大いなる意識と繋がって生きる☆
☆ブログランキング ぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
☆宜しければこちらもぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
人間は「個」としての側面と、地球あるいは宇宙の「パーツ(部品)」としての側面を同時に生きています。
我々は普段個人としての人格を持ち、自らの欲求のままに生きているようですが、それは同時に地球の一細胞として、全体の調和を保つ為の働きにもなっているのです。
スピリチュアル的にいうと
「我々を通して生きているのは全体(すなわち神)である」
という事になるでしょうか。
私達は大いなる意識に常に動かされているわけです。
それに気付いている人にとっては、全てが円滑に円満に動いているのがはっきりと分かります。
「目の前に現れる現象は、全て大いなる意志であり、自らの中に生まれる願望や夢は、神から与えられたミッションである。」
と気付いた時、ただひたすらに目の前にいる人を愛し、目の前にある仕事を愛し、目の前の出来事を(たとえトラブルのように見えても)愛すしか出来ません。
「頑張る(=我を張る)生き方から、委ねる生き方へ」
そして委ねる生き方が極まったとき、人は大いなる意識に目覚めていきます。
是非この事をあなた自身で体感してみて下さい。
この文章を言葉として捉えるのではなく、感じることが一つのヒントになると思います。
大いなる意識との繋がりを感じながら生きるとき、あなたの人生は全てが円滑に円満に動き出します。
あなたの意志と宇宙の意志はひとつなのです☆
☆ブログランキング ぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
☆宜しければこちらもぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
恐怖を超えて楽しく生きる☆
☆ブログランキング ぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
☆宜しければこちらもぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
今はほとんどいなくなりましたが、僕が子供の頃には、野良犬が沢山その辺を歩いていました。
僕は犬が大好きでしたので、野良犬を見かけると寄っていってよく頭を撫でていました。
彼らも尻尾を振って歓迎してくれ、僕には野良犬の友達が沢山出来ました。
一方僕の友人のH君は大の犬嫌いでしたので、野良犬を見かけるとすぐに僕の後ろに隠れるのが常でした。
すると僕の前ではあんなにおとなしかった野良犬が、急に牙をむいてH君を追い掛け回すのです。
彼はいつも泣きながら逃げまどったものでした。
心は恐怖したものを自らに引き寄せる働きを持ちます。
恐怖を感じる時、誰でもその対象に意識が集中します。
意識が集中するという事は、その対象にエネルギーを与えているのと同じですから、自分のエネルギーを消耗しながら、相手をどんどん強くしてしまいます。
貧乏を恐れれば貧乏になり、失恋を恐れれば失恋を招きます。
僕のある友人は田舎育ちのせいか警戒心が無く、東京に引っ越してからも、出かける時に部屋に鍵をかけていませんでした。
ある日彼の住むアパートに空き巣が入り、そのアパートの住人6世帯分の家財を一切合財持っていってしまいました。
唯一鍵をかけていなかった彼の部屋を除いて・・・。
それからこんな話も聞いたことがあります。
アパートに入居した時にもとからついている鍵だけでは不安なので、二重三重で鍵を取り付けているような部屋には、泥棒が入る確率が高いのだそうです。
恐怖というのはもともとは身を守る為の正常な反応なので、身に危険が迫った時に恐怖を感じるのは悪い事ではありません。
しかし危険が迫ってもいないのに、取り越し苦労で危険を空想してしまうのは問題です。
恐怖を空想しているのは今なので、今が幸せじゃなくなりますし、更に意識の力で恐怖の対象を呼び込んでしまうとしたら、まさに踏んだり蹴ったりですよね。
さらに、人間にはもともと危険を察知して避けようとする働き(俗に言う虫の知らせ)が在るのですが、始終ビクビクと何かに恐怖や不安を感じていると、いざという時の危険信号に気付けなくなってしまいます。
ちょうど寓話の狼少年のように・・・。
恐怖は冷静な心で観察すると消えてゆきます。
それはそれほど難しい事ではありません。
僕のところにも、不安で何ヶ月も眠れないという方がときどきいらっしゃいますが、簡単な「観察」のコツをマスターするだけで、みなさんよく眠れるようになるようです。
恐怖心や不安はあなたに張り付いたように見えるシールのようなもので、あなたではありません。
そのシールをはがして、まじまじと観察していると、太陽の光に照らされた氷のように、瞬く間に溶け去っていきます。
その時あなたは、心の中にさわやかな風が吹き抜けるような爽快感を感じる事でしょう・・・♪
☆ブログランキング ぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
☆宜しければこちらもぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
スピリチュアルとは?☆
☆ブログランキング ぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
☆宜しければこちらもぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
私はスピリチュアルにおける第一義は、自他の真の幸福につながるかどうかだと思っています。
不思議な体験をしたり、不思議な能力のある人と交流することは確かに楽しいですが、それが真の幸福につながらなければ何の意味もありません。
たとえ異次元や霊界のことを知り尽くしたとしても、超古代史に精通していたとしても、神様の名前をたくさん知っていたとしても、優れた霊能力を持っていたとしても
「あなたは幸せですか?」
「あなたは周りの人々を幸せに貢献していますか?」
という問いに対して、イエスと答えることが出来ないならば、スピリチュアルな生き方をしているとは言えません。
逆に、何一つ不思議なことなど感じなくても、あの世の世界のことなど全く興味なくても、幸せに生き、その人と共にいると幸せを感じるような人物こそ、真のスピリチュアルを体現している人といえるのではないでしょうか?
真の幸福は、いいことがあったら喜び、悪いことがあったら絶望するといった、短絡的な思考からは決して生まれません。
いいことの中にも悪いことの中にも平等に、喜びの種を見つけ感謝出来る豊かな心の中に幸福はあります。
スピリチュアルという言葉から一般的に連想されるイメージは、不思議で神秘的なものといった感じになるのではないでしょうか?
しかし実際には、現実にしっかりと根を下ろしながら、目の前に現れる人間関係や経済問題等を通して、豊かな心を育てるという極めて当たり前のアプローチを取るのが、至高の道なのです。
何故ならそれこそが、この世に私達が生まれた理由だからです。
この世自体が、スピリチュアリティを高める最高の実践空間なので、これ以上にスピリチュアルなことなど他にはないのです。
スピリチュアリティの高い方ほど、パッと見は普通の人に見えるのも、そんな至高の道を歩いているからだと思います。
(一目見ただけで、神秘的な怪しいオーラが漂ってくるような人は要注意ですよ(笑))
「スピリチュアルは、当たり前の日常の中にあり☆」
☆ブログランキング ぽち
っと応援宜しくお願い致します☆
☆宜しければこちらもぽち
っと応援宜しくお願い致します☆

