ここ4年老いた両親と同居し沢山の年寄りを見て、今年認知症の父を看取り、父から解放され気が休まる一方で気が抜けた母を元気づけるなどして、理屈抜きにアランの幸福論の正しさを実感。幸せは徳であり義務である。機嫌良く暮らすべし。意志し努力し行動する楽観主義が大切。中村天風の怒らず・恐れず・悲しまずもそれだ。
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機嫌の悪い人は不幸でそれを他者のせいにする。常に文句や悪口を言い嫉妬したり意地悪をする。父の場合は、自分の機嫌を良くすることを常に優先し母を振り回してきた。うまくやり過ごしてきた母だが、父の認知症が進行し介護を要するようになって鬱になり自らも機嫌の悪い人に。私の課題は元の母に戻すことで成果出て来た。
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入院病棟の後期高齢者たちの様子は印象的だった。機嫌の良い人と悪い人に、オンかオフみたいに分かれる。それが死を前にしてもそうであったり、認知症であってもそうであることは深い。人とはその人の考えであり性格とは考えの習慣であることが明白だ。そこから東京での人間関係を振り返るといろんなことに気づかされる。
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私が都心の仕事中心の一人暮らしから一転、別荘地で介護同居したことについて、事実そのままを報告しても反応が人により180度違う。たとえば大変なことを機嫌の悪い人は悪く受け止めて、私も大変なことで機嫌が悪いだろうと決めつける。機嫌の良い人は大変なことでも意義や楽しみを見つけて私が機嫌良くやってると分る。
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放射能汚染の拡散被害や、予測されるTPPによるアメリカ属国化の可能性についても、事実や可能性を伝えた際の反応が人により180度違う。大変なことを機嫌の悪い人は悪く受け止めて、私も大変なことで機嫌が悪いだろうと決めつける。機嫌の良い人は大変なことだからこそ対応を工夫すべく私が機嫌良くやっていると分る。