スピ界隈を散歩してると、見たことも聞いたこともない新語に出会うことがある。
以前、某チャネリング動画を観ていた時、「引き離しの法則」 という言葉が出てきた。
呼吸と同じようなものだという。
息を吸うプロセスを 「引き寄せ」 と呼ぶならば、吐くプロセスは 「引き離し」 に相当する…と。
要らないものを手放すわけだ。
断捨離とは微妙にニュアンスが異なる。
断捨離では要らないものを意識的に捨てるが故に、多少の意志力や努力が必要となる。
だが呼吸の場合、古い気体は勝手に出てゆくだけだ。
全てが自然であり、自動的である。
例のチャネリングメッセージは、そこで話が終わっていたが…、
私はやはり断捨離的なプロセスも含まれていると思った。
貴方はお風呂に入ったとき、体を洗うだろう。
肉体は常に新陳代謝しているため、肌の表層に 「垢」 が浮かんでいる。
その垢は、そのままでは離れてくれない。
意識的に 「洗う」 という行為によって、やっと垢が落ちることになる。
先日、また新しい用語に出会った。
押し離しの法則®という言葉である。笑
某マーケティングコンサルタントが、冗談交じりで付けた名前だが、その意味はどんなものだろう?
引き離しとの相違点は…?
まさか 「引き」 を 「押し」 に変えただけ?笑
そのコンサルタントによれば、最初に嫌なもの・欲しくないものを明確にし、それらが自己フィールドに侵入しないように、押し離すことだという。
バリアーを張る作業に似ているが、もっと積極的・攻撃的な意味もあると思った。
この話をスピリチュアルの次元に置き換えると、サイキック・プロテクションになるのだろうか?
一言でプロテクションと言っても、様々な手法がある。
単純なバリアーを張るだけでは、何の役にも立たない。
というか弊害が多い。
必要なエネルギーまで跳ね返してしまうからね。笑
故にバリアーには必ずフィルタリング機能も付けておく。
必要なものは受け入れ、余計なものは遮断する、という設定である。
私は密教や修験道に伝わってる方法を、自分なりにアレンジしたものを使うことが多い。
まずバリアーで事前防御しておく。
だが、霊的エンティティの中にはかなり強烈な奴もいるので、その場合は、邪気を送り返して撃退する。
かなり攻撃的なやり方である。
もちろん、平和的な手段を使うときもある。
対象を光のエネルギーで浄化する方法であり、チベット仏教のトンレンという呼吸瞑想法がそれに相当する。
大乗仏教は元々、慈悲の心を大切にしているため、その種の修法は多い。
行者の加持力をもって浄化するのである。
私は個人的に、光のエネルギーを放射することが多いが、水のエレメントを使う時もある。…また最近は、火のエレメントを使うケースも増えてきた。
相手に合わせて、エネルギーの質を変えるのである。
で、押し離しの法則のお話…。
例のマーケティングコンサルタントによれば、断捨離とは異なるという。
不要なものを捨てるのではなく、あらかじめ遮断しておくことにより、要らないものが増えない。
故に捨てる必要もない。
最初から余計なものを所持していないのだから…。
まあ、その方が楽だし、効率が良いとも言えるが、真にそれを実践するには、あらかじめ自分の価値基準を明確にしておく必要がある。
何が欲しいのか。
何が要らないのか。
自分自身に問いかけて、本心を明らかにする。
この話を、私のスピ世界観の中で語るなら、魂・ハートの声という事になる。
人によっては、神・宇宙という概念も登場する。
だが、それで十分とは思わない。
人のマインドにはどうしても雑音が入り込んでくる。
まして心的外傷やカルマがある場合、その隙を突いて、余計なものが侵入してくる。
どんなに頑丈なバリアー(結界・シールド)を張っても、入られる時は入られてしまうのだ。
時期的なものが関係することも多い。
「昔は必要だったが、今は必要なくなった」 というケースである。
要らなくなったものをスムーズに手離すには、タイミングや状況の見極めが鍵となる。
だが、常に完璧にできる人は少ないだろう。
私も見落としてしまう事が多い。
たとえ手放しの時期が来たことに気付いても、なかなか上手くいかない事もある。
原因の一つは執着心だ。
昔の流行歌に 「分かっちゃいるけど、やめられない」 という歌詞があったが、似てるかもしれない。
自分の中で何度も繰り返されたものは、強固な癖・パターンになっているため、「今のままでいい」 「変わりたくない」 という拒絶反応が生じやすい。
多くの人はそこで引っ掛かり、足踏みしている。
まあ、最近のスピ業界では、そのあたりの研究対策も進んできたので、昔と比較すれば、ずいぶん楽に出来るようになってきたけどね。
それは人間的な努力だけではなく、宇宙の流れも関係している。
大昔の修行者は、とてつもなく苦労したはずだ。
たった一つのカルマを清算するにも、生命ギリギリの苦行が必要だった。
現代人は恵まれている。
やる気さえあれば、今生だけで数十世代分のカルマをクリアーすることも可能になっている。
凄い時代になったものだ。
ただし、昨今のお気軽スピとは異なる。
いくら楽になったと言っても、自分自身に真摯に向き合う姿勢が無ければ、何も変わらない。
ますます悪化する可能性すらある。
どんなに時代が変わっても、魂を生きるための基本的な方法は変わらないのだ。
現実を観る…。
ありのままの事実を認め、受け入れる…。
変容のスペースは、そこから生まれる。
エンライトさんの未発表原稿をアップしました。
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