太古、男は外敵から集落や家族を守り、狩猟をし、木を倒し田畑を耕し、住まいを造り、食料を運んできた。

女はコミュニケーションを取りながら周囲と上手くやり、子を産み育て、食事や服を作りながら留守を守った。

外に7人の敵がいる男と、家でそれを癒やす女。
夫が戦場(働き)に行き妻がお家を守るので、妻には敵が少なく、心にもゆとりがある。
心にゆとりがあれば、子も産みやすく、家事や炊事はもちろんのこと、躾にも手が回る。

今では女も狩り(働き)に出なければならないので、女にも7人の敵がいる。
男女ともに疲弊しているので、自分のことだけで精一杯な人間が増えた。
皆余裕がなくどこかピリピリしていて、誰しもが癒されたい。


ジェンダーレス、男女平等と言われていますが
子宮がない男性に子が産めないように、骨格から違う男性には、力や体力面ではどう頑張っても敵いません。
また女性が持つ柔らかさやコミュニケーション力は、男性には持ち得ないところ。

必要以上に何でもかんでも「平等」「平等」と、さも良いことかのように「平等」を主張せず
持って生まれた『性』、『男性らしさ』『女性らしさ』に刮目してもいいのでは?
と思わずにはいられません