久しぶりの更新です。
太一くんネタではありませんが ![]()
あ、今ガクっときた方は、読まないほうがよろしいかと。
というのは、今回は母のガンについて、、、です。
これまでも何度か書きましたが、母は末期の大腸がんです。
空白の時間が多く、書いてないことも沢山あるので、ざっと経緯を振り返ります。
昨年8月、たまたま受けた健診で、再検査。 血液検査の結果、ガンと判る。
腫瘍マーカーと肝機能系の数値が異常に高く、末期進行がんで肝臓への転移も認められました。
何もしないと、余命半年と宣告。
その日の内に即入院し、がんとの戦いが始まりました。
大腸がんが肥大しすぎたことから、腸閉塞の危険があるため、開腹手術。
巨大なガン(成人女性のコブシほどの大きさ)多数、腹膜播種はお腹全域に無数あり。
取れるところはとったが、あまりにも至るところにありすぎるため、腹膜播種はほとんど残す。
抗がん剤治療が始まる。
一時的に数値は減少するも、また上がりだす。
11月、薬があまり効いていないとの判断で、抗癌剤の種類を変える。
今年1月、CTの血液検査の結果、薬が全く効いてない判断で、また抗癌剤を変える。
3月、薬が効かず、またまた抗癌剤を変える。
4月、リンパ節への転移は否定できず、 の診断。 これって転移してるって意味なんでしょう。
5月、薬が効かず、またまたまた治療を変える。
これは、今一番強い薬で、最後の治療方法だといわれる。
これが効かなかったら、治療中止するかどうかの瀬戸際。
6月、CT&血液検査の結果、効果が認められ、そのまま治療継続となる。
6月23日、痛み止め(モルヒネ)を飲んでいるのに、強烈な痛みを訴える。
6月25日、内臓のどこかに穴が開いて空気が漏れていると診断。 開腹手術。
大腸と小腸の境目に付着したガンが割れ、穴が開いていた。 そこから大便がお腹に流れ出し、洗浄。
ガンはぶにょぶにょしたゼリー状との事だが、イメージとしてはガンが割れたらしい。
穴の部分と一部を切り取り、人口肛門となる。
6月26日、現在集中治療室(ICU)で療養中。
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25日の私。 今となっては虫の知らせだったんでしょう。
お風呂入るのに、初めて携帯を持ち込みました。
なんとなく「防水だし、持っておこう」という気持ちになったので・・・。
風呂入ってる途中、携帯が鳴る。
病院の家族から、「お母さん、お腹に穴が開いてるらしくて、手術しないとあと1日か2日だって・・・」
よく訳も分からぬまま飛び出して、病院へ。
先生のお話。
穴があけば、普通のた打ち回るくらいの痛みだが、たまたま抗癌剤治療でモルヒネを服用していたから気づきにくかったのだろう。
しかし、モルヒネを服用しても感じるほどの痛みとは、かなり相当なものだ。
手術しないと1・2日の命。
しても、体力が無く抗癌剤の治療ができなくなるため、どれくらい持つかはわからない。
でも、もし自分の親だったら手術する。少しでも長く生きて欲しいし、元気になる希望もある。
母本人も同意、それから2時間後くらいに手術が始まりました。
母には言わなかったけど、私たち家族は色々厳しい事言われました。
もしかしたら、この手術入ってそのまま最期になるかもしれないし、出てきても麻酔効いてるうちに、そのまま逝ってしまうかもしれない。
本当に今が最期になる可能性も十分あると。
でもそんなこと言われても、お願いするより他ないし!
