チェロ男です。

 

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このブログでは、自分の心から「やりたいこと」をやることで

人生が豊かになる、というメッセージを発信したいと思います。

 

日頃のチェロ日記も書いています。

 

※中年が山登りをした。というだけの記事です。

 

老人と、山に登った。

 

老人、といっても70代前半ということだから、老人という表現はふさわしくはない。

素敵なオジ様、という風格のある方だ。

 

私には、年に一度登る山がある。

市内を一望できるその山は、地元の神社の奥宮でもあるらしいが、参拝客が訪れる雰囲気もなく

登山家が登るほどの山でもないため、人がいる気配を感じない。

 

それが、いい。

 

今度チェロを連れて行って、市内を見渡して弾くのも悪くないかもしれない。

 

さて、そのご老人。仕事を現役でなさっているようで、ひょんなことから知り合いになった。

山の話が話題になり、

「是非登ってみたい」と、おっしゃる。

 

時期的には熊や猪、猿が出る可能性もありますよ。

 

と釘を刺したが、どうしても登ってみたいという。

 

「軽い山ですが、ところどころ、心臓破りの坂もありますよ」

 

これは、下手をすれば、命に関わることでもある旨を説明したが、

意志は硬いらしい。

 

11月吉日。登山当日。

 

私は彼と麓で待ち合わせし、動物や険しい道であることを再度確認。

 

「楽しみですね」

 

とオジ様。

そもそも、山登りの経験もあまりない彼は、服装も、経験者のそれではない。

 

危なかったら引き換えそう。

そう思いながら、人気のない山奥へと足を踏み入れるチェロ男&老人。

 

山は、人間界とは違う雰囲気がある。

別世界という感じだ。

楽しく歩いていた二人も、だんだん無口となる。

 

まだ1/4も進んでいない、というところで、

「厳しいです。休憩しましょう。」と言い出す。

 

疲れるのが、想像よりも早い。それはそうだ。70代のお年。40前の私も、息が切れるコースである。

 

だんだん笑顔が消え、真剣な面持ちのオジ様。

 

半分近くに差し掛かり、足に限界がきたようだ。

 

ヘタリ込み、横になる。

 

「そろそろ厳しいかな」と察した私は、

 

「無理せず、帰りましょうか。」と提案してみる。しかし、

 

「決めたことだから、やり通したいんだよ」という。

「この年になると、こういうのに挑戦する機会もないから。ありがたいです。」

 

彼の意志を尊重し、顔色が悪くないのを確認して先を進む。

 

途中、何度も立ち止まる。30分くらいで帰ってくる目算だったが、気づけば、1時間以上経っている。

 

これから心臓破りの坂もある。

 

「荷物を持ちましょうか」と提案するも、「いや、大丈夫」と頑なに拒否する。

 

坂の目の前になり、さすがに限界がきたようだ。

私は、代わりに荷物を持った。

 

「今まで、周りの人を支えてばかりだった。」

「こうして、助けられることになるなんてなぁ」

 

ただ、荷物を持っただけでも、痛く感激されたようだ。

 

この方は、会社では重役で活躍されているような人だ。

私のような意味のわからない中年に世話をされるような人生は、送ってこなかったと思われる。

 

彼の目から、涙が一粒落ちる

 

「そんな年になったんだなぁ。」

「部屋の中にいると、気づかないものですね。」

 

「これから、ちょっと厳しい道ですよ。」と私。

 

彼は、「自分で決めたことだから、やり遂げさせてください。」と譲らなかった。

 

ここからは、精神が肉体を超えていた。

 

映画化したら、全米が泣くだろう。

 

いつ、動物が襲ってくるかもわからない。危険と隣り合わせだ。

老体に鞭を打つのも、限界がある。

 

「この山を無事に帰れたら、彼女にプロポーズしようと思います。」

 

「あなた、既婚者じゃなかったですか?」

 

これが最後の会話となり、それからは話す気力もなく、わたしたちは、黙々と山を登った。

 

