2ヶ月に一度程、カトリック教会のミサの中で、答唱詩編のお手伝いをしています。
私が歌を始めることになったきっかけは、この答唱奉仕でした。
答唱とは聖書朗読の後、朗読された神のことばを詩編のことばで先唱者が歌い、段落ごとに答唱句を一同が歌って応答するもの。
初めてこの答唱奉仕をやったのは12歳のときでした。
堅信式を受けるにあたり長崎司教様がいらっしゃることになりました。
そこで当時、音楽担当だったシスターより、堅信式を受ける人たちでラテン語の歌を歌ってお迎えしましょうということになり、わけが分からないまま練習を始めました。そのラテン語の歌は、何という曲か忘れてしまいましたが、出だしの言葉とメロディは今でも覚えています。
その練習の時に、指導してくださったシスターから「学校帰りに教会に寄って、答唱の練習をしましょう。日曜日のミサでは答唱奉仕で一人で歌ってください」と言われ、おかげで毎日教会に行くはめになってしまいました。
子供の頃から歌うことは好きでしたから苦ではなかったのですが、当時はただ単に好きで歌っている程度でしたので、歌うことについて考える良いきっかけになりました。練習では「神様の言葉を伝えるように歌いなさい」とシスターに言われましたが、どのように歌うのか、それまで全く考えたことがなかったので大変戸惑いました。
それにね、練習のたびにシスターに「将来はシスターにならない?」と勧誘(?)も受けました。私の父親のいとこにシスターがいましたから、土地柄というか、そうなっても不思議はなかったかもしれないですね。
さて、この答唱奉仕、自分からやらせてくださいとお願いしたことはないのです。他にいらっしゃったらその方にお願いしてください、どうしてもいらっしゃらなくてお困りの時はお手伝いします、といつもお話しています。
どうしてって…せっかく歌わせてくれる機会なのにって……
難しいんですよね(^_^;)音域が…って皆さん普通に歌える音域なんですが典礼聖歌によっては五線の下の方を行ったり来たり。どうかすると五線の中のラとシのチェンジ(チェンジ…声のギアが変わるようなものですかね…)のところを行ったり来たり。
でも大切なことですから有り難いと思って受けています。
私の洗礼名はマグダラのマリアですが、堅信式でセシリアという名前を頂きました。セシリアは音楽の守護聖人。音楽で奉仕するよう導かれたのですね。日々勉強です。