2018年に再発の為に手術を受けた後に合併症で長期入院中に、再々発を告知された。
余命宣告は、半年から一年。
こう言われたら、半年しか頭に無かった。
在宅療養支援室に所属すると説明する人がベットまで来てくれた。
そして、色々あって、要介護4が決まった。
介護保険審査は、入院中のベットの上で受けた。
その辺りは、過去ブログ在宅医療7 介護保険の介護度決定 2018年6月にも書きました。
在宅療養支援室に介護保険を利用しましょうと言われても、
知らない人を家に入れるのも嫌だったし、一人で大丈夫だろうと考えていたが、強く必要性を説かれた。
同時に、緩和ケア病院を数件紹介された。
予約をとって、面会に行き、緩和ケア病院を決めましょうとも言われた。
「いずれ、考えます。」と答えた自分。
再々発し余命宣告されている事など状況を知っているであろう在宅療養支援室の人に、これも強く説得された。
「今、決めないと時間がありません。」と説得された。
実際に面談に行った過去ブログは、在宅医療8 緩和ケア面談に 2018年7月2日、㉔ 緩和ケア面談2件目 2018年7月25日に。
2件目に行った緩和ケア病院に決める事に。
つい最近、訪問看護師さんに今も契約が生きているか確認して貰った緩和ケア病院だ。
2018年6月退院して、在宅医療になり更新認定の時期が来た。
2019年5月22日。
介護保険審査が自宅で行われた。
事前に、ケアマネジャーには、
「出来ない事は出来ないと行ってください。」
「頑張れば出来るとかは言わないように。」
と釘を刺された。
ケアマネジャーに言われたのだが、高齢者の方は自分は出来ると出来もしない事を言ってしまうと。
「見栄」があったり、ボケもあったり。
2019年5月22日当日、ケアマネジャーに言われていたのに、
つい頑張れば出来ると何度も言ってしまった。
調査員の方にも、頑張れば出来ると言われると調査が難しい、出来るに認定せざるを得なくなりますとも。
調査は終わって、結果を待つのみに。
2019年9月6日(日曜日)。
郵送で、結果は届いた。
介護認定は要介護2に。
要介護4から、一年で要介護2まで回復したと自分は捉えた。
地べたに座ったら立ち上がれない状態から、本当に少ない距離の散歩からリハビリを始めた。
最初は、家を出て、50メートルも歩いてないと思う。
スマホを握り絞めて、何かあったら電話する気という駄目といえば、駄目なリハビリだ。
要介護4は、自分のイメージでは、寝たきり。
ネットを借りると、
移動には車いすが必要となり、常時介護なしでは、日常生活を送ることができない人が対象です。全面的に介護を行う必要はあるものの、会話が行える状態の人が対象です。胃瘻や点滴で、食事介助の必要性がない人は、全面的な介護が必要でないと判断され、要介護4に該当することがあります。
要介護2は、イメージですが、寝たきりではないが補助が必要。
ネットをまた借りると。
手段的日常生活動作や日常生活動作の一部に、毎日介助が必要になる人が対象です。日常生活動作を行うことはできるが、認知症の症状がみられており、日常生活にトラブルのある可能性がある人も対象です。
ちなみに、癌で介護保険が利用できるのは、末期がんと認定された時のみだとかは後で知ったなぁ。
それから現在(2022年10月)まで、
ずっと要介護2です。
理由としては、コロナ過です。
コロナ過で、介護保険審査で人が来るのが問題となったようです。
ケアマネジャーさんの判断で、延長が出来るようで、延長を繰り返しています。
自分的には、少なくとも要介護1には、なっていると思うのですが、わかりません。
話は変わって、明日は、PET検査結果を聞きに行く日です。
いつも、悪い結果を聞いた時には、倒れています。
9月1日の生検の時も、そうです。
明日も倒れるかもしれませんが、それはそれでしょうがないかな。
聞きたくない気持ちと、もう早く聞いて新たな治療方針を決めたい気持ちも。
正直、何をしてても面白くはありません。
まだ治療の選択肢が残されているだろう結果に、喜ぶべきだろう自分に言い聞かせています。
いや、体中に転移しており、緩和ケアになりますと言われる事も覚悟しておかないと。
後ろ向きではなくて、色々と覚悟しないと倒れちゃう弱い性分なんです。
今日も生きててえらいぞ、自分。
最近処分した黄金マサキの2021年の写真。ごめんね。
挿し木で育った分はまだ残しています。
(実は、近所の山にこっそり植えてきました。駄目な事ですね。後で消すかもです。)