コロナ禍、終息の兆しは依然として見えませんが、今朝のニュースでは「感染者数が横ばい、または減少」と言っていました。
当然のことながら、終息にはまだまだ時間がかかるでしょうし、インターハイも中止されたということは、詳しいことがわかっている筋には、
「八月以降もコロナの脅威は残る」
ことがはっきりしているのでしょうね。
外出ができない土日、リコーダーの練習に明け暮れました。・・・肘が痛い。変な力が入っているせいでしょうね。
下手くそながら、音階の録画が終わりました。二つ目の提出課題終了・・・終了じゃないな、十分ながら「よし」とする。
あきらめた、というのが正しいか。子供の頃は苦労した憶えのないリコーダーですが、四捨五入して還暦の年になると、何度やっても身につかず、頑張ってできたはずのこともあれよあれよとすっ飛んで体から抜けていきます。
ヘ長調が2オクターブなので練習開始から録画まで4日かかりました。
録画が終わったらまた、お腹が下って、痛い痛い。そのくらい、精神的に来ているんですかね。これで、再提出食らったら・・・ま、実力不足仕方がない。
西洋音楽の歴史と理論、課題レポートが「再提出」で戻ってきました。あーあ。
かなり勉強したんですけどね、本当に。
題材に取り上げた曲のスコアも買って、CDも二種類用意し、トランペットバートは自分で少々吹いてみたり。
教科書もノート2冊に渡ってメモを取って2ヶ月半かけてみっちり読みました。ショスタコーヴィチの本も、2冊精読しましたよ。
まあ、読み直して見ると、その時代に果たした役割とか、社会への影響という点が不十分だなあ、と思いました。
楽曲の理解だけではダメよ、ということか。
論文が長くなりすぎると思って、コンドラシンとN響の下りを省いたのがまずかった・・・いや、課題条件を良く読まなかったのが悪かった・・・いや、自分の好みで「ボルト」なんてマイナーな曲を選んだのがまずかった・・・。
結局!!
仕方がないのだ!!
自分で良いと思っても評価をもらえなければそれは所詮ダメなのである。
勉強したり努力したりしたことが無駄とは思わないのですが、辛いな!真面目にやったことに結果が伴わないというのは。
この年で、ピアノといい、西洋音楽史といい、壁に顔を思いっきりぶつけるような体験をするとは思わなかった。いや、この年だからこそ、そういう思いをすることが大切なんだな。なんでも、自分の思うとおりにはいかないのさ。
真剣に物事に取り組むのは苦しいことだ。当たり前のことを思い知らされるという意味でも、人生死ぬまで勉強しなくちゃならないんだ。