藤原斉信 | 文武一道

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主に『映画』『音楽』『芸能』『文化』『経済』『歴史』等、つまり雑学?(あと、『カンフー映画』にはかなりDEEPにハマッてます!)

 NHNの大河ドラマ『光る君へ』の公式インスタグラムが4月29日に更新され、4月28日放送の第17話での一部シーンが公開されました⁉

 清少納言(ファーストサマーウイカ)を藤原斉信(金田哲)が「なぜ返歌をくれぬのだ?」と呼び止めるシーン❗

 「俺をコケにするのは、けしからん」と清少納言の胸元に手を忍び込ませて木の葉を入れます?

 しかし、清少納言は「深い仲になったからといって、自分の女みたいに言わないで」と一蹴‼

 つれない清少納言の返事に藤原斉信は「男が出来たのか?」「前の夫とヨリを戻したのか」と動揺⁉

 公式インスタには2人が視線を絡ませる姿などがアップされ、SNSでは「え?知らぬ間に深い仲になっていたとは」「ききょう様 けしからん!」「何この急接近」「はんにゃとウイカの演技なかなか良い」「斉信と清少納言。大人の色気だわ」「清少納言ちゃん小悪魔~~~~~!」「清少納言(ききょう)さんの胸元に紅葉差し込んだときに、ドキドキ」「つれない清少納言が色っぽくて、ドキドキしました」と…?

 この日の放送では、一条朝の四納言の1人として知られる藤原斉信(金田哲)と清少納言(ファーストサマーウイカ)との2人きりのやり取りが描かれました❗

 後宮の中で働くききょう(清少納言)に、藤原斉信がなぜ返歌をくれないのかと絡むと、ききょうは「そうでしたかしら」ととぼけました‼

 藤原斉信は余裕を見せて、ききょうをそっと抱き寄せながら紅葉の落ち葉を彼女の胸元に差し入れ、「俺をこけにするとはけしからん」と色っぽく迫りました⁉

 一方、ききょうはつれない素振りで、「深い仲になったからといって、自分の女みたいに言わないで」とピシャリ?

 焦った藤原斉信が他の男性の存在を問いただすと、「そういうことネチネチ聞くあなたは本当に嫌」と藤原斉信のあごに手をやって、誘うような目つきを見せました❗

 しかし、藤原斉信が口づけしようとしたところで、さっと身をかわして「そろそろお越しになるわ」と冷たくあしらい、立ち去ってしまいました‼

 金田哲さんが演じている藤原斉信

 彼を含む4人の貴族たち(藤原道長・藤原公任・藤原行成)は“F4”とも?

 藤原斉信は、康保四年(967年)、藤原為光の次男として生まれました❗

 藤原道長の父である藤原兼家と藤原為光は兄弟で、藤原斉信と藤原道長は従兄弟同士‼

 藤原斉信の妹・藤原忯子は、花山天皇のもとへ入内し、血筋は文句なし⁉

 他ならぬ父の藤原為光が大納言や太政大臣を務め、その子である藤原斉信も恩恵を受けて昇進していきました?

 また、藤原斉信の母も内親王という高貴な生まれ‼

 官位は正二位・大納言で、藤原道長政権を支えた四納言の一人⁉

 藤原斉信と藤原道長は年齢も1歳しか違わず、幼いころからの友人❗

 正暦5年(994年)、藤原斉信は蔵人頭(頭中将)となり、職掌もあり、中宮・藤原定子のサロンによく出入りしていたと言われています?

 しかし、藤原道隆が亡くなると、藤原道長に接近‼

 時代において勢いのある人物に近づく、そんなずる賢さや世渡り上手な面もあったのかもしれません⁉

 藤原斉信は藤原道長の右腕として彼を支えます❗

 昼は政務・夜は詩会を催して、二人はいつも一緒にいたとか?

 ちなみに、『光る君へ』に出演しているもう一人のお笑い芸人・ロバートの秋山さんが演じている藤原実資は有職故実に詳しく、しきたりなども大事にする真面目な人物‼

 藤原実資の日記には、藤原斉信を批判するような内容も書かれています⁉

 例えば、大切な詩会に遅刻するという失礼なことをしたり、相撲や布引きを何度も行ったりといったものがあります❗

 真面目な藤原実資から見たら、藤原斉信はチャラチャラしているように見えたのかも?

 実際、清少納言の随筆『枕草子』において、中関白家の貴族以外の男性では、藤原斉信が最も多く登場しています‼

 藤原斉信は容姿も優れていたと考えられていますが、それだけでなく朗詠・和歌・漢詩・管絃などにも才能があり、文化人⁉



 長徳元年(995年)4月、藤原定子の父である藤原道隆が亡くなると、藤原斉信は、中関白家(藤原道隆の家系)から距離を置き、藤原道長への接近を強めます❗

 それが功を奏し、翌長徳二年(996年)に【長徳の変】が起きると、藤原斉信は悪影響を受けるどころか、むしろ参議となって昇進するのでした!!

 藤原斉信は、寛弘六年(1009年)に権大納言へ昇進すると、四納言でも筆頭格に⁉

 そして、寛仁四年(1020年)、藤原斉信は大納言の官職に?

 翌治安元年(1021年)には、藤原道長の六男・藤原長家を自身の娘婿に迎えます❗

 万寿二年(1025年)、妊娠していた藤原斉信の娘が、流行りの赤斑瘡によってお腹の子を失い、体調を崩してしまいました‼

 藤原斉信は、娘の回復を祈りましたが、間もなく彼女も亡くなってしまいます⁉

 深く嘆き、悲しんだ藤原斉信

 その後、藤原斉信は官位が上がることもなく、世間に忘れられたかのような存在に❗

 そしてその後は人の話題に登ることもなく、長元八年(1035年)3月23日に亡くなりました‼

 70歳近い高齢であり、病に苦しむことなく亡くなったとされるので、老衰死だったのでしょう…。