先日、熊本の地震で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
避難所の様子など、ニュースで見かけるたびに心が痛みます。
自分にできることをやろう、と思い、今月の売り上げの一部を、熊本への支援活動に寄付致します。
(まだ検討中ではありますが、今月に限らず、継続的に行うかもしれません。)
最近思ったことなど。徒然と書いてみようと思います。
7月末頃に現地ライトワークを行うこととなり、
暑いから嫌だー行きたくないよー🫠
と散々駄々を捏ねたのですが、今行かないと駄目なの!と強いメッセージが来ていて、もうこれは行くしかないのだな、と渋々足を運びました。
私が行ったのは、川で、その日は灯籠流しが行われていました。
灯籠流しの主旨は、台風で被害に遭われ、亡くなった方々に祈りを捧げるための灯籠流しでした。
実際に行ってまず思ったのは、普段見慣れた川なのに、全然違う川みたいになってる、ということでした。
沢山の人が、台風で被害に遭われた方々へ思い思いに祈りを捧げる姿は…言葉では言い尽くせないほどに本当に尊くて、祈りの力、というものはこれほど純粋で強い力を持っているのかと、驚かされました。
私は子供の頃から祈ることが好きでした。よく仏壇やお墓、神社、子供のながらに手を合わせて目の見えないものに祈る、ということが楽しかったのです。
祈るっていうのは遠くへ想いを届けるということですから、何かすごくワクワクすることだったんですよね。
それは子供なりの愛の表現だったのかもしれません。
でも今は大人になり、世の中には沢山の悲しみや、辛いこと、苦しいこともあって、その中で自分の中の祈りの形、というものも変化していきました。
子供の頃は遠い存在へ想いを馳せること、でも今はもっと、慈愛というのでしょうか。苦しみも、引き受けて、想像した上で祈る、今は楽しいだけの行為ではなくなりました。
そのような感覚を持って祈るようになりました。
そしてなぜ川に呼ばれたかに話を戻しますと、私が過去生において巫女時代に御縁があった龍を私自身が、来るべき時が来たら封印を解除して下さい、と過去生の私が龍を配置していたようでした。
最初は、川の中に大きな白い龍さんがいて、あ、川に大きな龍がいるなあ、と思ったのですが、陰陽師の術によってトランス状態になった私の口から出てきた言葉は「封印解除」でした。
その瞬間に龍さんが物凄い速さで移動していき、川の中にいたわけではなくて、川の中に封印していたのか、と理解しました。
巫女時代の私は龍とのご縁が深かったようなので、今後もそのようなことが起きるかもしれないな、と思いました。(現在も龍とのご縁は深いのですが、そのような過去生からの影響もあってご縁が深いのだと理解しました。)
それで、来るべき時がなぜ、灯籠流しの時だったのか、ということなのですが、おそらくその場にいた皆様の祈りの力が、一挙に集まる瞬間という特別な瞬間であり、その場のエネルギー的な作用も封印解除の条件だったのではないかな、とトランス状態から戻ってきた私は考えました。
丁度私は大人になって、いくらスピリチュアルなことをやって、ライトワークをしていても、やはり地震は起きますし、戦争も起きていますし、起きるべきことは起きますし、悲しいことや辛いこともありますし、祈りや目に見えないものがすごい力を持っていても、同時にある種の無力さ、みたいなものも同時に感じていた時でした。
まあ、これは私の理想が高すぎたのかもしれませんね。
ですが、灯籠流しの光景を見て、一心に、今現実世界にはいない方への祈りのエネルギーを感じて、純粋な心の底からの祈りというものが、どんなに力強いものか、それをその光景から、学ばされました。
同時に、まだこんなにも多くの人が、誰かの為に祈れている、こんなにも多くの人が自分の利益のためではなく、利他的な心で祈っている姿はあまりにも美しく、一人一人の祈りは小さなものだったとしても、多くの人が純粋な祈りを捧げる、その心自体が現実世界をも動かし、変えていくのだろう、私はその光景からそれを強く感じました。
忘れたくない、忘れちゃいけない、忘れさせてはいけない、様々な想いが胸を満たしました。
やはり今回の地震も物質的支援も必要不可欠ですから、自分もできる限り寄付活動などをやっていこうと思いますが、同時にやはりライトワーカーになった以上、目に見えない領域でも自分にできることをやっていこう、そんな静かな決意が生まれました。
祈ったって、現実的に変わらなければ意味がないというのは、部分的にはその通りだと思います。
また、全く縁のない土地に祈るなんて、偽善的であり、お節介なのではないか、とも少し感じておりましたが…。
でもやはり人々が持つ祈りの力、というものは決して軽いものではなく、今後も忘れ去られてはいけない、崇高な営みなのだな、と心の底から思います。
祈りというのは、何の「利益」も生みません。
しかし、だからこそそこには損得勘定も何もなく、ただただ本当に純粋な想い、だからこそ尊く、素晴らしい営みであり、純粋で力強いエネルギーを発するのだと思います。
七夕で多くの人の「願い」を見た後に、「祈り」を見ると、祈りの純粋さ、力強さ、大きな可能性を深く感じ、一人一人の純粋な祈りの力というのは、なんと尊く力強いのだろう、様々な方の様々な祈りの形、愛の形に……深く学んだ一日でした。
