北里柴三郎 | 文武一道

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 新千円札の肖像に選ばれた「日本近代医学の父」北里柴三郎
 
 教育者としての北里柴三郎は、まず基礎を重んじたそうです‼️
 
 


 
 
 北里柴三郎は、1853年1月29日、現在の熊本県阿蘇郡小国町北里で生まれました❗
 
 18歳で熊本医学校(現熊本大学医学部)に入学‼️
 
 その後東京医学校(現東京大学医学部)にも入学し、在学中に「医学の使命は病気を予防することにある」と確信?
 
 予防医学を自身の生涯の仕事にすることを決めたといいます⁉️
 
 


 
 
 卒業後は、厚生労働省の前身である内務省衛生局に入局❗
 
 1886年から6年間、ドイツに留学し、病原微生物学研究の第一人者、ローベルト・コッホに師事したそうです⁉️
 
 1889年、世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功‼️
 
 その翌年には破傷風菌の毒素を中和する抗体を発見し、この抗体を含んだ血液を投与することで、破傷風などの感染症を抑える「血清療法」を開発しました。
 
 


 
 
 帰国後は福沢諭吉らの援助を得て、私立伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立❗
 
 伝染病予防と細菌学の研究に勤しみ、1894年には香港でペスト菌を発見⁉️
 
 1914年、東京・白金に北里研究所を創立‼️
 
 教育活動にも大きく貢献し、福沢諭吉没後には慶應義塾大学医学科の創設に関わったそうです?
 
 1931年6月13日、脳溢血により78歳で死去。
 
 没後の1962年、北里研究所創立50周年を記念し、北里大学が創設されました。
 
 北里大学は、北里柴三郎の業績は「科学者としての真の学問追求」、「社会事業家としての国創」、「教育者としての人材育成」に集約される、と評しています。
 
 その北里大学の公式サイトでは、北里柴三郎が門下生に説いた「事を処してパイオニアたれ。人に交わって恩を思え。そして叡智をもって実学の人として、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を貫け」との言葉が紹介されているそうです…。