こんにちは。
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
昨日は、昨年行った片埜神社&アテルイの首塚の事を書きました。
もう1200年程前の事ですから、首塚が気持ち悪いとか全然ありまへん。
ヒトの魂魄は、死んだら『魂』は上に、『魄』は地に還る…らしいので、あるとすれば『魄』の方。
でも1200年前ですから。
今日は「もしや、アテルイの魄が、ちょっと残ってたのかも …」の話です。
アテルイの首塚に行ったのは確か、(水)でした。
そして(土)に皇大神宮別宮瀧原宮 と石上神宮へ。
am3:00に起きて、3:30に出発。
ウチからだと、瀧原宮まで2時間半。
そこから、石上神宮には2時間。
ただ、ウチの車のナビは、新名神高速が出来る以前のナビなので、瀧原宮までは「みつよナビ」が地図とにらめっこして行きます。
新名神から行った方が近いのです。
でもいつも、必ず何かヘンな事になります。
今回、ウチの近くから第2京阪に乗ったのは乗れた。
いつもは第2京阪使うとき、入り口がわかんね。
そこから京滋バイパスに入るのに、何故かいつの間にか高速降りてしまって京都市内走ってるし。
あれ~
でも、地図を調べてて気づいた事があります。
何かわからんと降りてしまったのが、『山科』です 。
そしてその傍に、「坂上田村麻呂の墓」があります。
坂上田村麻呂とアテルイは、ケンシロウとラオウのように、「強敵と書いて友と呼ぶ」仲で、アテルイの降伏と共に、朝廷には田村麻呂が、アテルイの助命嘆願を乞うたのでした。
それでも受け入れられずに、アテルイは処刑。
その8年後に坂上田村麻呂もこの世を去ります。
敵だけれど東北にいた時は、お互いを認め合って武人として理解し合ったようです。
ほんで、(水)にアテルイの首塚に行きましたが、(金)の夜に、私の守護女神さま『クリスタルさん』がメールを下さいました。
『クリスタルさん』は大人の生徒さんで、私の傍に光の存在や、またヘンなもの(災いを起こすかもしれない、影のようなもの)がいる時に、教えて下さいます。
光の存在のいる時は、キラキラと輝いていたり、ファサ~ッと翼を広げたりしているそうで、見惚れるそうです(私にではないョ)。
また、私の周辺で何か異変があると、知らせてくれはるんです。
今まで変なものがおっても、「気のせいかも…」と、遠慮して話されなかったりした後に、私が大怪我したり色々あったので、いつもと違った事があれば、知らせて下さるようになりました。
そして今回、
「レッスン中、私に直径10cmくらいの玉がまとわりついてました。1分くらいで消えました。イヤな感じは受けませんでしたけれど、お知らせまで」
ちょっと歴女な私、「山科やし、もしかして…」と思って地図を調べたら、坂上田村麻呂の墓がほんに近くだったんで、「これかも」と思いました。
いつもは吹田周りで名神に乗って、新名神に入るコースを選択しますが、この日は「第2京阪に乗ってみよう」と何となく思ったのでした。
クリスタルさんが見たのは、もしかしたら…アテルイの魄だったかもしれません。そしてアテルイが山科に寄るようにしたのかもしれません。
ヒプノ氏に言うと、
「ありうるな。
魂魄の魂は天に還るけど、魄は地に還るという。
(水)も、石上行こか瀧原宮行こうとか言うてたし、ほんで、わしらにくっついて、友の所に運ばれたんかもな。
「え~、単に田村麻呂に会いたい、最期の時に会えなかったとかで、何か言っておきたい事があったとか。久しぶりに酒飲もうや、みたいな。
その後、ヒプノ氏の知り合いの結構有名なサイキックな占星術師の方を、ここに案内した時に、「ここに首がある、見える」というてはったそうです。
アテルイかもしれんし、部下のモレかもしれんし、その連なる一族の人がここに葬られたのかもしれません。
ちなみに、昨日聞いてみたら
「一緒に首塚行った事あったか」
そんなヤツどすわ。
別にど~でもええけどな。
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