まだ幼い頃、叔母の策略により父を罠に嵌められた世孫。
そんな世孫に手を貸してくれたのが、同じ年頃で王宮に仕え始めた、ソンヨンとテスでした。

幼いながらに知恵を絞り世孫を助け、友の誓いをした三人。
けれど、ソンヨンとテスは世孫を狙う一派に襲われ、已む無く都を離れます。

大人になり、3人は再会します。
テスは試験に合格し、世孫の護衛官になれました。
これで世孫に狙う奴らから近くで守れる。と意気込むテス。
ソンヨンはひょんなことから、世孫の妃と知り合いになりました。

テスとソンヨンを宮殿に招いた世孫は、中を案内します。
そこで世孫とソンヨンが二人でいる姿を見た妃は、彼らが、幼い頃に世孫を支えた大切な友だと知ります。
優しく淑やかで賢い妃は、ソンヨンをも大切にしました。

韓国王宮ドラマにありがちの、陰謀渦巻くドロドロストーリーです。
けれどなぜこれほど胸を打つのか。

口八丁の腹黒な『姉妹も同然』と違い、子どもの頃の誓いを直向きに果たそうとするソンヨンとテスに?
それとも、夫を信じ、深く愛している妃の健気さに?
世孫の真摯で純粋な生き方に?

陰謀で父を殺され、祖父には常に厳しくされ続け、祖母とは血が繋がっていないので甘えられない。
大人になったら今度は狙われ続け、休まる暇もない。
そして身近には、信頼して過ごせる相手もいない。
あれだけ色々なことがあれば、とっくに心は折れて粉々でしょうに。





ファーストディだったので映画を観に行きました。

日本映画の巨匠、是枝さん
人気脚本家、坂元裕二さん
そして世界に羽ばたいた音楽家、坂本龍一先生
こちらのお三方が携わった作品が、面白くないわけがない。
(でも是枝作品は、六腑の底から込み上げる重いものがあるんですよね…
人間のいい面悪い面の両方を、鋭く突きつけてくるというか。)


シングルマザー、担任、孫を亡くした校長と3人のストーリーテラーが繋いでいきます。

母親の目線で見れば
「学校側は、校長も担任も不誠実で、誰も信用できない」

担任の目線で見れば
「あれはたまたまぶつかっただけ、怪我は事故で、お母さんの誤解」

校長から見れば
「一人息子を必死に育てる母親も悪くない(多少過干渉気味かもしれないが)。
真面目に指導をしている担任も、全く悪くない」

他の教師から見れば
「シングルだから、よくある愛情過多のモンスター、クレーマーなのだろう」

皆それぞれ、大なり小なりある先入観で物事を見ている。
これまでの経験値から物事を判断している。

起こった事実は一つでも、出来事を見た人・見ていた人、物事の当事者か否か。
母親にとっての正義と、担任が見る正義、校長から見えた正義。
関わり方により、それぞれの見方や感じ取り方が違う。
そして、当事者が真実を語るとは限らない。

物語に余韻が残ります。
そしてエンディングに流れる坂本先生の美しい音楽にも。
スタンディングオベーションをしたいくらいです。👏

★ 映画【怪物】を観るときのアドバイス ★
これから観られる方は『怪物』探しはせず、単純に流れだけに刮目してください。

『怪物』を探そうとして観ると、物語の本質が頭に入らない。
あちこちに見落としも出てしまいます。



余談ですが、老人も若者も子どもも他人を押し退けて前進しようとしますが
「すみません(そちらに行きたい、そこから出たい等)。」
の一言すら、言えないのでしょうか

映画館では端の席(または真ん中の最前列)を選ぶのですが、開演前に4組の人が目の前を通りましたが、一言断り頭まで下げて通過したのは若いカップルだけでした。💧





今更ですが、【リトル・マーメイド】を初めて観ました。

初めて観たのに、聞き覚えのある歌。
なぜ………?
あぁ
Disney seaで耳にしたからか〜
一人で首をひねり、一人で納得。笑
ディズニーなのでこちらの最後は、王子様と人魚姫はハッピーエンドです。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン原作の【人魚姫】とは違います。


〜【人魚姫】アンデルセン作 〜

父上から禁止されていましたが、地上に憧れる人魚姫はこっそり覗きに行きます。
海面から覗いたそこでは、船上パーティーが行われていました。
楽しいパーティーの最中、船が沈没してしまいます。
沈没した船から救い出した王子様に一目惚れをした人魚姫。

どうしても王子様に会いたい人魚姫は、海の底の底にいる魔女から、仮に人間になれる薬をもらいます。
薬の対価は「お前の美しい声」
そして人間になる条件は「王子がお前を愛すること」
もし王子が別の女性と結婚をしたら、泡となって消える、と。

仮の人間になり、なんとか王子様に会えた人魚姫。
幸せな日を過ごしましたが、そこに他国のお姫様が現れます。
沈没から自分を助けた人が人魚姫だと知らない王子様。
お姫様がその人だと勘違いをして、お姫様との結婚を決めました。

このままではかわいい末妹が泡になってしまう。
慌てた人魚姫の姉たちは、それぞれの大切なものを魔女に差し出し、末妹が唯一助かる方法を受け取ります。
それは、「結婚式の前に王子をこのナイフで殺すこと」

姉にナイフを渡され、王子をこのナイフで刺し、今までと同じように海の中で楽しく暮らそう。
と海の中に帰る選択を迫られる人魚姫ですが、愛する王子様のことは殺せませんでした。

朝になり日が昇り、海の泡となった人魚姫は王子様の幸せを願いながら空気に溶けていくのです。

〜 おしまい 〜

大切な声(歌う、話すなど、人魚姫が好きなことをするために必要だった)を対価にしても会いたかった王子様。
けれど王子は、自分以外の人を選んだ。

自分が助かるために王子を殺すことはできない。
自分が生き延びることより、愛する人の幸福を選ぶ。

まさに『愛』の教科書ですね。





自己肯定感が低い等、他人に言われる筋合いはないのでは。?

ネットという、便利で不便なものが普及され、良くも悪くもあらゆる情報が簡単に調べられるようになった昨今です。
そしてやたらとネット記事に上がる「自己肯定感」

しかし普段、常日頃から「私は自己肯定感が低いから」と思っている、感じている方はいらっしゃるのかしら?
否。と思う。
誰もそんなことは考えてはいない。(はず。。)

頭にあるのは
今日のお昼は何にしよう?おやつは何を食べよう?
帰ったら何をしようかな~?今度のお休みはどこに行こうかな?
そんなところです。

真に自己肯定感が高いひとは、たぶん「他人は他人、自分は自分」がはっきり区分けできている。
「自分以外のこと(人に多大な迷惑を掛けたり、意地悪をしない範囲で)はどうでもいい。」のではないかしら、、?
だから他人に「自己肯定感が低いね」とは言わないような気がします。


というのも、今は「わたしが『私』を好き」だと思えるからかもしれません。🥰





「あのひと変わっているよね」とは、どこにいても、どんな集まりの中でも、高確率でほぼ耳にする言葉ですよね。

でも。
生まれた場所が違い、育てた方の考え方も違えば環境も違う。
更にそこに、本人の持って生まれた性質というものも加われば、そりゃあ皆それぞれ違って当たり前。

みんな違って みんないい。
金子みすゞさんでしたか。


それぞれの『個性の強弱』による『風変わりな人』はいるのでしょうが、「変わっている人」というのは、存在しないのかも。?

なぜなら私から見たら、一人に一つは必ず不思議なところや個性が強めのところがある。
そしてそんな私のことを、同じように感じている人がいますから。笑