今日、とてもイイ出会いがありました。




母のがん治療で、高額療養費制度というのが申請できるそうで

母と病院へ相談に行きました。



「担当の相談員が来るので待ってください」との事でしばらく待っていると

長い通路の向こうから、両足を引きずり、頑丈そうな杖?(腕からはめるやつ)で

体を左右に大きくゆらしながら歩いてくる方がいました。



その方が「遅くなってごめんなさい」と言って相談員の席にすわりました。

座る作業も自分なりの順序があるのか、ゆっくり巧いこと座ります。





高額医療に該当する人は個人負担の上限(所得によって金額は変わります)から上回った分を

国が負担してくれますので、すでに支払っていても、個人の判断で払い戻しの申請ができます。


 注1:健康保険の未納(滞納・未払いの期間)があると受けられない場合があります。

 注2:自分から申請して利用できるものなので、もし申請しなければ払い戻しはありません。


また、後から払い戻されるとはいっても、まとまった治療費を捻出するのは大変ですので

貸付する制度もあります。


これも申請することによって、

上回っている分を国(市町村)が病院・薬局等へ直接支払ってくれるので

窓口で個人の支払いは上限までで済みます。

(当たり前ですが、後からの払い戻しはありません)



結果、個人負担は同じ事なのですが

後で戻るとはいえ、都度無理して頑張って工面するよりは

はじめから上限までの支払いで済ませるほうが楽かなと思います。

(うちの場合は)



そういう情報、ただ役所にある冊子やネットの文面だけではイマイチ分からず

もしかしたら勘違いして理解しているかもとか、色々不安があったので

相談員の方のお話はとても詳しく分かりやすいもので、大変助かりました。

今の時代、情報なんてどこからでもそこそこ手に入るけど

やっぱ面と向かって話し合うのが良いですね。



聞いてみると、やっぱりズレて解釈していました・・・あせる

母も、ものすごい勢いで食いついて聞いてて、質問攻めの嵐。

大事なことなので母娘そろって必死です。




話は大体まとまり、終わろうとしたとき。


相談員の方が、「外来で高額療養費に当たる人はそうはいないから、

相当高度な治療をなさってるんですね」と。


そこから母も、がん治療をしているという事、今まで病気どころか病院自体に

かかったことがない健康自慢だった事など話しました。


「好きでこの病気になったわけじゃなく、まさかとショックだったのよ~」と

ケラケラ笑いながら・・・。



そして相談員の方は
「私も好きでこの体に生まれてきたわけじゃないけど、幸せだと思うんです」と。


今まで健康体だと信じて疑いもせず生きてきたのに、ある日「末期がんです」て

受け入れるなんて、それは無理! ぜ~ったい無理な話なんです。

それは今までなんとも無かった自分の残像があるんだもの。

私は物心つく歳にはすでに障害あったから、それが普通だったけど

もし今まで健康であった足を明日切断しますって言われたら、そんなの信じられない。


だから頑張ることは無い。


人間、ただ仕事して、ただ生活して、ただ毎日生きている

それだけも「頑張っている」ってことなんだから。


でもやらないといけない事は、ちゃんとやらないといけない。

それは、○○さん(母の名前)にとっては、まず治療をする事です。

頑張らないといって、治療をしなければ、どんどん悪くなって自分自身が大変で辛くなる。

だから、そこはちゃんとやるんです。


あとは、周りの人たちに頼って、甘えて、支えてもらえば良いんです。

そういう人たち、○○さんにはいっぱい居るはずだから。


さっきの様子見てて思ったんだけど、○○さん頑張って我慢してたでしょ?

辛いと言えない。

娘や家族の前でも泣けない。

もし、泣くところを見られたくなければ、トイレで泣いたっていいんです。

お風呂でシャワー出しながら泣いたっていいんです。

でも、そういう姿を家族の前で見せられるようになれば

もっともっと気持ちが楽になるんです。

だから、肩の力抜いて、周りに甘えていいんですよ。


言ってみれば、家族が支えるのは当たり前。

ただ他人だって、理解しようとする人、わかってくれる人、必ず居る!

こちらが何も言わなくても、そういう人は解ってくれるんです。




障害のある人、また病気になった人をアメリカではチャレンジャー(challenger)とは言わない。

ED(過去形)がつくんです。

このチャレンジド(challenged)は、受け身の言葉。

受けさせられているんです。

この病気を与えられて、この苦しみ、この辛さを経験させられている。

はじめは人間なんて不平等だと、なんで自分はこんな体なんだと、悔しかった。

でも、たくさん人間がいる中に、なぜ自分はって考えとき

それは、この試練を乗り越えられる人だから、言い換えれば選ばれたんだと。

そうしたら、人間はそういうところで平等なんだと思うんです。



だから私は生きたい。


母の子供として、この体に生まれて幸せだと

もし、この体でなかったら、私はここで福祉という仕事をしていなかったかも

○○さんとお話することもなく

今の仲間とも出会わず、友達にもならなかったかも

ヘタしたら、人間として生を受けていなかったかもしれない。


だから私は幸せだなぁ。。って、 そして生きたいんです。



障害や病気の人を不幸だと思う人もいるかもしれないけど

冷静に周りをみたら

障害や病気を持っている人の自殺って本当少ないんです。

あんま聞かないじゃないですか。


それって生きたいってこと、幸せと思ってるってことかなって。


これから生きていくのに

病気と仲良くなって、うまく付き合っていく事です。

体が無理してると思ったら、必ず休むこと。

無理しない。

頑張らない。

ちゃんと自分の体のこと、大事にしてください。



相談員の方のお話でした。






隣で母が泣いていた。

私はその顔を見ちゃいけないような気がして、気付かないフリしてしまいました。



母だけでなく、私にも大きな課題です。

泣くということ。

その姿をさらすこと。

お互い全く出来ないまま、今日まで暮らしてきました。


でも、今日母は泣いた。

私の前で。


私は見れなかった。


母はきっとこれから、少しずつでも泣いてくれるかもしれない。


私は?


母の涙から逃げた私のほうが、よっぽど向き合えてない。


でも、家族なんです。

母の娘でいたい。





ちゃんと母が思いっきり遠慮なく泣けるように


不安や苦しみを吐露できるように


イライラした時には、八つ当たりできるように


それくらいの存在にはなりたい。






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