どんな世界・分野においても、指導者の立場にある者は高いスキルが求められる。
お金をいただいて指導するのだ。プロとしての実力がなければならない。
スピリチュアル分野の指導者も同じである。
一言でスピリチュアルと言っても、細かいジャンルがある。
願望実現を中心とした自己啓発系。
心身を癒し、トラウマやブロックを解消するヒーリング系。
霊能系もある。
相談者の問題の 「核」 を霊視し、必要に応じて除霊や浄霊も行う。
私は霊能力者ではないが、様々な霊術や加持祈禱法を習得しているので、ブログの読者に使ったことが何度かあった。
具体的には、相談者の魂の声をキャッチし、気付きを促すためのアドバイスをしたり、霊的障害の解除やエナジー修復を行なう。
(プロじゃないので全て無料です。…ただし当方の疲労が激しく、今は休止中です。必ず再開します。もう少し待っててください)
各種スピリチュアルの中でも、最も次元が高く、本格的だと思われているのが悟り系スピだろう。
特に最近は非二元・ノンデュアリティが注目を浴びている。
ならばノンデュアリティ系の指導者は、究極の実力者なのだろうか?
他の分野のスピ指導者を凌駕し、全ての頂点に立つほどのハイレベルな霊覚者であろうか?
厳密には、悟りの意識は 「実力」 「スキル」 という概念では測れない。
学習や鍛錬の結果ではないからだ。
だが表現の都合上、ここでは実力やスキルという言葉を使わせていただこう。
原理的には、悟り系の指導者は全てを超越していることになる。
究極次元に至っている以上、その下の全次元はクリアしているのが前提だろう。
なにしろ彼らは、「全ては全体性の現れ」 と説いているのである。
全て…と言うのだから、全次元・全現象の仕組みを知っていることになる。
あらゆる問題の根本原因を把握しており、当然、最適な解決法を示すことも出来るだろう。(嫌味だよ。笑)
もちろん、この世には時間と空間という制限があるため、どうしても解決できない問題はある。
だが、霊的・カルマ的な次元を解決するのは可能だし、繰り返しのエネルギーを断ち切ることは出来る。
因縁解除である。
実際、歴史上の聖者たちは、その透徹した叡智とスキルを有していた。
仏陀釈尊はアーユルヴェーダ医学の達人であり、多くの病人を癒したとされる。
また、神通力にも優れていた。
イエスキリストも、盲人の目を開かせるなど、様々な奇跡を顕現したとされる。
聖書には除霊に関する記述もある。
意識の目を開かせるのが最大の奇跡だと言われているが、肉体や物質レベルの奇跡も現したことだろう。
ただし、ヨーガの経典には 「神通力を求めるな」 という記述もある。
確かにその通りだが、それは単に 「追い求めてはならない」 という意味であろう。
結果的に現れる能力まで否定したわけではない。
それは覚醒判定にも通じるのだ。
私はよく 「覚醒者のレベルに囚われてはならない」 と言う。
だが実際には、レベルについて言及する時もあるし、道元禅師や空海のステージを説明したこともある。
だが、矛盾でも何でもない。
私はただひたすら自己観察を深めた…。
結果的に、他者の霊性レベルも分かるようになっただけだ。
同じことが超常能力にも当てはまるのではないか?
その人の悟りの定義にもよるだろう。
私の場合は、絶対的虚無が根っこにあるが故に、現象界の能力を悟りの尺度にしていない。
つまり 「悟りと超能力は関係ない」 という認識である。
私が霊術やヒーリング等のスキルを発揮するのは、現実レベルの必要性があっただけの話。
悟りとは無関係だ。
だが、現代のノンデュアリティ系の指導者はどうだろうね?
現実的な問題解決のスキルを発揮できない人が多いが、そんな体たらくで良いのだろうか?
私はそうは思わない。
何故なら、彼らの説くノンデュアリティの世界観は、絶対的虚無ではないからだ。
ポジティブな要素に満ちている。
だからこそ人々をその世界に勧誘し、商売するわけである。
彼らはまた、物事の現れの原理についても言及している。
「全ては全体からの現れ」 と…。
全ての現象の根本因子について説教垂れているわけだ。
ならば、この世のあらゆる現象・問題を解決できるスキルを示すのが筋であろう。
もちろん先ほども述べたように、物質世界の時間・空間の枠は超えられないが、「部分的」 にならそれを突破することは可能であろう。
時間・空間を超えた遠隔ヒーリングの現象もその一つだし、現代医学では説明できない奇跡的な治癒が起こる時もある。
だが私が見たところ、ノンデュアリティ系スピ界にはその様な実力者は少ない。
彼らは何も証明していない。
むしろ、相対的・二元的なステージの指導者の方が、問題解決スキルが高い人が多い。
次元的には格下であるにも関わらず…。
雲黒斎さんは以前、人の意識ステージを四段階に分け、ノンデュアリティを最終段階に置いていた。
つまり、ノンデュアリティこそ究極次元と見なしているわけだ。
ならば何故、その下の次元を自在に操れないのか?
もっとも彼らは、都合の良い言い訳をすることが出来る。
「個は無い。全ては全体性の現れだ」
つまり、個としての指導者ごときが現実をコントロールするのは不可能だ…と。
個が無いのだから…。
幸福も不幸もただ起こっているだけだと。全ては完璧であり等価だと。
だがそんな見解はどうでもいい。
実際問題、二元スピの方がはるかに強い効力を発揮しているのだ。
逆に、ノンデュアリティ系は、現実的になんの結果も出せない人が多い。
口だけである。
そんないい加減な商売が他にあるか。
対価を受け取るプロのくせに、結果を出せない。
実力がない。
今のスピ界は、悟り系の世界観を少し勉強するだけで、誰でも覚醒者を自称できるのが現状である。
スピは一体いつから、こんないい加減な世界になってしまったのか。
だが彼らは根本的に勘違いしている。
上から目線になっている。
全ては等価だと言うが、心の奥ではノンデュアリティ覚醒者こそ高次元であり、究極だと思い込んでいる。
そんな人が多いのである。
だから不浄霊や悪霊などの問題に悩む人を見かけても、「悪霊なんか幻に過ぎない」 と平気で言ってしまうのである。
それこそ、どうでもいい話だ。
苦しみがあるなら、解決することが大切だろう。
「悟りの意識に到達すれば、霊障は自然に消えてしまう。本来は幻だったからだ」などと言う人もいる。
だが、悟りのステージに至れる人はほんの僅かである。
他の人たちは霊的な次元で解決するしかない。
肉体・物質レベルの問題も同じことである。
怪我や難病で苦しんでいる人に、「起こることが起こっているだけです。全てが最善なのです」 という説教は何の意味もない。
現実レベルの治療の方がよっぽど価値がある。
私のブログのタイトルに 「悟りと覚醒」 とある。
だが、そのステージの話ばかり書いてきたわけでは無い。
成功哲学やヒーリングの話もしたし、九星気学や風水の解説をしたこともある。
食事法や健康法について説明したこともある。
悟りや覚醒なんか求める前に、我々は今どこに在るのか?
なぜ人生体験ゲームをしているのか?
貴方自身の足元を見つめれば、おのずと答えが見えてくるであろう。
さくら、代理アップ。