肉体とスピリチュアルの関係性(2) | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

前回の記事・肉体とスピリチュアルの関係性(1)

前回述べたように、私のメッセージは地球上の全ての人に向けられたものでは無い。
病気などの事情で正常な姿勢がとれない人に対して 「姿勢を直しなさい」 という説教は無神経だろう。

努力や工夫によって、元の姿勢に戻れる可能性が高い人のみが受け止めてくれれば十分。
それはあらゆる問題にも当てはまることだ。

因果律、カルマの法則に関する教えがある。
だが、全ての人に説くわけにはいかない。

たとえば凶悪犯罪の被害者・またはご遺族に対して、因果応報論を説くのは残酷すぎるし、意味がない。
(本人に明確な 「受け入れの意思」 がある場合は別だが…)


釈迦は対機説法を行なっていた。
相手に合わせて、道を説いたのである。

ちなみに私のブログでも因果律を説いているが、何から何まで自分原因・自己責任だと言ってるわけでは無い。
縁起の法に基づいて、物事の繋がりを重視している。

個の意志やカルマを超えた大規模な力の影響もある。

しかし、生きる軸を考えるなら、やはり個としての因果律が最も重要だから、私のブログではあらゆる出来事を自分原因と見なす場合が多い。
「全て」ではなく、「多い」ということ。

人によっては、それさえも厳しく感じ、受け入れ難く思うかもしれない。

だが、別の人には大きな希望をもたらすだろう。
自分の力で人生を切り開き、創造できる…というポジティブな世界観が根底にあるからだ。

不幸の原因がすべて周りの環境・または相手側にあるとするなら、自助努力が一切通用しないことになる。
問題解決の鍵を握っているのが全て自分以外の人物ならば…。

それではどんな努力も創意工夫も、意味を失ってしまう。

問題が解決されるのは全て相手次第…?
あるいは全ての問題が手厚くサポートされるような社会制度が整うのを待つことになるが、それは非現実的である。

他人は他人だ。
相手の意志を自由自在に操ることは出来ない。
故に、もし相手がなにひとつ改心せず、行動を改めてくれなかったら、問題は永遠に解決されないことになる。

それでは絶望しか残らない人が多いだろう。

人間はそんなに無力な存在なのだろうか?
そうではない。
だから私は、人間の可能性を説いてるわけで、カルマに関する教えもその一端なのである。


ただし、通常の努力が通じない問題もある。
病気に例えるなら、治る見込みがないケースも残念ながらあるわけだ。

私も同じである。
背骨、骨盤、股関節が大きく歪んでいる。
治る気配が全くない。

だから本心ではあまり偉そうな説教はしたくない。笑


条件さえ整えれば、直る確率が高い人が多い。
大半はそのケースだろう。
なのに何もしなかったら、どうなるか?

何も変わらない。
あるいは、もっと悪化する。
可能性を自ら閉ざすことによる損失を考えると、やはり説明の記事は書いた方が良い、と判断したのである。


私は昔、ある事件によって複雑骨折を起こし、骨盤などの骨が非常に歪んだ状態で癒合してしまった。
その際に仙骨、腰骨も巻き添えになった。

いくら背骨をまっすぐに整えようとしても、それを支える骨盤が歪んでいるなら意味がない。問題が余計に複雑化してしまう。
いろんな健康体操、筋力トレーニング、またヒーリング等も試みたが、正常な状態に戻すことは出来なかった。

そのため肉体レベルのみならず、霊的にも様々な問題を抱えている。

仙骨や腰骨を含めた背骨に歪みがあるため、クンダリーニを上昇させるタイプの修行法は実践できない。
チャクラは全て覚醒しているが、クンダリーニのエネルギーは下手に動かすことが出来ないのだ。

たとえ健康な人でも、クンダリーニ系はリスクが高いため、(一部の人を除いては)手を出さない方が良いと思う。


私はおそらく長生きは出来ないだろう。
内臓諸器官や神経組織に不自然なストレスが常にかかっている状態で、病気に罹り易い。
実際、今まで何度も入院してきている。


私はよく 「10年先、20年先を考えた人生目標をセットしよう」 と述べている。
日常の小さい願望を満たすことも必要だが、その全ては人生という大きな流れの中で捉える必要がある。

生きる上での根本テーマのようなものだ。
それを無視して、目先の願望のみに囚われている人は、カルマの誘惑に引っかかり易くなる。
故に、長いタイムスパンを見据えた人生設計が大切なのである。


ただし私自身は、数年前から未来のビジョンが全く浮かばなくなった。
ということは、寿命が残り少ないのかもしれない。

単に肉体レベルの異常だけが原因ではないと思う。
地球での生そのものが今回で終わるらしい。

次は、他の宇宙に移行する、ということである。
ニルヴァーナに回帰し、完全無になる…という意味ではない。
活動ステージが変わる、ということ。

逆に言えば、スムーズに地球から離れるために、こういう体になったのかもしれない。
あの事故は、魂の壮大な計画のひとつだった…と。

まあ、単なる想像による“意味付け”かもしれないが。笑


人の生き方にはいろいろある。
長生きすることが全てではない。
いくら長生きしても、魂の願望をろくに叶えることをせず、霊的な後悔を抱えながらあの世に旅立つ人が多い。

だから地球での輪廻転生を終わらせることが出来ないのだ。

たとえ短い生でも、魂が満たされる生き方をした人は、明るい世界に移行する。
やり残した後悔の念に引っ張られることが無い。

ただ、そういう人はあまりにも少ない。

多くの人はカルマに流されっぱなしで、魂の願望を忘れている。
短い生では時間的猶予が少ないことになる。
やり直しのチャンスが減ってしまう。

その意味では、健康で長生きする方が魂も成就しやすいことになる。

だから皆さんには、健康に努め、天寿をまっとうして戴きたいと思う。
遺伝子に組み込まれた寿命プログラムまで変えるのは困難であるが、その寿命が来るまでは生きることが出来るのである。

ただ先ほども言った通り、魂の願望と成就という観点では、寿命の長さは絶対条件ではない。

現象界のルールを考えれば、健康・かつ長寿の方が多くのチャンスを得やすいし、魂が望む体験を多く積みやすいのは事実だが…、私のようなケースもあるわけだ。

人間レベルのマインドで考える時、私の体の問題はいろいろ辛いものがあるが、魂の次元ではそれをも含めて体験するつもりだったらしい。
確かに苦しみは多いが、このような体だからこそ体験できる物事も多かった。

ならば、その理解をもっと深め、現実の全てをありのままに認め、受け入れることが大切だと言える。

今の私は、まだそれが完全に出来ているわけではない。
だが、着実にその道を歩いている、という実感はある。


意識とエネルギー面での明確な区切りがつくことも大切である。
たとえ今回の生で完全なる魂の成就に至らなくても、「今回ここまで進んだ」 と実感できるのであれば、チャンスは繋がり続ける。


先ほども言ったが、読者の中には今回の記事を (色々な意味で) 受け入れ難いと感じる人もいるかもしれない。
寿命の件もその一つ。
デリケートな要素が多いテーマである。

私はそういう人に押し付けるつもりはない。
元々、選択は自由である。
私の言葉は、それを求めている人だけに届けば十分だと思っている。

私は、真理そのものを示しているわけでも無い。

そもそも現象世界には絶対的な正解はないのだ。
真理に至る道は無数にある。
私はその一つを、気付きと共にシェアしているだけである。



代理で兄の原稿を発表させていただきました。これからもよろしくお願いいたします。
感謝を込めて・・・。神代美雨