こんにちは
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
大分前に、友だちのヒーラーである葉月ちん(ブログはコチラ★★)が「Tomorrow Land」という映画が面白いよと、教えてくれました。
早速借りて来たヒプノ氏。
私はレッスンがあったので、合間に飛び飛びで見て、終わってから全部通して見ました。ネタバレなったらアカンので、映画の内容は書きませんが、テーマは『あきらめんな』です。
昨今のスピリチュアルで『手離す』を語られる事が多いです。
「そ~か~、手離したらうまくいくねんな」と、安易に「投げ出して」ないでしょうか
投げ出すのと、手離すのは違います。
「だって、手離さない=執着やん」と思いはる人もあるかもしれません。
そうでしょうか
「だって、〇〇さんも△△さんも、楽しい事だけしろ~手離せ~て言うてるやん」と反論があるかもしれません。
その文面だけ見ればそうです。
でも、その話の前後や、セミナーで詳しく語られる事まで文章ではくわしく説明できないし、私もそれを聞いてるわけ違うから断言は出来ません。
そのままで受け取ってうまくいかない○○さんは違う。
今度は□□さんのブログ読んでみよ、セミナー行ってみよ…では多分、うまくいかないのではないでしょうか。
私は悩んだり落ち込んだり、またまた嬉しい事もあったりというような、悟りには程遠い対局にあるようなごく普通の人間です。
最近気づいたのですが(遅っっ)、私の中に『私を私たらしめる』根幹となるものが1つだけあります。
いろんな本を読んでも話を聞いても「難しいな」と思う事が、それに置き換えると「あ、そ~いう事か」とすんなりわかります。それは「音楽」。
そして「それを半世紀続け、そして四半世紀以上を職業にしてきた」事です。
『楽しい事だけする』「今の仕事面白くない」
「楽しい事だけすると読んだ」「勇気がいったけど実践、仕事やめた」
今の時代、なかなか再就職なしあるいは再就職を果たした。
けど「面白くない」「楽しい事だけするやんな、よし、辞めよう」
そして、無限ループ。
あ~た~り~ま~え~や~ろ~。
今、面白ないねんやろ
次に期待しても、面白ないに決まってるやん。
「面白ない」事は「仕事」自体でしょうか
そこに「原因」があるのでしょうか
それを捨ててでもしたい事があるなら別ですけど、それもなくてただ「面白ない」から辞めて、そして、新しいことしても「何か違う」となって、また次に期待する…そんなん蜃気楼追いかけてるのと同じですやん。
旦那はギターを趣味で習ってます。
めちゃくちゃ練習するわけではありません。
彼がYouTubeとかで、好きなギタリストさんの演奏を見てよく言うのが
「こんだけ弾けたら楽しいやろな~」。
こんな事も言います
「み~くらいピアノが弾けたら、楽しいやろな~」。
「上手くても、楽しいとかそんなんないで、きっと。
その人にとっては、それが普通の状態やから、『俺ってすごくね』とかもないし、呼吸するのと同じ「当たり前」なん。
そっからもっと何かの高みを目指してるとすれば、その目指している事に対して『期待』『憧れ』なんかはあるかもしれんけど、その人の現状はもう、すでにその人にとっては『当たり前』やから、何も思えへんのと思うで」
「そ~か~。これが普通で当たり前か~」
とか言うてはります。
何の仕事にしても、何かのスポーツ、楽器、あるいは学問にしても、ある所まで慣れるには、根気や辛抱も必要だし、そこに至るまでは面白くないもんです。
みな、何がしかの苦労はあったはず。
ただ、苦労を苦労と思ってないだけ。
それは根本的に「好き」だから、苦労を苦労と思ってないだけ。
科学者なんか、失敗の繰り返しですやん。
大変やけど「仮定」を「証明」した時の喜びが、あるからなんじゃないでしょうか。
苦労を乗り越え、そこからサクサク出来る時代が来て、「あ~面白いな~」となります。そしてまた、壁にぶつかる事になるかもしれませんが、1度乗り越えたら、乗り越えられる体験をしているから、頑張れます。
でも、「おもろな~」とそこで辞めてしまったら、乗り越える体験をしていないので、次に別の道を進んでも結局同じ所で、「おもろな~」と辞めてしまうのかもしれませんよね。
つづく
作編曲・採譜のご依頼、お問い合わせはこちらまで