(アイデアではありません。
 公私の多忙でアイデア記事の更新が滞っていてすみません。
 更新再開は秋になりそうです。m(_ _ )m )



いちおうコミュニケーションや意思決定の促進支援をすることを生業とする者として、衆院選直前の現状況について述べておきたいことがあって整理した。
以下(1)~(6)。

(1)
マスコミの報道基調は、自民/民主のマニフェスト比較に向かっているが、
このこと自体が「アジェンダ=論題のセッティング」というコミュニケーション戦略の成果である。
これは、自民党側のマスメディア誘導策であり、おそらくは麻生首相肝いりでできた「安心社会実現会議」、その座長である電通最高顧問の総指揮によるものと思われる。
マスメディア各社の現場社員には反自民の者も多く、民主支援の論調も色濃い。しかし、「アジェンダ・セッティング」については容易に誘導されるため、その議論は自民/民主のマニフェスト比較においてなされることになっていく。

(2)
こう指摘したところで、そのどこか悪いのか?という思いがすでにあるだろう。
しかし、今回の民主の主張の本質は、「政治の抜本的なパラダイム転換」なのだ。
ただ、これを具体的かつ魅力的にうまく国民に説明することが、なかなか容易なことではない。民主はその努力を全うして成果をマニフェストに盛り込めないまま、マニフェスト競争に突入してしまった。
ただ私は、すべてをマニフェストに盛り込む必要はないと考えている。

そもそも多くの国民は感情なりフィーリングで投票をしている。
マニフェスト比較を冷静にするとしても、そうしたオープンデータの比較で判断をすればいいという思いそのものが自覚的ではなく、問われても答えは、きっとその筈だ、みんながそうしているからというものだろう。

マニフェストはレストランのメニューである。
いま誰もがメニューを比較してレストランを選ぶ、ということさせられようとしている。
しかしどうだろう、みなさんはレストランを選ぶ時、もっと全体的なことや目に見えないこと、理屈では割り切れないことを総合して選んではいまいか。

マニフェスト比較ができるようになったということは、店に入る前に入り口前のショーケースでメニューを確認できるようになった、というだけのことである。

(3)
パラダイムとは「考え方の基本的な枠組み」である。
それには意識のパラダイムと、無意識のパラダイムがある。
そしてほとんどの構造的な問題の本質は、無意識のパラダイムにある。
だから、旧来パラダイムの問題性を批判して、新規パラダイムの理想性を分かりやすく説明するには、まず私たちが無自覚的でいる無意識のパラダイムの問題性を露にしてみせ、その具体的な転換とその結果の理想性を魅力的に意識化しなくてはならない。

その際、「物語」という手法が用いられる。
「物語」は、象徴的な問題を示しその解消の納得的なシナリオと共感的な結末だけを語る。それは現象全体の中核であればそれに越したことはないが、周辺の部分的な事柄であっても良い。
それ以外は省いて、むしろ「物語」を聴いた人々それぞれに主体的に全体についての自作物語を想起し紡いでもらう効果を狙うものだ。
つまり、全てを解説するパンフレットやメニューやショーケースと真逆の位置にあるコミュニケーション戦略要素なのである。

民主はこの「物語」づくりについて努力をまっとうし確かな成果に仕上げることがいまだできていない。
そして、私たちが実生活でレストラン選びで総合的な決断をしているのも、レストランの物語比較によってなのである。

(4)
たとえば荒削りだがこんな一つの「物語」を語ってみよう。



世界金融危機で100年に一度の未曾有の事態にあるという。
そこで将来に向けて日本が大きな転換を迫られている。
ところが、日本社会には100年以上変わっていない問題含みの組織がある。
それは官僚機構だ。

敗戦まで、官僚は「天皇の官僚」という位置づけだった。天皇の配下であるから、政治家より強い存在だった。ただ、華族制度の元、貴族院がありそこに天皇の力が及んでいたから、政治家が官僚に歩み寄ったり、官僚が政治家に歩み寄ったりという力関係になっていた。当たり前のことだが、陸海軍も官僚機構であり、「天皇の軍隊」という位置づけだった。

それが敗戦して、マッカーサーの占領政策のもと、天皇は象徴として政治権力を失う形で温存された。
内務省が解体され、二度と戦争を画策させず、かつアメリカの操作しやすい官僚機構に再編された。
よくアメリカ人の理想主義の良い面が日本国憲法に現れたという論調があるが、私にはにわかには信じられない。なぜなら、アメリカ人が理想と疑わないのは自国の政治制度であるのに、なぜ官僚機構に関してアメリカの公正性を取り入れなかったか、ということがあるからだ。それは天皇を象徴として温存したように、そのままにした方が操作しやすかったからではないか。

その象徴が、アメリカの場合、大統領が変わるたびに官僚機構の幹部人事が刷新されるという制度だ。日本だって、たとえば政府与党が入れ替わるたびに官僚機構の幹部人事を刷新する制度にしても良かった筈なのだ。