休んで、登って

また休んで。

 

そこまで高い標高の山ではないけれど、山頂に着いた時は、エベレストでも登ったような爽快さだったに違いない。

かれのその表情が物語っていた。

 

若者なら、走って登れる山かもしれない。

 

けど、自分との約束だけのために、登り抜いた

 

登った高さや、速さなんて関係ない。

 

年齢も関係ない。

 

山頂で、疲れと晴れやかさを混ぜ合わせた顔をしているご老人を見て、

 

この人は、若いのだと思った。

 

「青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を云う。」

サムエル・ウルマンは、「青春」という詩で、そう書いた。

 

そうなのだと思う。

 

幾つになっても、挑戦して、瑞々しく生きていたいものだ

 

30代最後の立冬に、静かに誓ったのでした。

 

 

 

さらに詳しいことはブログで書いています。

 

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11月某日。

朝。

 

鳥のさえずりとともに、目を覚ます。

 

子供を学校へ送り出す。

 

コーヒー豆を挽き、朝の一杯を味わう。

 

日経新聞に目を通し、為替や株の値動きをチェック。・・したいけど、新聞を取っていないので、

代わりに、「お金が何故か入ってくるサブリミナル動画」をユーチューブで見る。

 

心の垢を落とすように、燃えないゴミを集積所に捨てる。

 
瞑想。
 
瞑想中の「雑念」こそ、現段階のブロックであり、サインであったりする。
 
今日はひたすら「マイケル富岡」という言葉が浮かんだ。
 

チェロの異変

 
そして、最後に一日の最大の愉しみを自分に与え、朝のルーティンは終了する。
 
そう、「チェロ練習」である。
 
いつものようにケースからチェロをだし、
いつものように弓を出し
 
そして、チューナーの電源を入れる。
 
A線から、チューニングをする。弓を置く。
 
ぐにゃ。
 
あれ?
 
弦が弓の重さを支えることなく、指板へと沈んだ。
 
Oh?
 
弦がありえない緩み方をしている。
ペグと呼ばれる糸巻きを巻いてみる。
 
クルクル・・
チェーンが外れた自転車のように、空回りする。
 
何かが外れる音がする。
 
 
Oh..
 
何が起きているのか、
頭が追いついていない。
 
外国人のようなリアクションをしてしまう自分と
瞑想中の「マイケル富岡」
とに、不思議なシンクロニシティを見る。
 
しばし思考が停止する。
落ち着け、世界が終わったわけではない。
 
弦が外れただけではないか。
 
呼吸法で落ち着こうと試みるが、どうしても気になる。
 
なぜペグがクルクル回って固定しないのか。
 
私のチェロに、何か重篤な危機が訪れているのではないのか。
 
 
ユーチューブで調べて自分で直してみようか
しかし、それで、さらに壊れる可能性だってある。
 
工房に持って行こうか
「こんなことでいちいち持ってくるな」と思われはしないか。
 
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。
 
私は工房に連絡した
 

木は、乾燥で縮みます。

工房の方の反応は、あっさりしたものだった。
 
チェロは木製だから、乾燥によって木が縮むのだという。
 
だから、ペグも緩んでしまったのだとか。
 
後日、工房にチェロを持ち込み、検査をしてもらった。
弦の張り方もご教示いただいた。
 
次回、2泊3日くらいで精密検査もしてもらう段取りにしてもらった。
 
自分の健康診断も行かないのに、チェロは精密に検査を求める自分に苦笑する。
 
いいのだ。
 
ペットが病気になって病院に連れて行かない飼い主は、おそらくいない。
 
毎日手にするうち、単なる「楽器」「道具」では、なくなった。
 
そこには、「生命」を感じる。
 
「相棒」とも違う
「ペット」とも違う。
 
「体の一部」といったら、言い過ぎだろうか。
 
コンタクトレンズや眼鏡は、体の一部だろう。
パンツだって、人前で下ろすことはまずない。
たまに、おろしたくなっちゃう人はいるらしいが。
そういう意味では、身体の一部だろう。
 
