藤原道長 | 文武一道

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主に『映画』『音楽』『芸能』『文化』『経済』『歴史』等、つまり雑学?(あと、『カンフー映画』にはかなりDEEPにハマッてます!)









 藤原道長は966年(康保3年)、藤原兼家と、時姫の三男として生まれました❗

 二人の兄は、後に関白となり、同じ母から生まれた姉二人は、皇太后となっています‼

 986年(寛和2年)に、藤原兼家は藤原道長の姉の一人、藤原詮子が生んだ子を「一条天皇」として即位させ、藤原兼家は摂政に就任⁉

 藤原兼家が摂政になったこともあり、藤原道長は兄たちとともに、朝廷内で順調に昇進を重ねていきます?



 藤原道長は、源倫子(黒木華)と結婚し、将来、一条天皇の后となる娘を授かります❗

 990年(永禄2年)、摂政から関白になっていた父・藤原兼家が亡くなります‼

 その後、長男の藤原道隆が関白職を継ぎましたが、995年(長徳元年)に病を得て出家し、間もなく亡くなってしまいました⁉

 藤原道隆は生前、息子の藤原伊周を関白にするよう、天皇に願い出ていましたが…?



 しかし、藤原伊周を関白とする許しは出ず、藤原道隆の弟の藤原道兼が関白に任命されます❗

 ところが藤原道兼も、就任後、数日で急死してしまいました‼

 立て続けに兄を亡くした藤原道長は、次の関白候補となります⁉

 姉・藤原詮子の後押しもあり、藤原伊周を抑えて「内覧(摂政や関白に準ずる役職)」に任命されると、翌年には左大臣に就任し、政治の実権を握ることと…?



 999年(長保元年)、藤原道長は娘の彰子を、一条天皇の中宮として入内させます❗

 1008年(寛弘5年)、彰子は後の後一条天皇となる、敦成親王を出産⁉

 1011年(寛弘8年)、一条天皇の崩御によって三条天皇が即位すると、藤原道長は娘・妍子を入内させます‼

 ちなみに、三条天皇の母は、藤原道長のもう一人の姉・超子?



 1028年(万寿4年)1月3日、藤原道長は背中にできた腫物が原因で、62歳で亡くなったそうです⁉

 でっ♪、藤原道長は、大変「文学」を好んだことでも知られています❗

 漢詩や和歌を詠むのが好きで、歌会のようなイベントもよく開いていたそうです?

 1018年(寛仁2年)、藤原道長は自分の屋敷で盛大な祝宴を‼



 宴に出席した公家・藤原実資の日記には、藤原道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思えば」と、自分の心境を歌に詠んだと…⁉

 望月とは満月のことで、藤原道長は全く欠けた部分のない満月を自分の力に例えて「この世は私のもののように感じられる」と表現したそうです?