そして重要な報告書をすべて公文書として残すことを徹底すれば、不正は入れ替わった幹部と政府閣僚に発覚するから抑止できるようになる。これは、昔江戸の町を北町奉行所と南町奉行所の回り持ちで治めた知恵でもある。
今、世間で国会議員の「世襲制」が問題になっているが、日本の最大の世襲制は官僚機構なのである。省利省益が不正も含めて脈々と温存されてきていて、これを自浄する仕掛けを欠いている。
「世襲」というと血統を思いがちだが、日本の世襲制は「家」や「名」が主軸で養子縁組による襲名など核心的知識と関係的利権の継承を目的とするものだ。
敗戦までは、「天皇の官僚」には不正を自重させる天皇という重しがあり、貴族院の華族政治家の抑えもきいた。ところが戦後は、これらがなくなってしまい、その位置にアメリカ大統領や在日米軍や商務省などが納まった、と考えれば分かりやすい。日本の官僚はアメリカという外圧を利用して政治家に有無を言わせぬ対応を迫ってきたことは周知のことである。

戦後政治は、ほぼ自民党政治できた。
それはこのような官僚機構と自民党の合作によるものだ。
いったんこれを根こそぎにして官僚機構を抜本的に改革しなければ、日本の将来は今までの延長でいくことになる。
本当のアジェンダ=論点は「それで良いのか?」ということだ。

(5)
以上の「物語」はマニフェストに盛り込んで解説するものではない。
まったく別の媒体とチャネルで普及すべき思潮である。
こうした思潮が流布すると、「アジェンダ・セッティング」が変容する。
マニフェスト比較競争それ自体についての見方も変わってくる。

目下、「自民党と霞ヶ関の政官癒着体制」は、民主党の政策に財源の裏付けがないと批判する。民主党は、「従来の予算枠組み」を前提にしていては無駄使いの削減には限界があると反論する、という展開になっている。
ここで民主党は国民に、「従来の予算枠組み」と「新しい予算枠組み」の明快なるパラダイムの対照を示さなければならないが、それができていないでいる。
ために、政府与党とマスコミに誘導されるままに「従来の予算枠組み」の各論での数字論でのみ反論する形になっている。
結果、官僚機構との合作で行政の無駄を排する努力を怠ってきた自民党が、大胆な無駄使い削減を目指す民主党を批判するのが、あたかも良識であるかのような印象を与えつつある。

(6)
それでも、今回は自民党もおそらくそのコミュニケーション戦略を練るストラテジストたちは衆院選敗北を予測していて、すでに早期の政権回復のシナリオを描いているのだと思う。
(私は宮崎県知事や全国知事会の動きを見ていて、かつて野党に下っていた自民党と、連立与党を離脱した社会党をくっつけた村山自社さ内閣を樹立させた魁(さきがけ)の動きを思い出した。あれが水平軸の野合だったとすれば、中央と地方による垂直軸の野合に思えたからだ。地方に人材が欲しいという主張は、中央官僚の受け皿を都道府県なり道州が用意するというサインに見えた。)

衆院選敗退後は、ふだんは積極的に協力しあわない各省庁の官僚勢力が一致協力して、「新しい予算枠組み」は非現実的だ不可能だ、といって陰に陽に抵抗するだろう。
「自民党と霞ヶ関の政官癒着体制」のストラテジストは、ここを主戦場に想定しているのではなかろうか。
「新しい予算枠組み」は、「新しい枠組みの官僚体制」によって理想的に構築され実施される。「従来の枠組みの官僚体制」は必死で抵抗するし、それでは「新しい予算枠組み」の効果的な実施も難航する。

「天下りの一掃」は、財源問題との絡みで、特殊法人やそれによる随意契約など無駄使いの削減に焦点が当てられている。
しかし、官僚勢力にとってどんな形でもいいから「天下りの確保」を果たすことが、その勢力が一枚岩になっている要である、という点が重要だ。
「天下りの一掃」が実現すれば、いずれ天下るために自分の属する省庁の利益を優先して長期政権与党である自民党に日和っていた官僚がどんどんほどけていく。
理想的には、官僚トップの事務次官についての人事権が政権与党にあるようになれば、いいと私は思っている。

私が民主党のストラテジストならば、
「官僚機構改革のステップ」を明示する。
そして「天下りの一掃」と「事務次官についての人事権が政権与党にもたせる機構改革」をメインに打ち出す。
それにより、一枚岩の官僚勢力を、有志官僚の政策方向性でほどけさせることができ、政治家と官僚とのコミュニケーションの質が変わると国民に説明する。

政策方向性で一致する政治家と官僚が知識と情報を共有するようになる。これまでは利権調整をテーマに自民党だけが政官の幹部同士でやっていたことを、様々な行政テーマでどの政党も野党であっても有志同士でできるようになる。

その際、政治家が、それぞれのこだわり行政テーマで有志官僚と有志企業人や市民活動家や各種専門家などの交流をコーディネーションするような役割を果たしながら、自らの政治的な支援者協力者としていくことを期待する。
政治家がこだわる行政テーマとは、選挙民のニーズのその政治家なりの捉え方ということだ。
国民のニーズに基づいて、既知と未知の知識と情報の組み立て直しを構想し、政策化し実現するのが政治家であり、有志官僚と有志企業人や市民活動家や各種専門家などの交流を組織してこれに邁進するのが理想の姿ではないか。