こんにちは
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
11月24日(日)、岐阜まで、ベーテン音楽コンクール・中部地区本選の為に、行ってまいりました。
それは、教室ブログで連載しましたが、こっちのは何ちゅうんか、自分のスピリチュアルな経験とかも書いてるし、今回も「あ、やっぱりな」と思えたことがあったので、書いてみます。
教室ブログで読んで下さってる方は、Mが面白い子である事と同時に、私にかなり依存してる子だと言う事、ナーバスになると、なかなかヤヤコシイ子になる事はご存知だと思います。
基本いい子です。
ヒトの悪口言わんし、天真爛漫です。
素直で、まぁ…ちょっと年齢(22歳)の割に、子どもっぽいです。
子どもの世界から抜け出そうとしない…と言った方が近いかな。
だから、近畿地区予選の時も、今回の本選時も、自我の塊になってはって、普通は先生にはそんなん出さんやろけど、「先生」であり「甘えられる対象」であり「見抜かれる対象」であり「全てをわかってくれる対象」である私の前では、もうグチャグチャですわ。
ピアノも、この子はなかなか耳もいいし、作り上げたことを出し切ってくれたら、ヒギンズ教授とも言うてましたが、全国大会に行けるだろう…と。
でも、精神がグチャグチャで、めっちゃナーバスで、甘え切っとるから、どやろな~みたいな。
実際、岐阜の1週間前に受けてた、神戸本選では「優良賞」で、全国切符は頂けなかったです。
神戸で落ちてるから「私はもうアカン…」と思ってて、泣いてばかり、出てくる言葉はネガティブばかり。
ほとほと困り果ててるのを、ヒギンズ教授もさすがに激怒して、Mに
大「甘えすぎ。
出来ると思うからアドバイスしてるのに、もうしない」
と、引導を渡しはりました。
余計ピ~ピ~泣くし、私らが出来る事って指導だけやし、それをもう一度丁寧にしていくだけです。そんなこんなな岐阜本選だったんですな。
順風満帆なんか、全然。
難破船前でしたわ。
世の中の超優等生、将来ピアニストになるんだ、と前向いて強気に向かっていってる子たちとは対極にあるような、本選前でした。
それを念頭に置いていただいて…。
今は私も、地に足ついてる歩み方してますが、自分ではそう思ってなかったけど、不思議ちゃんだったようです。
確かに霊感ぽいものはあります。
母を亡くし、最後の肉親を亡くしてグダグダの時が、一番発動していました
多分、心と体の境界線が薄く、身体と外界の境界線も薄かったので、そういう体験をしたのかも。
大ドツボからドンドン復活してきて、境界線も強固になり、自然とそういう体験はなくなってきました。今ではほとんどないです。
体験はなくなったけれど、直感や予兆的なものはあり、でもそれは、きっと誰にでもあることだと思うので、気にも留めてないです。
その中で、Mが近畿地区本選通過後から増えた「予兆的なもの」。
それは、エンジェルナンバーでした。
私は音大受験生も教えていますが、関西なら京都市立芸大と、母校の大阪教育大が入れるのが難しいです。
だから、十分な力を持ってる子でも、心は半々な気分です。
そこを受ける子がある時、合格を決めてくる時は、333や444などをよく見ます。
京芸実技1次試験の帰りに電話をくれた子、精いっぱい出し切りましたと言って、電話切った時、時計が3:33でした。
で、こういう時、時間たって思ったことは、自分の意識で、自分の意見、願望が入り込むので違うのですが、この時見た瞬間に思ったことは「あ、受かったな」でした。
そういうのが色々あって、333や444を見る時は、何かの合格、喜びごとが絡んでる事が私の場合多いです。
Mが近畿地区予選を通過した後から、頻繁に333、444を見出しました。
何の数字かというと、
333はアセンデッド・マスター(悟りを開いた覚者)が傍にいます。
444は天使が傍にいます。
ヤヤコシイ事は好かんので、「あ、神さんが傍にいて、何か知らせてくれてるんやな」くらいに思ってます。
以前はそんなに見なかったのに、急に見出しました。
それで思い浮かんだのが、Mの今後ですけど、ウダウダ、メソメソが続く限り無理やろ~と思ってました。
つづく
作編曲・採譜のご依頼、お問い合わせはこちらまで