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9月16日は、現代のベートーベンという言い方もされている
佐村河内守(さむらごうち まもる)氏の交響曲第1番
HIROSHIMAが、九州では熊本で最初に演奏されます。
4月18日にカフェで週刊文春をめくったとき、
真ん中にドンとカラーで出ていて、驚かされたため、
写真に収めたくらいでした。
全国30ヶ所でHIROSHIMAを演奏する計画を立てた会社は、
とても大きな宣伝をしていると思いました。
また、座席表ではS席が多くて驚きました。
昨年の終わり頃から今年春に、NHKスペシャルで
取り上げられたのをきっかけに、
爆発的に知られるようになりましたが、
この番組を見ていない方や、
話題にもならない世界にいる方は知らないようですね。
番組で知った方は、この曲を全部聴きたいと、
AmazonやCDショップに買いに行き、
専門の方などは分析もされたかもしれません。
ハズレの方は、音楽史や交響曲がどういうものであるか、
知らないまま買ってしまったのではないでしょうか。
オーケストラは楽器が多いですから縦長のスコアで、
この写真は4小節だけです。
全聾ですから、楽器を鳴らして確かめることもできないのに、
約70分の曲を書かれています。
この本は自叙伝のようなものです。
最初のあたりから、数奇な運命の方であると感じました。
いくら天才でも、好んで聴きたいとは思わないほうです。
不気味で恐怖心が募るからです。
他のCDも聴いてみましたが、私とは正反対の、
重くて深刻なものを感じます。
そんな曲は今まで多く聴いたことはあっても、
この方の音楽は独特で、闇の世界に入り込ませるのです。
本の帯です。
この音楽は佐村河内さんの運命がそうさせたと思い、
そのために生を受けたのではないかと思えるほどです。
たまに、どう考えたらいいのだろうと思うことがあります。
関係者でテレビ番組を制作したことによって、
世に出して多くの人に知っていただけたからよかったとか。
こんな運命を背負って生きているからこそ、
HIROSHIMAが完成したのだろうとか。
佐村河内さんにとっては、本は2007年に出されており、
音楽も1楽章と3楽章は2008年から演奏は始まっています。
テレビ放送がなければ、一部の人にしか知られて
いなかったと思います。
演奏会での大喝采の様子をご自身の目で見たことや、
放送の反響から、次の作品、また次の作品と
体調のよいときに書き続けていらっしゃると思います。
生きているうちに世に出てよかったですね。
人間とは不思議なもので、何の分野においても報道されると、
凄い人がいるものだと興味を持ってその人に目がいく。
それがなぜだろうと考えたとき、
人の根底にあるものは、
憧れ、羨望、目標ではないかと思うのです。
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本日のタイトル、なぜ複雑な9月16日かというと、
熊本では最大のお祭り日、藤崎八幡宮の例大祭。
九州で初の演奏会が、よりによって。
数年前から敬老の日に行われるようになりました。
20、21、22日は客演を含めた地元で作り上げる
西本智実指揮の「椿姫」、練習が大詰めです。
また、地元で活躍している演奏家のコンサートが
別の会場で3つほどあります。
お祭りとは関係なく受け止めているのでしよう。
私はFacebookで、どれもシェアはできませんでした。
シェアするなら平等でなければ。
音楽なんてどうでもいいという人にとっては、
お祭り日にコンサート?と見られます。
なんといっても、うるさいといってもいいあのお祭り日に、
HIROSHIMAを金聖響さんの指揮と九響による演奏を
聴くには、今年に限ってはお祭りには行けません。
対照的すぎて、お祭りに少しでも行ったなら、その切り替えが
よほどうまくできないと、あの音楽の中に入れません。
この日を思うと、なぜ熊本を九州では最初に考えられたのか、
くまモンで活気があるように見えたのでしょうか。
九州のほぼ真ん中といっても、
九州の他県からの集客も見込まれたのでしょうか。
しかし、九州でも他県というと近そうで遠く感じたりします。
以上のようなことで、とても複雑な9月16日がやってきます。
盛大に行われるお祭りに行きたい気持ちと、
鎮魂に浸らなければならない雰囲気。
同日に感じることはできそうにありません。
16日にしか近くでは聴けないHIROSHIMAを
聴く日だけにしなければなりません。
それだけ闇の深い音楽です。




