しているのだ。


過去記事「自分原因=他人原因」 より抜粋。

「先ほどの努力云々にも当てはまる。
努力は必要だ…とか、努力は要らない…という観念に凝り固まるのではなく、そのときに最適なやり方を自由に選べる柔軟性と判断力が大切なのである」



ただし、現象界は常に変化することも心に留めておいてほしい。
それが根本法則だし、現実をそこに照らすなら、自分を変えよう とするのが自然であろう。
基本的には…だけどね。

変えたいのに、内的なトラウマやカルマなどが原因で、変わりたくないという拒絶反応が出る方がずっと問題が大きい。
メンタルブロックである。

本当は変わりたいのに、「変わらなくていいんだよ」 という魔の教えを利用し、自分を都合よく誤魔化し、正当化する人は、今ここを生きていない。
常に過去に引っ張られている。

今までと同じパターンを繰り返しているからだ。


繰り返すが、今のスピリチュアル界は否定恐怖症の様相を呈している。
それは問題解決メソッドにも当てはまる。

私のブログでは、問題は問題として認識し、解決することを重視している。

だが、否定恐怖症という病気に罹った人は、
「特定の出来事や状況を問題視する人は、その物事を否定しています、敵視しています。つまり現実否定なのです」
などと分かった風なことを言うようになる。

むしろ問題を問題として認識せず、誤魔化してしまう方がよっぽど 「現実否定」 なのだが…。

病気であれば、治そうとするのが当たり前。
それが問題解決ということだ。
社会の治安が悪化し、市民の命が脅かされているケースでは、それを解決しようとするのが当たり前。

むしろ放置する方が問題だし、現実から目を背けていることになる。
私達は、この世界で生きているんだということを忘れないで戴きたい。



エンライトの原稿を代理で発表いたしました。
感謝を込めて。美雨