不当な扱いをうけた時、強い敵対心がおこります。
そのまま放置しては、いつまでも心の平和がもどりません。
そんな時は聖書を無作為に開いて、そこから読み始めることにしています。
すると
銀を試みるものはるつぼ、
金を試みるものは炉、
人の心を試みるものは主である。
という箴言のところでした。
あの厭な思いも、自分の中に同じような思い上がりがありはしないかと、心を試して反省させるためであったのかと。
人の心は錆びやすい金属のようだと言います。
絶えず磨き続けていなければ、本当に価値のあるものを映すことはできません。
それどころか酸化の傷はやがて核の部分に到達し、全てを失ってしまいます。
僕はいつから磨くのをやめていたのでしょう。
「気付けよ」という声が、いま確かに。