とにかく、母のド根性に懸けるしか・・・。
手術室に入っていく母の姿。
もうこの姿が最期になるかもなんて考えたくも無いけど、やっぱり涙が出る・・。
去年の手術入るときは、自分の足で歩いて、「じゃ、ちょっと待っててー」なんて明るく手を振って入ってった母。
たった1年前、同じ場所なのに、こんなにも変わってしまった。
この現実をどう受け止めたらいいのか・・。 あの残像が頭から離れない。
約3時間。
手術は終わりました。
ICUで、まだ全身麻酔のかかった母の顔を見た瞬間。
さすがお母さんだと。
もちろん本人はただ寝てるだけかもしれないけど、先生たちも頑張ってくれて、こうして会える事の喜び。
ただ会える。
これがもう言いようの無いくらい、幸せに感じた。
人工呼吸器をつけ、人工肛門をつけ、バイ菌を流す管を3本もつけ、
体のあちこち管だらけ。
それでもいいんです。 命があって、本当に本当に本当に良かった。
術後、先生のお話。
強い痛み止め(モルヒネ)は胃を荒らすので、同時に胃薬も飲みます。
その胃薬がたまに穴をあける事がある。
今回悪かったのは、お腹に空気が出た事より、大便が流れ出てしまったこと。
大腸菌の塊なので、洗浄はしたが、これから2~3日、バイ菌との戦い。
これが結構大変で山場となる。
まずはバイ菌に勝って、それから自分で呼吸できるようになって、ご飯は食べれるようになって、
そうすれば、家に帰れるかもしれない。
ただ、呼吸は多分できるようになるが、ご飯は食べれるようにならないかもしれない。
点滴で補って、ヘタしたらずっとベッドの上かもしれないとも言われました。
26日、見舞いにいく。
ICUは面会時間に制限があり、家族のみ、2人ずつしか入れない。
午前中は目が覚めないだろうとの話で、もしかしたら2日・3日は痛みを感じさせないために
あえて麻酔を入れながら、眠っててもらうこともあるとの事でしたが、
私たちが行った午後イチの時間に、すでに目が覚めていました。
はじめ、目を閉じてて動かなかったのでまだ寝てると思い、それでも「会いにきたよー」と声かけたら
パチと目を開け、手をグイグイ動かし、何か話しかけてきました。(人工呼吸なので声はでません)
あのときの「待ってたよ会いたいよ」と言わんばかりに、手をバタバタさせた姿がなんか忘れられない。
担当看護師さんの話では、今朝8時くらいには目が覚めていたと。
ずいぶん長い時間起きてたんだね。 すごく心細かっただろうに、本当ごめんね・・。
声でないのに、口動かして、「み・え・る・よ」と一言。
お互いすごくうれしくて、また涙出る。
限られた時間内に、お母さんの顔色良いとか、順調だとか、今日は雨降ってる、今週はずっと雨みたいとか、
今3時だよとか、家のこととか、飼ってる猫のこととか、よく頑張ったね、とか、さすがお母さんだね、とか
どっか痛くないとか、髪切られてるね、丁度切ろうとしてたから良かったんじゃないとか、夜の時間は誰が来るとか、明日も来るよとか、色々話しました。
母はただうなずいて聞いてくれて、目は閉じていますが握った手は軽く握り返したり緩めたり、
耳はとてもしっかりしてる。
時間になり、今日は帰るけど、また明日ねと言ったら
動くのもやっとなのに、目を一生懸命開けて、手を振ってくれました。
部屋をでる瞬間まで、今度は両手で頑張って振ってくれた。
表情もつくれないのに、なんとなく元気な笑顔を見せてくれて
力いっぱい「元気だからね!」というのを見せてくれた。
その姿、私たちに心配かけまいと、元気なんだと、精一杯がんばって、手を振ってみせて
笑ってみせて、こちらが泣けてしまう。
あの姿が、母らしいというか、今でもずーっと覚えています。
こんな大病を患っても、体が動かなくても、心・気持ちがちゃんと支える。
心の力は、本当にすごいパワー持っています。
病気になってからも、母が弱いなんて思った事一度も無い。
むしろ、なんて強いんだろうと。
それを思い知らされるとき、たくさんたくさんありました。
まずはバイ菌だって、お母さんなら負けるはず無い。