「難民」
私の中では
過去にあった難民、元難民、難民だった人の子どもたちが思い出されて
一つの言葉で括りきれないものがありました
それで抽象的で感傷的な書き方に留まりました
今日は思い切って「難民」という言葉を使って
具体的に書いてみます
私が始めて「難民」と呼ばれる人たちに会ったのは
アメリカ西海岸の空港
スーツケースをごろごろさせる人たちに混じって
レジ袋だけを抱えた人たちが入国審査の列にいました
太平洋を越える国際線に乗ってきて
持っているのは
荷物はレジ袋の中に入ってるものだけ
服装も暑い気候を思わせる
私は理解するのに時間がかかりました
インドシナの戦乱を逃れタイの難民キャンプからアメリカに受け入れられた人たち
ということを後から知りました
家族同士で寄り添う姿のからうかがわれるさまざまな感情と
飛行場の無機質さとの対比
日本で報道される難民のイメージにはいくつかのパターンがあります
ほこりにまみれた難民キャンプ、うつろな表情
荷物と子どもを抱えた長い人の列、疲労した姿
鉄条網や制服に守られ、あるいはそれを逃れようとする姿
私が出会った人たちは、「先進国」での生活に根を下ろそうとした人たち
言葉の勉強、就労、
アパートの回りにふるさとからの種をまき野菜を育てる
差別や蔑視、文化の違いの中を戸惑いながら生きていく
ともに「難民」のほんの一部の姿です
本当は紛争地域から遠くないところに一時的に避難して
ふるさとが安全になったら帰っていく人たちが多いのです
それを一番の願いとしている人が多いのです
今回、難民援助への寄付といってもいろいろある
いったい私のささやかな金額はどこへ、、と考えるうち
遠い外国に行くことを望まない人たち
それができない人たち
そんな人たちの援助につながるように、、と決めました
今の紛争地域の周辺国
先進国の多くと比べて豊かとはいえない中
たくさんの難民を受け入れながらも
必ずしも基本的な必要を満たしているとは言えません
負担が重くなれば、難民を締め出すこともあるでしょう
また
「ヨーロッパに行きたいわけじゃないんだ」
「同じ言語圏/文化圏の隣の国に留まりたい」
「安全が欲しいだけ」
「親戚や友人と離ればなれになりたくない」
そんな思いを支えたくなりました
雨上がり
トマト