「体の一部」なんていうと、
自分でも誇張したように聞こえるが、
あながち言い過ぎでもない。
 
安い買い物ではなかったけれど、
うまくなったら、もっとグレードの高いチェロを買おうと思っていた。
 
不思議なもので、そんな気持ちも薄れてきた。
こいつとは、長い付き合いになる。
そんな気がする。
 
楽器も、音が変わっていくという。
なら、一緒に成長していきたいと思うほどだ。
 

チェロ男です。

 

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適当にしようとすると適当になれないジレンマ

 

高田純次先生は、その著書の中で、「適当」に対するジレンマと複雑な思いを吐露されている。

 

「高田さん適当にお願いします」

と言われても、その「適当」が何かがわからない。

 

しかも、「適当にしよう」と意識すると、「適当」ではなくなる。

 

そのジレンマがつきまとう。

 

適当というのは、意識してできるものでは、ない。

 

チェロ男のような真面目な人間が多い日本国民は、

「適当に力を抜いて生きよう」と、逆に頑張ってしまうのだ。

 

普段真面目な人が、「頑張ってゆるい雰囲気を出したい」と頑張り、

飲み会で妙な芸を披露して変な空気になる場面に出くわした人も

少なくはないであろう。

 

チェロを弾いていても、脱力しようと意識すると、余計に力が入る。

 

自然体でいる、ということ

 

高田純次先生に惹かれるのは、彼が自然体だからだ。

 

本人が語るように、

役者でも、芸人でもない。

代表的なギャグがあるわけではない。

 

「枠(わく)」に、はめられていないのだ。

 

だから、彼は長く芸能界に残ったのだと思う。

 

自然体に、適当でいることは難しい。

 

その人自身でいることも難しい。

 

だから、みんな自分を着飾りたくて、

資格を取ってみたり

努力してみたり

良い大学を目指したり

するのだろう。

 

それは悪いことではない。

 

けれど、幸せになれなかったり、豊かになれなかったりするのは、

なぜだろう。

 

対して頑張っていない、「適当な」人が成功しているような気がするのは、どうしてだろう。

 

その違いは、「自然体の自分」に対する、確固たる自信だと思う。

 

「自分のまま」でいいから、力が抜けているんだろうと思う。

 

私も、本といえば自己啓発ばかり読んでいた時期がある。

少なくても、セミナーや教材をすべて合わせると、100万近く使ってきた

 

「潜在意識を変える音声」を毎日聞いていて、

 

家族が車に乗ったとき、

車のスピーカーから

 

「私は、成功している。私は豊かです。・・」という音声が流れたときは、

 

昭和時代、家族とTVを見ていたときに

Hなシーンが流れたとき以上の気まずさだった。

 

ブルートゥースで勝手にスマホの音声が流れる仕様を、トヨタさんにはどうにかしてもらいたい。

私の設定ミスの可能性は高いが・・

 

そんなことをしていたチェロ男も、パッとしない時期が長かった。

 

今なら理由がわかる。

 

根本に「自信」があるか「不足」があるか

 

それは、「この教材を勉強すれば、自分は変われる」「この本を読めば、ダメな自分じゃなくなる」

 

根本に、

 

「ダメな自分」

 

が前提としてあったからだ。

 

自己啓発が好きな人は、ここを注意したほうがいい。

 

自分は足りない。

今の自分は不十分だ。

 

その前提で自己啓発をしても、基礎のできていないところに

家を建てるようなものだ

 

何も知らないし、

何もできないし、

特技もないし、

お金も稼げてないし、

人に好かれていないし、

 

けど、そもそも、自分ってすごいんだよな

 

っていう自信がないと、高田純次先生のような達人にはなれない。

 

高田先生は、自分に芸がない、特技も、経歴も、修行した経験もない、と著書で書かれている。

 

