半年振りに六本木の森美術館へ行ってきた。

六本木ヒルズ、前に行った時は割りと好きだったんだけど、

今回はなんか存在感ありすぎて重々しく感じた。

上に向かうに従って太くなってるからかな。

圧迫感があるんだよね。


まあそんな不満はさておき、今回はダヴィンチのレスター手稿が目的。

特に詳しく知っていたわけではなかったけど、いやダヴィンチ天才だよ、と

間抜けな感想を心から言ってしまうほど衝撃的だった。

まず一番は、やっぱり手書きの原稿を間近で見られたこと。

絵や彫刻と違って、一つの作品として隙なく完成させることを意識してない手稿は

ダヴィンチがその紙に向かって書いていた姿とか思考の進み方だとか、

どうやってその紙が書かれていったかっていう情景が浮かびやすくて、

手稿を目の前に、その書き手であるダヴィンチの存在を濃く感じた。

字や、ラフ(だけど正確)なスケッチは、完成された芸術品とは違う存在感を出していた。


そしてもう一つには、観察の入念さ。

ダヴィンチが自然や人間をよく観察したことは知っていたけど、

実際にその内容とスケッチを見て圧倒された。

流れている水の動きなんてそう簡単に捕らえられるものじゃないのに

どのように渦ができるか、場所によって水の流れ方がどう違うのか、かかる力はどの程度なのか

そんなことまで事細かに描いて書いてる。


あとは、水に対する執着心とそこから派生していく思考の広さ。

ものすごい執着。なにかっていうと水水水。

だけど、そこから、水が山から海に、そして海底に、再び山の頂に、

その途中には水は蒸発し循環する、さらに大気の色は水と密接に関わっている、

そういうことを、地球が球体だってことが徐々に広まりつつあったこの時代に考えていた。

科学は、世界のあらゆるつながりよりも一つ一つの性質に焦点を当てることが重要で

そのために全体的な視野を失って今いろんな弊害が生まれてきてるわけだけど、

当時ダヴィンチは、科学的思考を経て、地球が、さらには宇宙が一つに繋がっていることを

考えていたわけで、その考え方は、雲は雲水は水って捕らえる中世以前の考え方よりも

よっぽど世界の繋がりを意識した視野を持っていたんじゃないかと思った。

いつの間に、科学は命の繋がりを考えることを捨てちゃったんだろう。


ダヴィンチの後、53階に上がって杉本博司展へ。

昨日たまたま、四国直島の護王神社の記事を雑誌で読み返してたんだけど、

偶然にもその神社の設計をした人が、この杉本さんなのでした。

全く気づかなかった。

もとは写真やってる人だったのね。

いろいろまた考えて、頭がぐるぐる回ってた。

刺激受けました。

その辺のことはここに書くとなんかイメージとズレてく気がするから、別に書こう。


そして今日も本に散財してしまったのでした。

お金もないし、本しまう場所もないっつーの。