『ヒトラー ~最後の12日間~』を見に行った。

平日の昼だし、そんなに大々的に宣伝してるわけでもないから混んでることなんて考えてなかったのに、

予想外の混みようで驚いた。前から2番目の列で見たのなんて久しぶりだ。


反感を買うかもしれないけど正直に言ってしまうと、

私はヒトラーに対して憎みきれない印象を持ってしまった。

ときおり身内に向ける笑顔はもとより、怒鳴り散らす姿、

ぎりぎりまで攻められてもなお勝つため、そして自分の理想を追求するために

なにも見えなくなっている病的な目。

そこに、逆にヒトラーも人間だったことを感じた。


だからイスラエル紙が、”ドイツはユダヤ人大虐殺の歴史を取り繕い美化している”と

この映画を批評しているのも、頷ける。


確かにヒトラーは人間だった。

でも、人間としての幸福は完全に忘れてしまっていた。


「国民は、今となってはクズばかり残っている。生き残ったところで彼らに価値はない。

 怪我をしようが、死のうが、私には関係ない。

 そしてナチについてくることを、こちらは国民に強制してない。

 今苦しんでいる者は自業自得だ」


この人の頭の中には一体何があったのだろう。

強靭な国家、千年持つ都市ベルリン、そういった構想の中に、

そこに生きる一人ひとりの人生の幸福への想像力は既に働いていなかっただろう。

だけど多くの人はささやかに、自分の人生のことや生活のことを考えて生きている。

孤独は寂しく、温かい場所に人は生きたい。

それだけだ。


実際映画の中でも、中枢にいる将校たちが何に対して誇りと幸福を抱いていたのかが一人ひとり描かれていて、

どんなに強大な歴史の流れの中でも、一人ひとりの具体的な人生は消え去ることはなく、

皆等しく自らが信じるところを追って生きているんだと感じた。

ヒトラーへの忠誠のために死ぬ者、忠誠のために命令に背く者、

家族と逃げることができずに自殺する者、反逆を起こす者、酒に溺れる者、

一人で逃げていく者、怪我人を救うため戦場に残る者、究極の状況下でそれでも幸せだと言う者。

そして、信念を追っても何も実現されることのないこの理不尽な世界に

多くの人が泣き、理不尽な死を迎えたんだろう。


死はいつだって理不尽なものだ。

ただ、私が今過ごしてるこの世界は生きることを最大限に楽しめる世界だ。

だから私はせめて、この時代に感謝しながら生きていかなきゃいけない。