ここからは私の主観だが、

 

「いい男ですみません〜」

「ほら、僕って、パーフェクトだから〜」

「僕って天才〜」

 

と冗談で言う彼は、そうやって自分を無意識に洗脳していたのかもしれない。

 

人は生まれながらパーフェクト、ということを、知っていたのだろう。

 

それを競争社会や義務教育で、

人の上に立たなければダメ

勉強できないやつはクズ

お金がないやつはクズ

スポーツできないやつはクズ

 

というような、逆の洗脳をされてきた。

 

足が遅くても、

障害があっても

勉強ができなくても

お金が無くても

 

私達の存在はパーフェクトなんだな。

 

そう思えることが、一番大事だと思う。

 

それを前提に、自分を磨くと良いと思う。

 

私は真面目なので、

毎日、今日自分ができた小さなことを

コツコツノートに書き続けた。

今日は歯を磨けた自分、えらい。

みたいな小さなことを。

 

だから、少し、高田先生に近づけて来た気がする。

 

そんなパーフェクトな僕でも、

適当な自分を作りたくなる。

いつもの真面目なチェロ男じゃないんですよ、と世間にアピールしたくなる。

 

だから

次のチェロの発表会では

このスーツを着たいと考えてしまう。

 

 

 

やっぱり怒られるよな。。

 

 

 

 

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失敗は、失敗ではなかった

 

チェロ男は多才であった。

幼稚園の頃、我が絵画の才能は最高潮に達し、その後、日の目を見ることはなかった。

 

しかし、幼稚園で「父の日絵画コンテスト」で市の優秀賞を獲得したチェロ男の作品は、

県庁所在地の隣町で展示される運びとなり、衆目にさらされる事と至った。

 

普段根暗な子供であった私を心配していた両親も、安堵と誇らしさを混ぜ合わせた表情をしていたのを思い出す。

 

当時のことを振り返ると、どうしても忘れられないことがある

 

「ビールを飲む父」の絵を書いた私だが、「歯」の部分を誤って白で塗りつぶしていたのだ

 

自信作だった絵だが、その白で塗りつぶした部分だけが「失敗」として後悔をのこしたまま、絵を眺めていた。

 

その時だ。

 

もう数十年も前の話なのだけれど、隣にいた知らないオバサンが発した一言が忘れられない。

 

「あら、この絵、ビールの泡まで表現されてるわ」

 

ビール泡・・白で塗りつぶした失敗は、そのオバサンにとっては、評価ポイントだったのだ。

 

横目でオバサンの話を聞いていた父は、「これ、泡だったのか?」と私に耳打ちしてきた。

 

私は、多少の罪悪感に駆られつつ

 

「どうみても泡でしょ」と、答えた。

神の声

もちろん、30年近く前の話だから、オバサンの顔も声も覚えていない。

なんなら、オジサンだったかもしれない。

 

けど、今は、その声は神様だったのではないかと思える

 

と、言うのも、私はずっと、「正解主義」にとらわれていたからだ。

 

最近、ずっと「あがり症」のことを考えていた。

 

あがり症の私は、

 

緊張=悪

 

決めつけ、リラックスを正義と考えていた。

 

だから、緊張せず、リラックスしなければ、と固くなり、それが緊張を生む結果となっていた事に気づいた。

 

いつも、正解と不正解を決めて、

悪と正義を決めつけて、おかしくなっていた。

 

緊張はダメ

リラックスは良い

 

その決めつけが、緊張を生んでいた。

 

緊張は、いいパフォーマンスをするために、身体が作ってくれている。

味方なのかもしれない。

 

他人の目が気になる、私のようなHSP人間は、

その分、他人の考えていることがわかる。という利点もある。

 

否定を手放すと、楽になる。

 

正解主義を手放そうと思う。

 

もう、緊張しても、いいや〜

 

思えば、色々なところでサインは来ていた。

 

