この写真は僕が20代終わりの頃、N響から1年間のお休みを頂いて留学していたドイツの南西に位置する「坂の街シュトゥットガルト」の下宿前の通りです。

緑が多く清潔な街でしたが、日曜日はデパートも何もかも閉まって街中、シーン。市民は家で家族団らんなのか、本当に街中が静かでした。
独り身の僕としては部屋にいても寂しいので、日曜日でも唯一開いている駅ナカの立ち食いホットドッグみたいな店に行ってみたりしていました。ついでに売店で600円もする日本の新聞を買ってみたり。まだネットがなかったので日本の情報は新聞と親から来る手紙だけ。一応、下宿していた部屋に備え付けのテレビはありましたが討論番組しか映らなくて、少しはドイツ語の勉強になるかなと見てみても、しかめっ面のドイツ人達の討論、undとかaberといった接続詞しか分からないのでテレビを消してしまいます。
そうすると後には再びシーンとした時が流れるだけでした。

そんな生活ですからチェロの練習なら無限に出来ます!最初の頃は張り切って毎日7~8時間練習していましたが、そのペースだと3日でバテてしまうので、あえて1日4時間に抑えたりしていました。
そうすると残り20時間は、やはりシーンとした時が流れるのです。

このような暮らしの中、人との交流の唯一の機会は、週1度のチェロのレッスンでした。
留学中の僕のチェロの先生は、ドイツの弦楽四重奏団のレジェンド「メロス弦楽四重奏団」のチェリスト、ペーター・ブック先生!
このチラシの写真中、左に立っている方です。

ブック先生のレッスンは音楽大学の校舎ではなく、僕の下宿から数分の緑に包まれた素敵な洋館で行われておりました。
最初に少し申し上げたようにシュトゥットガルトは、すり鉢状の坂の街なゆえ、いたる所に階段があります。どこに行くにも、このような階段が近道なので、僕もチェロを抱えてレッスンに通ったものですが、降りるは易し、昇るは・・・です。

                      (インターネットより拝借)

下宿から数分のその洋館はメロス弦楽四重奏団のリハーサル場所でもあって、僕がレッスンに行くと、鉄の門が開いていて、少し登り坂になった敷地内の石畳に彼らのベンツやアウディが止まっていると、ああ、今日は皆さんいらっしゃっているんだなと思ったものです。
そして木の大きな扉を開けて建物の中に入るとリハーサルが終わったところのようで、楽器を片付けると僕にもひと声を掛けられて他のメンバーの方々は帰って行かれます。
さてさて誰もいなくなるとブック先生のレッスンが始まります。日本でずっとお世話になってきた安田謙一郎先生とは少しタイプが違いますが、それでも僕は、この1年間はブック先生の型にハマって学んでいこうと考えていました。そんな僕にブック先生は、とても親切に接して下さり、そのお人柄がドイツでの寂しい僕の生活の支えだったかもしれません。

その後、僕は日本に帰りましたが、時々、メロス弦楽四重奏団で来日された時などに先生を楽屋に突撃訪問すると、先生は、いつもとても喜んで下さり、終演後、お食事をご一緒したりして楽しい時を過ごしたものです。


あれから30年。そういえば最近、ブック先生、どうされているだろう?お幾つになられたのかなあ?誰かにアドレスでも聞いて連絡してみようかなあと、たまたま思っていたところ、知人から連絡が来ました。

ブック先生が亡くなられたと。



留学から随分と月日が経ったけど、ドイツには、いつもブック先生がいらっしゃるという安心感がありました。それが、これからはもうないのですね。

チェリスト  ペーター・ブックのいなくなったシュトゥットガルト、今日も静かに時が流れている事でしょう。