現在、世界中で眼内レンズの中で、着色眼内レンズは7割のシエアを持っており、紫外線カット透明眼内レンズは徐々に減ってきています。
ここで、声を大に言いたいことは、眼内レンズの開発の中で唯一日本発祥の眼内レンズが着色眼内レンズです。
世界で最初に着色眼内レンズを世にだしたのが、日本のHOYA(㈱でした。私はその開発に携わった一人として、そのころを思い出すと、いろいろなことがあります。
着色眼内レンズの発想は、人の水晶体の透過率曲線にあります。水晶体は最初から、青や紫をカットしています。ですから、人は青の感度が弱いのです。
一方、白内障の手術をすると、全体が白から青っぽく見えます。これは、可視光の短波長がたくさん入るからです。白内障術後,青視症やその反対色の赤視症になることが知られていました。時間が経つと、順応して元の見え方に戻りますが、画家など、色を1万色見分けられる人たちは、いつまでも、色の違和感を感じて、これまでの色使いが変わってしまいます。
印象派のモネも白内障手術前後で色使いが変わりました。途中から戻ったのは、眼鏡に黄色を混ぜた日本人の眼鏡士の存在でした。モネの要望で作られた黄色のサングラスがモネの絵の色を取り戻すきっかけになりました。
その当時は理論的なことはわかりませんでしたが、白内障術後の色視症に対して黄色の眼鏡が色味を整えることが、経験的に知られていました。そこで、着色眼内レンズの開発が始まったのですが、眼鏡でなく、目の中に入れる眼内レンズに黄色の色を付けることは日本中で大反対にあいました。
そのために我々は、白内障術後の眼鏡に黄色の眼鏡をかけさせて、色覚検査、夜間視力、コントラスト感度、グレア難視度などあらゆる検査をして、有水晶体との比較で問題ないことを実証し、多くの学会、原著で発表しました。
でも、学会では非常にたたかれ、なかなか着色眼内レンズは普及しませんでした。
ところが、それから10年ほどたって、海外のIOLメーカーが同様の着色眼内レンズを発表すると、急に日本でも着色眼内レンズが売れ出して、これまで、批判してきた人々が何も言わなくなりました。日本特有の舶来信仰です。
最近は青色をカットすることで、加齢性黄斑変性症のの予防になるとか、網膜色素変性症の患者には、全例着色眼内レンズが必要という考えが定着しましたが、一般的になるまで、15年の歳月がかかりました。