今年は、「痛風」(ほんとに痛風なのかは、未だ謎)

 

身体に悪い食べ物=悪

朝食=ダメ

 

と決めつけ、ひたすらストイックな生活をした結果、逆に身体がおかしくなった。

 

否定を手放すことが、今の自分には大切なのかと思った。

 

特に、頑固すぎる私は、頑固さ故に損をしたり、敵を作ったり、孤独になっていた。

 

頑固さがあったから成功したことももちろんあるけれど。

 

神様がいるなら、

 

おそらく幼稚園の私が、その後の人生で正解主義な頑固野郎になるのを知っていて、

 

正解じゃないと思うものを、切り捨ててはダメだよ、と教えていたのかもしれない。

 

それを知らず、頑固を続けたから、

あがり症になったり、変な病気をしたり、妻や子供は、私にとって困ることや嫌なことをしてくれるのだと思う。

 

否定し続けると、それにずっと追いかけられる。

 

不倫は絶対だめ!と言っていた人が、不倫をするはめになったり、

健康オタクが病気になりやすかったりするのも、そのせいかもしれない。

 

と、いうわけで、正解主義を捨てた結果。

 

私は高田純次になるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

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   あがり症の僕


気づけば、チェロ発表会まで3か月を切っている。

今回は、逃げずに参加したというところに意義がある、と勝手に思っているけれど、もうひとつ、あがり症を克服したい。という目標も密かにもち合わせている。


そういうことで、少し「あがり症」について考えてみたい。


他人によくみられたい、自意識過剰。そんなものは、いうまでもない。


盲点なのは、真面目すぎる。というところだ。


チェロ男が真面目なはずがないと思われるかもしれませんが、実生活の私は、至って真面目。


こないだも、燃えないゴミの日に出したはずのゴミが、次の日、回収されないで残っていた。

それを見つけた善良な市民であるチェロ男は、すかさず持ち帰り、再度、正しく分別をしなおしたのだ。


どうです?


真面目すぎるでしょう?!


「そんなの、当たり前よ」と、呟く妻をよそ目に、我が真面目、ここに極まり。と言った気分であった。


このように、


大人になるにつれ、大人なのだから、ちゃんとしなければならない、というシガラミは増える。


その点、子供はしなやかだ。

失敗を、そこまで恐れない。


行きすぎて怒られる事はあるけれど、

やりたいことをやってしまう。


大人になると、先のことばかり考えてしまう。


これをしたら、どうなるか・・

あれをしたら、どうなるか・・

失敗したら、どうなるか・・

恥をかいたらどうなるか・・


だから、緊張を生むのだ。


  高田純次が世界を救う。


そんな私のちっぽけなエゴを取り去ってくれた神のような人物を見た。


Junji Takadaである。





この動画の2分19秒あたりで、私は震えた。


還暦を過ぎた大人が、温泉に飛び込んでいる。

見事な飛び込みっぷりだ。


この動画を見た瞬間、私はアセンション(次元上昇)し、違うパラレルワールドへと、移行した


つまらない小さなエゴを捨て去ろうと思った。






 

3000万円の指輪を飲み込むくらいの発想の転換が必要だ。


もう、自己啓発本も、やめて、肩の力を抜こうと思う。


心なしか、ガチガチだったチェロの弓を持つても、力が抜ける。


これが、先生の言っていた「脱力」か・・


Junji Takadaのおかげで、半年かかった弓の持ち方も習得できた。


高田純次が、神のように見える。

もう、一生ついていきます。という心持ちである。


感動に包まれている刹那、妻の視線が突き刺さった。

「ハリウッドザコシショウの次は、高田純次かよ」

彼女の目が、声なき声をあげていた。


妻は、「適当界」にアセンションした夫を、どう思うのだろうか。


一抹の不安がよぎる。


何はともあれ、緊張しそうになったら、温泉に飛び込む高田純次を思い出せば、幾分落ち着くと思うのであった。

 

 

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