空きびんに花いちりん~心の寄せ植え -14ページ目

空きびんに花いちりん~心の寄せ植え

心理臨床の現場と花壇と畑とその辺の野山に寄り添って

過去二つの記事の中で活字にできなかった言葉
「難民」

私の中では
過去にあった難民、元難民、難民だった人の子どもたちが思い出されて
一つの言葉で括りきれないものがありました
それで抽象的で感傷的な書き方に留まりました

今日は思い切って「難民」という言葉を使って
具体的に書いてみます

私が始めて「難民」と呼ばれる人たちに会ったのは
アメリカ西海岸の空港
スーツケースをごろごろさせる人たちに混じって
レジ袋だけを抱えた人たちが入国審査の列にいました

太平洋を越える国際線に乗ってきて
持っているのは
荷物はレジ袋の中に入ってるものだけ
服装も暑い気候を思わせる

私は理解するのに時間がかかりました

インドシナの戦乱を逃れタイの難民キャンプからアメリカに受け入れられた人たち
ということを後から知りました

家族同士で寄り添う姿のからうかがわれるさまざまな感情と
飛行場の無機質さとの対比

日本で報道される難民のイメージにはいくつかのパターンがあります
ほこりにまみれた難民キャンプ、うつろな表情
荷物と子どもを抱えた長い人の列、疲労した姿
鉄条網や制服に守られ、あるいはそれを逃れようとする姿

私が出会った人たちは、「先進国」での生活に根を下ろそうとした人たち
言葉の勉強、就労、
アパートの回りにふるさとからの種をまき野菜を育てる
差別や蔑視、文化の違いの中を戸惑いながら生きていく

ともに「難民」のほんの一部の姿です
本当は紛争地域から遠くないところに一時的に避難して
ふるさとが安全になったら帰っていく人たちが多いのです
それを一番の願いとしている人が多いのです

今回、難民援助への寄付といってもいろいろある
いったい私のささやかな金額はどこへ、、と考えるうち

遠い外国に行くことを望まない人たち
それができない人たち
そんな人たちの援助につながるように、、と決めました

今の紛争地域の周辺国
先進国の多くと比べて豊かとはいえない中
たくさんの難民を受け入れながらも
必ずしも基本的な必要を満たしているとは言えません
負担が重くなれば、難民を締め出すこともあるでしょう

また

「ヨーロッパに行きたいわけじゃないんだ」
「同じ言語圏/文化圏の隣の国に留まりたい」
「安全が欲しいだけ」
「親戚や友人と離ればなれになりたくない」

そんな思いを支えたくなりました

雨上がり
トマト

 
 









今この時に
苦しむ命、生きようとする命
奪われた命の
姿を見ながら

今この時に
映像にも画像にもならず
名前も知られていない人たち
子供たちが
いったい何人いるのだろう

過去に遡ってみれば
いったい何人の人が、、、
世界中で、いったい何人の人が、、、

やり場のない気持ちのうごめきを感じていました
何だか、怒る気にもなれないのです

私は何ができるのだろう

お金を送ろうと思いました

お金で買えるもので
あたたまる身体があるのなら
和らぐ痛みがあるのなら
満たされる胃袋があるのなら
潤うのどがあるのなら
進む手続きがあるのなら






皆様、ご無沙汰しておりました

あっという間に8月が去り
9月ももう10日

私があまりに静かにしていたもので
心配してくださった方も、、

私がこの夏
考えさせられたり、学んだりしていたのは
子どもに対する虐待のことでした

どうも「虐待」という概念が一人歩きしすぎてしまい
子どもさんたちの安全や苦しみそのものから
視点がずれていっているような気がしていました

どうしてこういうことになってしまったのか
その影響はどうなのか

そんなことを
関係者の方々とお話したり
子ども保護の歴史などを調べたり

そうこうしているうちに
今度は中東、北アフリカからヨーロッパに移動している
多くの人々のことが気になってきました

今年は特に戦後70年ということでメディアに多く出てくる白黒の写真と
鮮やかなカラーで音声とともに飛び込んでくる映像が重なってきました
それから、子どもの頃白黒のテレビで見たベトナムの映像・画像も

どうしてこんなことになってしまったのか
どうしてこんなことになってしまうのか

地域の歴史の紐を解けば
複雑で大きな流れに圧倒されます

自分の暮らしで忙しい時期で
報道されてもあまり深く知ることのなかった
過去の戦乱についても
改めて歴史を追ってしまいました

長い時間をかけての事情はそれぞれだけれども
繰り返されるパターンがある
何度も誓ったはずなのに、、、

人間はなぜ実行できないことを誓うのでしょう
実現しないとわかっているから
せめて誓いだけを立てるのでしょうか

誓いは目標であり希望なのでしょうか