なつかしの通学経路
整形外科へ行く際、たまたま経路が一致しているので、かつて通ってた小学校への登校道を歩いてみた。
小学校は豊中駅近くの実家からは1キロくらい離れた隣駅にあり、集団登校制だったので、デンシャでの通学は禁止されていたゆえ、当時は「一駅分は遠いなあ~!」と思いながら通っていたが、オジンとなった今歩いてみるとそれほどでもなく、「え゛っ?もうここまで来たの?」てな感じだったし、割と広いと思うていた道路も、今の大人目線でみれば自動車のすれ違いに苦労しそうなやや狭い道路だ。
また、薄汚れてたコンクリの公団住宅はなくなって、全く新しいきれいなマンションになってたり、店頭にLPガスボンベ並べてプラッシー売っていたお米屋はシャッターが降りてたり、たばこ屋は細々とやってるだけであったが、公園はそのままだった。

伊丹へ行く道路沿いにある小学校校門へ入る前に歩道橋を渡るんだが、ココから六甲山を眺めた風景はガキの頃とそんなに変わらない。ソコ降りて数歩行った所にある小学校ご用達の文房具ヤさんは、ファイルボックスやガムテ-プ類が店頭安売り状態で売られていたり、ガキん頃には売ってなかった認印がまるでメインで売られてるかの如く売られてたりしてて、ご多分に洩れず経営が苦しそうな状態だった。

小学校自体はプールや銅像、遊具の位置など、外にある施設の配置はかなり変わっているが、校舎自体は戦前からあった1棟が取り壊されただけで、その他は卒業した時と全然変わっていない。
あれから38年以上も経つけれども、オレの興味や感性や発想はあの時とあんまし変わっていないな・・・。
東日本大震災三回忌 東北復興支援 護国寺「祈り」
10日の日曜、東京の護国寺にて開催された東北復興支援イベントへ行ってきました。
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地下鉄護国寺駅にて、かつての東京時代の仲間と合流、まずは仁王門から本堂までの参道に出てる出店で、牡蠣やホタテ、米沢牛煮込みなどの東北フードに舌鼓を打ち、午後2時30分からは本堂で追悼供養。とは言ってもお経をあげるのではなく、バイオリンや琵琶、三味線、踊りなどによる音楽追悼でありました。

4時からの本堂前の追悼コンサートでは、私の大好きなギタリスト・山本恭司氏をはじめ、津軽三味線&打楽器ユニットの天地人、実際に被災されたミュージシャン、民族舞踊団、地歌舞等の方々の素晴らしき演奏や踊りが披露されました。
被災した悲劇をものともせず前向きに生きる・・・、いやそれどころか、パワフルな演奏かつ違ったジャンルをミックスさせた新たな音楽のコラボレーションをも感じさせました。
また、2人のチベット僧による追悼のお経、ダニエル・カール氏の山形弁による、東北の食物産購入促進PR演説、日本講談協会会長の講談もあって、たのしいコンサートでありました。
最後は雲漢というテーマミュージックで、観客総立ちでノりまくってお開きとなり、締めは本堂屋根に映し出されたデジタル掛け軸の演出でフィナーレとなりました。
その後は、昼に食いそびれた東北フードで腹を満たして晩飯代わりとし、被災地の仮設住宅にて製作されたランチョンマットをおみやげにしました。
いやあ、東北は東京横浜時代に何度も訪れた地だけあって、また行きたくなりましたよ。
今回は宿泊する事なく、新幹線での日帰り往復でややハードだったが、このイベントの為だけに上京した価値はあったものと感じています!

