まったく、自分の書いてきたものを読むと、矛盾だらけだ。

でも、それも当然のことで、要するに私は常に自分の存在の無意味さを感じながらも

その無意味な中で満たされた気持ちになりたい、そういうこと。

今の課題は、いまだに無意味さに対して嫌な気持ちになってしまうのを

どうやってなくしていくかってことだな。

私って存在が皆等しく無意味だってことはもう十分考えた結論だし、

きっと誰が考えても行き着くところは同じだと思う。

それでも周りの人たちと関わる中で、優しさに触れたり笑いがあったりぶつかったりすると

私の意識にこびりついた、世界への嫌悪感が薄らいでいくし、

周りの存在感が羨ましくなったりする。

たぶん、今の私にとって大事なのはそういうふうに好意や羨望を持つことなんだろう。


そんなふうにだんだん分かってきたこともある。

けど、実際の人間関係となると全く成長してなくて、

気づかぬうちに人の輪が広がっていたり、自分に近づきすぎる存在が現れると、

どうしても、ありがたいとは思えず、嫌悪感が勝る。

結果的に、自ら関係を投げ出す。

今だって、結構たくさんの人との関係を放棄してる真っ最中だし。


私の基本には世界に対する嫌悪感がどうしてもある。

街を歩いていても、全て嘘の塊に見えて、その嘘の中で平気で暮らしてる人たち

全員が嫌悪の対象になる。街並みすら、とても相容れるものではない。

私は確かにここに暮らしているけど完全に周りとは異質の存在であるように感じる。

それは別に自分だけが崇高であるとか、そういうんじゃなく、

ただ単に異質であるって強く思うだけ。

そう思うから故に、嫌悪感が募るってこと。

それは異質な存在であることの孤独感ともいえるかな。

そんな憂鬱な思いによって、私って存在と他の存在の境界がはっきり引かれてしまって

否が応にも私っていうバリアができてしまう。

そんなふうに生まれてしまったバリアをどうにもコントロールできないから

むしゃくしゃするし、バリアがなかったところでそこに溶け込んでいけるとは思えないから

さらに嫌気が増す。


そんな日常のなかで私が今まで傍目普通に生きてこれたのは、

そんなこと考える暇のないくらい忙しく働くって生活が片方にあったから。

そうやって身体を動かして自分の手で食材に触ってものを作って声を出して

一緒に働いてる人たちと時間を共有していると、

生きていくことに疑問を挟む余地がなくなってくる。

それは、考えることを諦めるからそんな余地もなくなるとかいう消極的な意味でなく、

積極的に、生きていることの楽しさを感じる。

それが何でなのか、もっと、考えないといけない。言葉にしないといけない。


それともう一つ、度々旅行に行ってきたことも大きい。

私はこの四年間でいろんなところに行った。

国内も海外も、長期短期で、けっこう周った。

何で日常から離れたところに身をおきたくなるのか、その理由は良く分からなくて

単純に好きだからってことで納得してたけど、

この前金沢に行ってみて、一人でぶらぶら歩いていて、

そういう時の私は、私ってことをほとんど意識してないってことに気づいた。

歩くときは、道に迷わない程度に意思を働かせてはいるけど、それ以上には

自身の意思を意識しないし、誰も知ってる人がいないから自分をむやみに

アピールする必要もない。

私って存在の境界線が薄くなって、ちょっとアメーバみたく柔軟で溶けてもいける、

そんなふうになってる気がした。知らない場所だからこそ盾持つことなく、

私も場所も人も等しく緩やかに繋がっている、そんな感覚になった。

旅行に行くと、特に一人で行くと、そうやって私を解放できるみたい。

繋がってる感覚のまま、私の一部がいつの間にかその場所に溶け出してそのまま帰ってくる。

私は今までに、けっこういろんなところに私を置いてきてるみたいだ。

たまに解放して置いてくることで、いつもの場所で過ごしてるうちにきつきつになった

私のバランスをとってるんだろう。

だからなんとか今もやっていけてる。


だんだん、自分のことを説明できるようになってきた。

それでもまだまだ、うまく論理的に説明できないことはたくさん残ってる。

やっぱり私は人を大事にできない。

自分から、守ろうと思わない。

私の周りには、一匹狼みたいな人もたくさんいるけど、

それでもみんな、大切にすべき存在はちゃんと自分の力で守っている。

私にはそれができない。大切にすべき存在も見極められない。

見極める前に、嫌悪が先にたってしまう。

どうしてだろう。

そして、そんななのに、私の中には唯一の現実と思える思いがある。

全てが嘘くさく思えても、私の中にあるその思いだけは本当にあるって思える。

その思いが自分にとってどんな意味を持つのか、その思いは抱えているだけでいいのか、

なにか思いに沿って行動すべきなのか、よく分からない。

行動して状況が実際に変わった途端に、思いの対象も嘘と嫌悪の対象になってしまう気がする。

そうなってしまったら、私には現実と呼べるものがなくなっちゃう。

それってどういうことなんだろう。

その辺はまだ考え中。


考えるべきことはまだまだたくさんある。

でも座ってじっとしていても、わりと考えは進まないものだから、

とりあえず明日はまた、起きてからえんに行くまでに、

眠い頭で世界への嫌悪感を募らせながら考えよう。