思えば1年ほど前のブログで、僕がチェロを教えていた医大生が美容外科クリニックの院長に就任したお祝いに、我が顔のシミを捧げて、彼の営業ポイントに寄与したという話題を取り上げました。


その施術の日から数日後、レーザー照射で弱っている顔面の傷跡を直射日光から守るべく、日陰から日陰へと飛び歩いていた時の事です。

どこからともなくかけられた「藤村さん!」とのお声に、そのほうを振り向くと、品の良い初老の女性の方がおひとり。この方は狂言の脚本家で数々の秀悦な狂言をお作りになっておられます。そしてお声掛け下さったご要件ですが、数年以内に東大寺「お水取り」をテーマにした新作狂言を書きます。その上演の際にはチェロ演奏も加えたい。つきましては、この企画にご参加頂けるかとの事でした。会場は東大寺。

もちろんです!狂言とか「お水取り」とか、全く分かりません。ありきたりな表現ですが不安と期待でわくわくしてきます。


なにはともあれ、かつて黛敏郎作曲 無伴奏チェロのための「文楽」を弾くのに人形浄瑠璃を何度も観に行きインスピレーションを得たように、まずは「お水取り」なるものを実際に観てみなければなりません。

僕は普段、忙しい中で練習時間を捻出したり、時間にシビアな生活をしております。それがいくら見聞の為とはいえ楽器なしで1泊2日も費やすなんて、どうした事でしょう。きっと今までの枠組みとは違う、何か未知の世界へ、ここは踏み出すタイミングだなと直感が働いたのでしょうか。

それで、やって参りました、今日は楽器なしの、手ぶらで近鉄奈良駅!

まず商店街が、普段とは違って何やら盛り上がっている!

よく分からないまま奈良にやって来てしまった僕は、商店街の上の「お水取り」の文字を見上げて、ほう、と初めて事の盛り上がりに気付くのでした。

さて東大寺近くのホテルに、とりあえずチェックインするべく向かって歩いていると、やたらとお祭り帰りのような賑やかな人々とすれ違います。
奈良は有名な観光地だから、遅くまで人が沢山いるなあと思いながらホテルに到着。夜11時に東大寺二月堂に、狂言作家さん、狂言の家元さんと集合となったので、しばし休憩ですが、たいして時間はありません。今夜は11名の連行衆と呼ばれるお坊さんのご祈祷とお水取りの行列を夜の明けるまで間近で拝見させて頂くとの事。と言うことは、このまま何十年ぶりかの徹夜に突入となるようですが、眠気でフラフラになるのか、はたまた迫力に圧倒されて眠気も吹き飛ぶのか?これから何が待ち受けているのか見当もつきません。

さてホテルから会場となる東大寺二月堂まで徒歩30分弱。ただでさえ暗い夜道なのに、奈良の事や仏教の事をよく知らないというコンプレックスが、更に夜道を暗くさせます。

一応、スマホのMAPで検索したので分かるのですが、念の為ホテルのフロントで二月堂の場所を聞いたら、女性の方が親切に地図にペンで道筋を書いて下さいました。
歩き始めは、寂しげで暗い街灯の下を通る度に、この地図を見ていたのですが、フロントの方の書いて下さった線が細~いし、街灯が古風で光が弱~くて、よく見えません。辺りに誰もいない真っ暗な中、そこだけぼんやり明るい街灯の下で地図に気を取られていると、土地に不慣れな様が手に取るように分かられて、追い剥ぎとか天狗に襲われるのではないかと心配になってきてしまいます。それにフロントの方の地図とスマホのルートが徐々に食い違ってくるのも不安を煽ってきます。この際、申し訳ないけど地図はやめにして、スマホ1本にしようと決断するも、スマホの矢印がぐるぐる回ったりして不安定。あたりに漂う妖氣に惑わされるか?
そうだ、それにこの辺りには鹿がたくさんいるんじゃないのか?よくテレビで、しつこい鹿に取り囲まれて怖がっている人々の映像を見るけど、夜中はどうしているのだろう?今は姿を見かけないけど寝ているのでしょうか?子供の頃、野良犬にからまれて怖かった記憶が蘇ってきます。

そうこうするうちに徐々に人の気配がしてきて、無事、東大寺らしき辺りに到着。

凄い!鎌倉とはスケール感が違う。


そして無事、二月堂に辿り着き、皆様と落ち合う事が出来ました。
あの欄干で、火焔のような松明が
振りかざされる有名な光景が繰り広げられ、この階段で幽玄なるお水取りの行列が行われるのですね。

さて、狂言の家元の方と僕は、11名の僧侶が祈祷をあげる厳しいご様子を間近に共有するべく、お堂の中へと入っていきます。
女人禁制、入口にいらっしゃるお坊さんの前でスマホはOFFに。
いよいよですよ。ぎぎぃと扉が開かれました。内側には、どんな世界が待っているのでしょう?


長くなりましたので、続きは後編へ。
後編、「お経はまるで音楽のようだった」
どうぞ、ご期待下さい。