近視矯正手術は、実は、日本が、一番最初なのです。1939年順天堂大学の佐藤先生が、角膜前後面放射状角膜切開術を考案され、多くの方に施行しました。確かに近視は、減少したのですが、20年後に角膜の後面が濁り見えなくなってしまいました。現在では、角膜後面の内皮細胞は再生せず、傷つけてはいけないと、研修医でも、知っています。しかし、その当時は誰も知らないことでした。佐藤先生は、それを学会に発表し、多くの手術が行われました。最終的には水泡性角膜障害をおこし、角膜移植が必要な症例もありました。そのため、日本では、近視矯正手術はやってはならない手術として、封印されてしまいました。我々も、学生時代からその話を何度も聞かされ、1980年頃まで、アンタッチャブルの時代でした。
一方、海外の反応は違いました。ソ連(今のロシア)のフィヨドロフは、佐藤氏法を改良して角膜の前面だけを切開する角膜前面放射状切開術を考案し、軍隊の入隊前、近視の人は強制的に全員この手術を受けさせられました。つまり、膨大な人体実験が行われたと同じです。それで、この手術の有用性、安全性が見直されたわけです。
この手術はアメリカでも反響を呼び全世界に手術が広まりました。唯一日本だけは、失敗体験を引きずり、眼科医には、受けいれられませんでした。その代わりに、眼科医ではない医師、美容形成の先生などが、放射状角膜切開(RK)を手探りで始めました。もちろん、眼科専門医ではなく、角膜の厚みも測定せずに切開をする医師もいたため、角膜穿孔(角膜に穴があき、眼の中の房水がしみ出る)などの、とんでもない合併症を引き起こし、感染で失明ということもおこりました。
世間や眼科医の大多数は、それ見ろ、だから、近視矯正手術はやってはいけないものだと糾弾したのです。しかも、非眼科医の手術ははメスで切開するだけで、100万円以上の高額でした。
一方、心ある眼科医の中の、これではいけない眼科側が積極的に関わるべきだという主張は、大多数の声にかき消されました。
そうこうしている内に、エキシマレーザーという波長193nmのレーザーが発見されました。これは、非常に鋭敏に物体を切除できるという特性と、遺伝子に影響を与えない唯一のレーザーという理由から、角膜を削るために用いられるようになりました。最初はRKのメス代わりに使用されたのですが、真ん中を直接削れば、定量性が上がるという理由で、コンピューター制御で中央を近視の度数だけ削るPRKという方法が一般的になりました。RKは近視度数を下げることはできましたが、完全な正視にすることは困難で、PRKという方法が完成し、完全な正視、裸眼視力が1.0以上が、あたりまえになったのです。
ただ、PRKは角膜上皮内にある、三叉神経を刺激するため痛みがあり、それほど普及しませんでした。屈折矯正手術が普及するのはLASIKという角膜実質をマイクロケラトームという機械で切断し、フラップをつくり、残りの角膜を削り、近視や遠視や乱視を削り、その後、フラップを戻す方法が主流になりました。この手術の利点は、痛みがないことです。瞬く間に世界を席巻し、海外では毎年1000万人以上の人が手術を受け、日本でも一番多い時には50万人以上の方が手術を受けました。