こんばんは。更新がしばし滞っていました。うまいこと、トピックに載せられないんですよね。今回は「心との折り合いの付け方」と書いていますが、どう纏まるやら……。対人関係とかの、躓きとか、うまくいかないなあと言うのは、その大半は、自分自身の心との付き合い方が、どうもまずいんじゃないか、まずいとまでは言わなくても、そこに苦しんでいるように思います。自分の心と仲良くなる、そして自分の体とも仲良くなる。それがまあ、難しいということになります。

 

 

瞑想をしていると、こう、ただ観ていけばいい。それは無論そうなのですが、それだけでも無いようにも思います。智慧と慈悲との両輪、ということですね。そして、慈悲というのは、もう、全方向に働きます。そして、慈悲が、自分の心身にもちゃんと及ぶようになると、こう、対人関係というものも、自ずと変わって来るなあというのが、私自身の実践の感想です。自由、というより、敵が少なくなる、というか、究極には敵が居なくなります。自分にもやさしさと尊敬、幸せを祈る気持ちといったものが働くことで、変わるんですね。

 

 

世の中傾聴とか、大切と言いますが、人の話を聴く前に、自分の心身の声を十分に聴けているのか、ということになります。感情や思考にハマりこまないで、それに気づき、受容し、理解すること。簡単に言いますが、それは本当に、日々の実践のなかで、少しずつ「匙加減」をはかっていくものです。自分の心身の声が聴けているのならば、本当のことを言うと「大丈夫」なんです。自然と、他人や、周りのすべてのものに対して、優しさや慈しみ、尊敬や幸福を祈る気持ちが湧いてきますから。

 

 

自分の中の「ワガママ」というものについても、それを「ワガママ」と見て、攻撃することから、益々ワガママになっていくのですね。それに気づいて、受容したうえで、理解すること。そうすると己のなかの「切なる願い」に気づくことになる。それをすごく、粗い形でいうと、「すごいね、頑張ってるね」と認めることです。誰だって、自分を認めてもらいたいし、褒められたい、受け容れられたいのです。だから、そこのところを慈悲の心で満たしてあげると、それこそミラクルが起こります。地道な実践ですが、何かが変わっていくだろうと思います。

 

 



こんにちは。緊急事態宣言が出ましたね。私の会社でも、業務縮小、とはいえ、仕事はあるんですよ。でも、出社する社員の数は減らされますから、どうなるか。はい、業務が片付きません、で、テンパる訳です。こういう時こそ、仏教をと思うのですが、やはり対処の仕方はありまして、それは「気づきの力を働かせる」ということ。すなわち……。


テンパるその前に、気づきが間に合えば、そのテンパりというか、昂りは鎮まっていく。これって、やってみるとそうだなというか。テンパりはするんですよ、カッとなる。でも、「今自分、テンパってるなあ」と、気付きを間に合わせていく。すると「これは今、そんなに急ぐ必要はないな」とか、見えてくるんですね。或いは、興奮が鎮まってきます。


はじめは、テンパりの最中で気づくのが、精一杯かもしれませんね。でも、瞑想とか、常日頃から自分を観る訓練をしていると、少しずつですが、変わってきます。テンパりに飲まれてしまってもいいんですよ。今回は失敗しちゃったな、でいい。何度かやっていくうちに、コツがつかめるようになる、筈です。私もしくじるときはありますから。完璧なんてありません。


えっ、仏教とそれがなにか関係があるの?と、思われた方は「気づきの瞑想」で、調べてみてください。怪しいものもあるので、そこは気をつけて。私はプラユキ・ナラテボー師の教えを知って、気づきの瞑想を始めました。はじめの頃に比べると、だいぶ変わったように思います。ともかく、気づきの力をつける。プラクティス、プラクティス、プラクティス!ですね。でも、楽しんでいけばいいのです。




こんにちは。この週末も、部屋でおとなしくしております。先ほど瞑想をしておりました。瞑想をすると如実に感じるのは、人間の体は左右非対称に出来ているということですね。どこかがねじれています。すると、このねじれが万病の素といって、正そうとする人も出てきます。そして、また、片側ずつの、体のトレーニングの方法を推奨する人も出てきます。なるほど、様々です。


私としては、とりあえず、座っていることだと思います。人間の体は、片寄りすぎるとそれを修正する動きをするように出来ています。座っている間も、姿勢の変化は見られます。足が痛くなるのも、あれは体の方は修正はしたいのだけれど、それは防がれている、そうすると痛むのですね。いずれにせよ、左右非対称からくる歪みは、長く座っていくと自ずから、調うように出来ていると思います。ムリに直そうとトレーニングするより、ともかく毎日でも、5分でも座ることでしょう。


座ってみての発見というのは諸々ありますが、ともかく、姿勢を正しすぎて、力がこもってしまうと、それが緩む際に、眠気が出てきます。眠気というのは不思議なもので、ゆるみっぱなしでも出ますが、緊張しすぎていても出るものです。必ずしも怠けによるもの、のみではないのですね。手動瞑想でいうと、やたらと大きく手を動かしたり、動きが早すぎたり、今度は遅すぎたり、まあ、一言で言うと「大袈裟なとき」これも眠気は来ます。


イメージでいうと、脳が一つのカップというか、そこに水が湛えられていて、それをこぼさぬように座る、或いは手を動かすこと、でしょうか。あとは、緊張と弛緩のメカニズムを利用することでしょう。緊張しすぎていたら、ゆるめてみる。ゆるめたら今度は少し、力を込めてみる。座禅の教えなど読むと、そういうもんじゃないと書かれてあったりしてなかなか恐ろしいのですが、一本調子で座るというのはなかなか難しいのではないかなというのが、私なりの感触です。皆様も是非、瞑想を。