先週、大阪で小さなリサイタルを3日で5回もやってきました。

桐朋音高時代の同級生、ピアニスト吉山輝君の作ってくれたリサイタルです。

彼のように主催して下さる方の苦労と足を運んで下さるお客様に応えるべく、毎回、全力で弾くのですが、今回は帰宅してからの疲れが、いつもと何か違うぞ、と感じました。


その原因は、おそらく、これでしょう。



「居酒屋ライブ」!!

麦酒ケースを少しずらして弓がギリギリ当たらないよう確保したスペースに、まる椅子置いて、そこが今宵の僕のステージ兼控え室。
他に身の置き場所がないので、開演まで、ちんまり座っていると、目の前のおばさんが、「アタシ、カリブの海賊 聴きたいわあ」
おお、さすが大阪だあ、フレンドリーだし発想が自由!
と嬉しかったのですが、同時に、今、自分が置かれている立ち位置が、なんとなく分かるひと言でもありました。

そう、今宵の僕は

『流し』

ギター片手に飲み屋を巡り、次々とリクエストに応える、あの『流し』です。

しかしながら、今、僕の目の前の譜面台には、ベートーヴェン・チェロソナタ第3番の楽譜が乗っているのですよねえ。

ベートーヴェン、長々と聞かされた日にゃ・・・このギャップ、どうやって埋めよう?と思案していると、料理に酒出しにひとりで、てんてこ舞いの女将さんが、
「今日は、そういうのじゃないよ!もう弾くもの決まっているの!!」と、カウンターの下の方から物を取りながらの、助け舟。
「ああ、決まっているのお、決まっているんやあ・・」


さて始まります。トークを混じえながらお客様との接点を探り探り、弾き進めますが、拍手も少なく悪戦苦闘。
もっと親しみやすい小品を用意しておけば良かったねと、吉山とヒソヒソ話ししますが無いものは無い。
こうなったら気合いだあ!!
「歌う」と「訴える」は何か語感が似ていますが、言語学的に根っこが繋がっていたりするのでしょうか?
猿から人への移行期、まだハッキリした言語がなくて、人に強く訴えたい事がある時は「うう~~!うっうっ!」とかやっていたのでしょうか?
それが、だんだん唸り声のような訴えから歌へと整備されてきて芸術的な「歌う」へと昇華されて来たのなら、この日の僕は『白鳥』を弾くにしても、いつものように弾いたのではカリブのオバサンを感動させられないので、原始人が「うう~~」と何かを強く訴えるように、心を絞りに絞って演奏したのです。

その結果

産卵を終えた鮭は、屍となり口開けて川面を流されていきますが、原始のエネルギーを使い過ぎた僕も、川の流れに身を任せるようにして、ぐったりとホテルへと帰って行ったのでした。

翌日もネオンに明かりが灯る頃、夜のお仕事の人みたいにチェロ担いで居酒屋へ出勤。今宵は多少「流し」っぽく、ビートルズや日本の歌等、親しみやすい小品の数々を取り揃えたので、涙を流して下さる方もいらして、ちょいと良い気分です。それでも、チェロに馴染みのない方を感動させるというのは、エネルギーがいりますねえ。

という訳で、今回は、普通なかなか使わない原始人パワーをたくさん使ったので馴染みのない疲れ方をしたのだと思います。

そして僕は、このように人の近くで訴えるように弾いて感動してもらう事が、とてもしょうに合っていて、好きなのだなあと感じました。

飲み屋横丁、流しのセロ弾き、
今宵も喜び見たさに歌うチェロ

こういうの僕の演奏の原点かもしれません。
良い経験が出来ました。