JUST SAY FU●K NO !
鉄道マニアがイベント会場で親子連れ相手に喧嘩 母親は「子どもを返して!」と土下座(動画)
http://news.ameba.jp/20130224-92/
本日は第2○回めの失恋記念日とあって、それ関連の日記を書くつもりであったが、友人のmixiつぶやきにて鉄道関連の非常に悲しき情けなきニュースを知ったので、オレも鉄ゆえ予定変更してそれに関する日記を綴る。
さてこの動画、3年位前のものらしいが、母親が泣きながら撮り鉄ヲタに土下座して「子供を返して下さい。」と言うてるって事は、この子たち、余程コイツに無礼な事をしたんだろうか?いや、子供だから、おそらくカメラの前を遮ったとか、そんな類のしょうもねぇ事だろう。もしそうなら「ちょっとキミ、おっちゃん写真撮るから、前どいてくれるかなぁ?」と優しく言えばいいだろう。
警備員と警官に取り押さえられて、「なんで僕だけなんですか?」「僕手出したわけでもないですし!」とかなんとかわめいているがおまえ、自分が人様に対してどんな悪態をついたのかがわかっとんのか?鉄道のイベントは鉄だけではなく、みんなが楽しみに来る会場なんだぜ?全くFU●KIN‘な野郎だゼ!
どーせこんな奴らは、撮ったフォトで個展開いたり、写真展へ出品して情報発信するワケでもなく、おそらく自宅でウヒヒ・・・と見つめてるだけなんだろうよ。程度低いねー!
そんなん、オレがやってる週刊誌の越痴グラビアスクラップ&ファイルとそんなに変わらんばい。
何の車輌を撮りたかったのかはワカラんが、写真はたくさんの書籍や雑誌であほほど掲載されてるし、ネットでも見れるだろう。古い書籍やもうなくなってしまった車輛ん事は、大阪の交通科学博物館や埼玉の鉄道博物館内にある、鉄道図書館で調べるという手もある。
オレも過去、鉄道イベントや走行写真を撮った事も多かったが、どちらかと言えば模型鉄、旅鉄なんで、写真のほうは記録や記念を残す程度で、そんなにのめり込んでいなかった。
空地と間違えて農家の田んぼに入ってしまったりした事はあったが、ましてや暴力をふるったり、罵声浴びせたり、木を切ったり、人を押しのけたりなどはしていない。
歴史がある趣味にも関らず鉄道趣味が蔑まれているのは、おそらく、大半の鉄野郎共が自己満足や趣味人同士の枠ん中に留まり、マナーアップを含んだ趣味の質を向上させたり、世の中の人々に鉄道趣味のPRなどの発信をして来なかったせいもあると思われる。
この辺、歴史が浅く、不良と呼ばれてたロックミュージックが、多くのバンドやミュージシャンたちによる積極的なマナーアップの向上や、人々へPRされて来たのと違っている。
最後に過去、オレが撮った鉄道写真の一部を3枚公開しておく。
SLは鷹取工場でのイベント(1988年)、海辺走る電車は23年前高松金刀比羅電鉄志度線(1990年)、チンチン電車は22年前の東急世田谷線(1991年)。
やはり永久保存は難しいか・・・
さよなら「D51」 地域住民がお別れ会 葵区・城北公園
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130222-00000014-at_s-l22
SLが(イベント等の展示運転を除く)鉄路を走らなくなってから、もうかれこれ38年位が経つんやけど、引退してからも各地の公園で保存されるものも多かった。
アタマのおかしい極悪エセ鉄が部品盗んだり、落書きしたり、また、おそらく管理方法がわからないからか見事な放置プレイで、見るも無残な姿になってるものも多い。
中にはこのように定期的に整備していたにも関わらず、もうこれ以上維持出来ないという理由で解体処分される機関車もある。
この記事から察するに、このD51は鉄路のみならず、保存されてからもキチンと貢献してきたわけだな!
さすが、日本一有名な機関車だぜェー!
鉄道をメインの趣味にならしめさせた本
この写真集“蒸気機関車に敬礼”は、小学校2年の終わり頃、2番目か3番目の趣味であった鉄をメインの趣味とさせた本である。~因みに当時の一番目の趣味はクルマ。~
それまでも、電車をはじめ鉄道には興味はあったが、SLにはそんなに興味はなく、当時そろそろ廃止になりそうだというハナシを聞いても「ふう~ん、もうなくなるんか、さびしいなー。でも、煙吐いたり、走ってる時は運転士がずっとえっさほっさと石炭くべてんとあかんのやから、しゃあないな。」くらいにしか思っていなかった。
この本くれたのは、母親だったかおばあちゃんだったか忘れたが、パラパラとページめくっていくうちに、徐々にSLの魅力にハマッて行った。
すなわち、磨き上げられたお召し列車牽引機の美しさはもとより、黒煙吐きながら雪と闘い走る機関車の力強さや、3つの大車輪を廻しながら疾走する機関車のフォトに、すっかりノックアウトされたのだ。
反面、嫌いなSLには“マヌケトンマ”や“海に落ちろ”とかの落書きをしていたし、只でさえ何度も何度も食い入るようにして見ていたので、あちこちに折り目や傷が入ってしまい、かなり傷んでいた。あげくの果てに約5年前、実家の部屋の割り振りを変えた際になくなってしまったのであった。
されども俺的には記念すべき本であり、仮に出て来たとしても傷んでるんで、やっぱしきれいな状態のが欲しいのが1つ、また住んでる場所用と実家用にそれぞれ1冊ずつ置いたらエエヤロ、て思ったので再度買った!
今度はもっと大事に見るだろうよ!









